命日の過ごし方
8月22日はまーくんの命日でした。その日の過ごし方。ずっと考えていました。私はどうしたいのだろう。誰といたいのだろう。何をしていたいのだろう。本当はこの日にセカンドハウスを建ててくれる現場監督との顔合わせがあり着工という予定にしていました。まーくんが結んでく ...
8月22日は
まーくんの命日でした。
その日の過ごし方。
ずっと考えていました。
私はどうしたいのだろう。
誰といたいのだろう。
何をしていたいのだろう。
本当はこの日にセカンドハウスを建ててくれる現場監督との顔合わせがあり
着工という予定にしていました。
まーくんが結んでくれた縁ということにしようと。
でも木下さんのぐずぐずで延期。
担当の方は私の想いを汲んでくれて
作業的には進められないけど顔合わせはしましょうか!
気持ちを大事にしたいと言ってくださっていました。
「その想いは大切にしたい。」と
言ってくれる想いが嬉しかった。
でも、ま、延期しました。
その代わりに1日命日を堪能しようと。
特に予定もいれずに
当日迎えた朝にどうするか決めようと思っていました。
去年の1回目の命日は
死んでしまった日を嘆いた。
もうこの瞬間からいなくなってしまったのだと。

2回目の今年は
死亡推定時刻とされる
9時までの時間がとても感慨深いものでした。
あと10時間で命は無くなるんだ。
あと5時間でいなくなってしまうんだ。
常にずっと時計を気にする。
最後に見たものはなんだったのか。
死ぬとも思わず過ごしていた時間に
目に映ったものはなんだったのか。
そんなことをずっと考えていました。
命日の当日
死亡されたとされる時刻
私はまーくんが倒れていた場所に
同じように寝転がり
まーくんが最後に見た風景を見ていました。

心臓が突然止まって
「あ!」と思う間も無く死んだと言われた。
けど
心臓が止まって死ぬまでの時間のことなんて
誰にも分からない。
止まった後に呼吸はできるのだろうか。
血の回りは緩やかに流れなくなるのだろうか。
苦しくはないのだろうか。
沈むように意識はなくなるのだろうか。
そんなことを考えました。
最後に自分が死ぬ瞬間に
目に映ったものはなんだったのだろう。
私のことを呼んだだろうか。
子供達の事を考えただろうか。

ある日突然終わりが来る命は
儚く尊い。
私が死ぬ時に最後に見るものはなんだろうか。
まーくんは
ここで一人で命を終えたんだ。
一緒にいてあげたかった。
最後に目に映るものが家族であってあげたかった。
ひとしきり泣いた後に
今日の予定を決めました。
体制の変わった会社の
打ち合わせに気持ち新たに出ようかとも思ったけど
一人で過ごすことに決めました。
行った先は『海ほたる』
千葉県にある海に浮かぶサービスエリアです。
なんの思い出もありません。笑
東京湾を眺めて
今これを書いています。
無駄におしゃれして
窓際カウンターで泣きながら
タブレットを開いている女がいたら
それは私です。

これからまーくんと行った思い出のある
『木更津アウトレット』に行きます。
死んでしまったことは仕方ない。
それでも前を向いて生きていくしかない。
忘れることはできないし
忘れたいとも思わないけど
思い出したところで一緒には生きていけない。
ずっと心にしまって生きていく。
朝早く出ようと思っていたけど
思いのほか泣いてしまって出発が遅れて
いざ出発と、玄関を開けた時に
宅配便が届きました。
まーくんの大学のサッカー同好会の方達からの贈り物。
(ありがとうございました!)
まーくんの友人が大学の近くでパン屋をしていて
そこのパン。
まーくんが自慢していたパン。
いつだか子供を連れて遊びに行ったパン屋。
沢山のパン。
数十秒でも遅れていたら受け取れていませんでした。
次の日は早朝から旅行があり
今このタイミングで受け取れなかったら
届く頃にはパンはカビてました。
何かを感じます。

今日、私は1日一人で過ごします。
まーくんの為の会は私自身では何も行わなかった。
それでも至る所で
まーくんを偲ぶ会が行われていて
何回か個別でご飯を食べにも行きました。
みんながみんな
まーくんを想ってくれている。
それぞれの形で大事にしてくれている。
死んで2年。
まーくんはみんなの心に生きている。
何を残したのか
それぞれに考えて
残してくれたもの
与えてくれたものを
無駄にせずに生きていく。
それがまーくんの死に
意味を持たせてくれるのだろうな。

もう二度と会えない人。
もう二度と一緒にアウトレットに行けない人。
楽しかった思い出を胸に
自分を縛り付けないで
どこへでも行こう。何でもしよう。
そう新たに思った日。
大切な2回目の命日は
透明なまーくんとデートする日だった。
でも至る所で会合が開かれるから
大忙しだね。
でも昼間は予定ないだろうから。
1日一緒にいよう。
子供達を迎えるまでの間。
一緒にいようね。
前日子供達に
「明日はお父さんが死んだ日」という話しをしました。
遺影を前にお茶を飲んでいて
みんなで乾杯するか!と、なんて言おうかと聞いてみたら

だそうです。笑
私ですらまだ「さよなら」は言えないのに
あっさりお別れされたよ。
「バイバイだってさ。」
と苦笑いしてまーくんを見たよね。
さすがに「 バイバイ」は可哀想なので
「いつまでも見守っててね」
で乾杯しました。
いつまでも
見守っててね。
私のことも
子供達のことも
ご両親のことも
会社のことも
まーくんが関わった全ての人を
ずっと見ていてね。
↓私が死んでしまったら、きっとまーくんの死は無駄どころか悪影響。
そんなことにさせたらいけない。
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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↓旦那が死んで買い物魔と化した私の買ったもの。
どんどん増えていくでしょう。

