きみといっしょに。〜死別。旦那が突然死にました〜

突然天国に行ってしまった旦那のまーくん、そして残された子供達と私の物語。

障害

私は旦那と死別していろんな人の話を聞いたりいろんな状況に晒されたりして変わった考えがあります。というか腑に落ちました。 小児の大きな病院に行くと本当に様々な子がいて大変そうだな。可哀想だなとつい目を向けてしまいます。それは街中でも自分とは違う人を見るとつ ...

私は旦那と死別して
いろんな人の話を聞いたり
いろんな状況に晒されたりして
変わった考えがあります。
というか腑に落ちました。

 

小児の大きな病院に行くと
本当に様々な子がいて
大変そうだな。可哀想だなとつい目を向けてしまいます。

それは街中でも
自分とは違う人を見ると
つい目を向けてしまう。


主に障害を持ってる方なのですが
気になって見てしまうのは好奇心からか
それでも「見ちゃいけない」と目を逸らすのもおかしい気がして
何だかずっとモヤモヤしていました。

20191118_1

それが、こういう経験をして
人の目とか感情に気づく様になった。


いつもと同じように病院に行った時に
ふと考えが変わったんです。


「見てはいけない。」「見られるのは嫌だろう。」
と思っていたのは偽善心。


見られる方がどうのこうのより
それをそういう風に思うこちらの方が
頭がおかしいんだろうと。


私自身も医療機器を幼い頃から使っています。
知られるのも嫌だった。
どう思われるかが怖かったから。

思う方ではなくて
思われるこちらにダメなところがあると思ってたから。

20191118_3


でも
違うんですよね。
人と違う境遇や状況で
その人は必死に生きている。

それだけで感服です。



そんな人達のことを
好奇の目で見て
バカにして
気持ち悪いと言う(私も言われました)

そっちの方が気持ち悪くない?と。
人間として欠陥品じゃない?と。



ちなみに私は憐れむのはアリだと思っています。
「可哀想に」は別に悪い言葉じゃない。

私も可哀想な状況です。



足があった方がいい。
目が見えていた方がいい。
健康な臓器であった方がいい。

そりゃそうでしょう。
健康優良な人からしたら、私の体の状態も可哀想です。
それは仕方ない。



でも、そこから蔑むのはアウト。

人は誰かを非難し
バカにしたり笑ったり
すべきではない。


だから目を向けた時は
大変だね。頑張ってるね。頑張ろうね。 負けんなよ。
とエールを心で送るようにしました。



見られたくないだろうとかは
「見られたくない存在だ」と勝手にこちらが決めつけていた。
猛省です。

人と違うのは仕方ない。
私も障害児だったので分かります。

でもただそれだけ。

20191118_4



フラットに考えられるようになりました。

大変なのは大変。
別に「悪いから」って目を背けるのがベストではないのかなと。



こんなに頑張って生きてるんだもの
周りであーだこーだ知りもしないのに言う人の方が
心を失った。貧しい人なんだと。

蔑まれたら、蔑み返してやりますよ。


だから、そっち側になりそうな時は
あぁ、自分はなんて浅はかでどうしようもない人間なんだと喝を入れます。




いじめでもそうですよね。
悪いのはいじめられる方じゃない。
いじめる方だと。

とある漫画で
「米国ではいじめが起こると
被害者ではなく加害者がカウンセリングを受けるのが当たり前」
というエピソードがありました。

確かにそうなのかもと。

人を蔑みバカにする人は
それだけできっと、どこかがおかしいのでしょう。



学生時代って、必死に頑張っている人とか
一生懸命やって失敗しちゃった子をバカにする傾向があるけども
バカにする方がバカだと
子供達にも教えていけたらと思います。

頑張ってる人を蔑むのなら
バカにされるべきは自分だよ。と。 


それは身体的なことに限らず
環境や状況的なことも同じ。

あぁ、この感覚が自分の子ども時代にも欲しかったなぁ。
だったらもっと生きやすかったのになぁ。 

20191118_5
↓ただただ人を傷つける人。きっとその人の方がどっかおかしい…。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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コメントで私のブログを紹介しても良いか?といただきました。(『片麻痺カッチャンの奇跡体験中!アンビリ バボー』というブログをされています。)倒れて、一命を取り留めて、障害が残ってしまった方から。「こんなに生きていることが素晴らしいと思わせてくれる作品はな ...

コメントで私のブログを紹介しても良いか?といただきました。
『片麻痺カッチャンの奇跡体験中!アンビリ バボー』というブログをされています。)

倒れて、一命を取り留めて、障害が残ってしまった方から。


「こんなに生きていることが素晴らしいと思わせてくれる作品はない」
「同じように障害を抱えている自分の読者に励みになるかもしれないから」


そう言ってくださいました。

私はまーくんの知らせを受けた時「命があれば、生きてさえいてくれたら、障害が残ったっていい」そう思いました。


そして、そういう状況で本当に障害が残された方です。

ご家族の、そしてご本人の苦悩は計り知れないし、一概に命があれば良い。だなんて言えない大変さやしんどさがあると思います。
いっそ死んだ方が良かったと思える状況の方もいらっしゃるでしょう。

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それでも、自分の人生、今の状態が全てです。

どんなに辛かろうと悲しかろうと逃げ出したくても、今が全てなんです。


ないものを数えても
ありもしない未来に固執しても
良いことなんて1つもない。


あちらよりマシだと思っても
誰よりも辛いと比べても
自分の人生が取って代わることはありません。



この人生を生きていくしかない。



それも、出来れば、幸せだと思って生きていきたい。


ある時を境に、それまでの普通で当たり前にあった幸せな日常失った。という点では死別と同じかもしれません。

違うのはきっと、
死別は終わってしまった辛さで
障害は続いていく辛さなのでしょう。

どちらが良いとは言えません。
もちろん命があるのは羨ましい。
触れられる温かい手があるのは羨ましい。

それでも辛さは計り知れない。


そんな中、私のブログに生きる幸せを見出してくれるのなら嬉しい。
(私の吐き出しブログが、そんな事が出来るなんて!!謎!でもありがたい。)

ないものではなく、あるものの幸せに気づいてくれたら、そんな嬉しいことはありません。


それはきっと、どちらも一緒。

でも現状はやっぱり辛くてしんどくて、
言ってやりたいですけどね。過去の自分に。
「今の幸せに気づきなさいよ!大事にしなさいよ!」って。

同じことを未来の自分に言われないようにしないとですね。

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