ずっと考えていました。
私はどうしたいのだろう。
誰といたいのだろう。
何をしていたいのだろう。
本当はこの日にセカンドハウスを建ててくれる現場監督との顔合わせがあり
着工という予定にしていました。
まーくんが結んでくれた縁ということにしようと。
でも木下さんのぐずぐずで延期。
担当の方は私の想いを汲んでくれて
作業的には進められないけど顔合わせはしましょうか!
気持ちを大事にしたいと言ってくださっていました。
「その想いは大切にしたい。」と
言ってくれる想いが嬉しかった。
でも、ま、延期しました。
その代わりに1日命日を堪能しようと。
特に予定もいれずに
当日迎えた朝にどうするか決めようと思っていました。
去年の1回目の命日は
死んでしまった日を嘆いた。
もうこの瞬間からいなくなってしまったのだと。

2回目の今年は
死亡推定時刻とされる
9時までの時間がとても感慨深いものでした。
あと10時間で命は無くなるんだ。
あと5時間でいなくなってしまうんだ。
常にずっと時計を気にする。
最後に見たものはなんだったのか。
死ぬとも思わず過ごしていた時間に
目に映ったものはなんだったのか。
そんなことをずっと考えていました。
命日の当日
死亡されたとされる時刻
私はまーくんが倒れていた場所に
同じように寝転がり
まーくんが最後に見た風景を見ていました。

心臓が突然止まって
「あ!」と思う間も無く死んだと言われた。
けど
心臓が止まって死ぬまでの時間のことなんて
誰にも分からない。
止まった後に呼吸はできるのだろうか。
血の回りは緩やかに流れなくなるのだろうか。
苦しくはないのだろうか。
沈むように意識はなくなるのだろうか。
そんなことを考えました。
最後に自分が死ぬ瞬間に
目に映ったものはなんだったのだろう。
私のことを呼んだだろうか。
子供達の事を考えただろうか。

ある日突然終わりが来る命は
儚く尊い。
私が死ぬ時に最後に見るものはなんだろうか。
まーくんは
ここで一人で命を終えたんだ。
一緒にいてあげたかった。
最後に目に映るものが家族であってあげたかった。
ひとしきり泣いた後に
今日の予定を決めました。
体制の変わった会社の
打ち合わせに気持ち新たに出ようかとも思ったけど
一人で過ごすことに決めました。
行った先は『海ほたる』
千葉県にある海に浮かぶサービスエリアです。
なんの思い出もありません。笑
東京湾を眺めて
今これを書いています。
無駄におしゃれして
窓際カウンターで泣きながら
タブレットを開いている女がいたら
それは私です。

これからまーくんと行った思い出のある
『木更津アウトレット』に行きます。
死んでしまったことは仕方ない。
それでも前を向いて生きていくしかない。
忘れることはできないし
忘れたいとも思わないけど
思い出したところで一緒には生きていけない。
ずっと心にしまって生きていく。
朝早く出ようと思っていたけど
思いのほか泣いてしまって出発が遅れて
いざ出発と、玄関を開けた時に
宅配便が届きました。
まーくんの大学のサッカー同好会の方達からの贈り物。
(ありがとうございました!)
まーくんの友人が大学の近くでパン屋をしていて
そこのパン。
まーくんが自慢していたパン。
いつだか子供を連れて遊びに行ったパン屋。
沢山のパン。
数十秒でも遅れていたら受け取れていませんでした。
次の日は早朝から旅行があり
今このタイミングで受け取れなかったら
届く頃にはパンはカビてました。
何かを感じます。

今日、私は1日一人で過ごします。
まーくんの為の会は私自身では何も行わなかった。
それでも至る所で
まーくんを偲ぶ会が行われていて
何回か個別でご飯を食べにも行きました。
みんながみんな
まーくんを想ってくれている。
それぞれの形で大事にしてくれている。
死んで2年。
まーくんはみんなの心に生きている。
何を残したのか
それぞれに考えて
残してくれたもの
与えてくれたものを
無駄にせずに生きていく。
それがまーくんの死に
意味を持たせてくれるのだろうな。

もう二度と会えない人。
もう二度と一緒にアウトレットに行けない人。
楽しかった思い出を胸に
自分を縛り付けないで
どこへでも行こう。何でもしよう。
そう新たに思った日。
大切な2回目の命日は
透明なまーくんとデートする日だった。
でも至る所で会合が開かれるから
大忙しだね。
でも昼間は予定ないだろうから。
1日一緒にいよう。
子供達を迎えるまでの間。
一緒にいようね。
前日子供達に
「明日はお父さんが死んだ日」という話しをしました。
遺影を前にお茶を飲んでいて
みんなで乾杯するか!と、なんて言おうかと聞いてみたら

だそうです。笑
私ですらまだ「さよなら」は言えないのに
あっさりお別れされたよ。
「バイバイだってさ。」
と苦笑いしてまーくんを見たよね。
さすがに「 バイバイ」は可哀想なので
「いつまでも見守っててね」
で乾杯しました。
いつまでも
見守っててね。
私のことも
子供達のことも
ご両親のことも
会社のことも
まーくんが関わった全ての人を
ずっと見ていてね。
↓私が死んでしまったら、きっとまーくんの死は無駄どころか悪影響。
そんなことにさせたらいけない。
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