秒の浮き沈み
まーくんが死んで一年半以上経ちどっぷり沈み込むという日が無くなりました。沈んでもすぐ浮上する。浮上できるようになったというべきでしょうか。ある日子供達を保育園に迎えに行くと「今日ははま寿司に行きたい!」と一点張りのけーくん。「今日は無理だよ」「行くのが当 ...
まーくんが死んで一年半以上経ち
どっぷり沈み込むという日が無くなりました。
沈んでもすぐ浮上する。
浮上できるようになったというべきでしょうか。
ある日子供達を保育園に迎えに行くと
「今日ははま寿司に行きたい!」と一点張りのけーくん。
「今日は無理だよ」
「行くのが当たり前になるなら、もう連れて行かないよ」(行き過ぎている為。笑)
「今日は混んでいるから行きたくない(土曜日)」
などと伝えると
「一回見に行こう!それで入れなかったら諦める」
そう言われました。
すごい納得のいく交渉。それでも私はそれを受けるわけにはいかない状況なのです。
行くのには時間がかかる。やることも溜まっている。それでも引き下がらないけーくんに
(まーくんがいたら、本人の意思を尊重して、一緒に見てきてもらって
納得して諦めてもらえるのに…)
そう頭によぎってしまって一気に沈みました。
『お父さんがいたら良かったのにね』
それは言ってはいけない言葉。どれだけ言いたくても喉まで出かかって飲み込む。
だから今の状況はダメなんだと思わせてしまう。
お父さんがいないことは残念なことなんだと思わせてしまう。
いつか「お父さんがいたら良かったのに」という意識が生まれてしまう。
いつまでもワーワーしているけーくんに平静を装いつつ、なだめ自転車置き場へ。
そこで「バイバイ!」と声をかけてくれた園児はお父さんと帰っていくという…
沈みながら帰っている道中、今日の夕食メニューをけーくんに決めてもらう
「ステーキとビーフシチューどっちがいい?」(どっちもご馳走。笑)
という問いに、はま寿司を引きずっているかと思ったけーくんは
「ステーキ!!」(けーくんはステーキが何か知りません。)
とあっさり回答。そのあっさり具合に心が軽くなり(ステーキか!食べちゃうか!!)
今日の夕飯のステーキをみんなでイソイソ準備する。
美味しくもりもりみんなで食べて気持ちが上がるも
なかなか食べきらず、挙句嘔吐するしーちゃんにテンションが下がり(噛み切らず残っている状態でデザートを詰め込んだので)
こっそりキッチンで苺に練乳つけて食し回復し(苺に限りがあったため)
「うんち出たー!」と「手についたー!」と見せてくるしーちゃんに辟易し
お風呂に二人を放り込み、こっそりキッチンで平野くんを見て回復し
風呂上がりににフザケてなかなか着替えない子供達にプチ爆発。
夕方の『お父さんがいたら良かったのにね』に、ずっと頭が占拠されていて
頭がうまく働かないから、いつも上手いこと回していることが出来ない。
どんどん散らかっていく部屋。終わってない家事。過ぎていく時間。
それが余計に気を滅入らせる。
心が疲れて、お布団で遊んでいる子供達に慰めてもらおうとダイブして
しーちゃんに抱きついたら
突然に「また会えるよ」としーちゃん(3歳)に言われました。
そんな子供の優しい言葉に温かくもなる。
も、つかの間(いや、いつかじゃなくて、今!今手が欲しいんですけど!!!)
と感情がひっくり返る。
泣きながら脱衣所で自分が風呂に入る準備をします。
死別から時間が経って、理性の方が勝ってきた。
子供達にたまらずにあたって泣き喚いていた自分ではもうない。
子供達に出来るだけ見せずに、こっそり一人で声を出さずに泣き喚く。
そうやって我慢して泣くことにも悲しくてたまらない。
今いて欲しいのに。
今助けが必要なのに。
なんでいないんだろう。
どうして死んでしまったのだろう。
ばかばかばか…まーくんのばか。
と思っていると、
ブログのコメントで「まーくんも残していきたくなかったでしょう」というようなものが…
……………。
私がいて欲しかった以上に
まーくんはいたかったに違いない。
私なんかの感情の何倍も。
そう思うと、(泣いている場合じゃない)と自分の頰を両手で叩きました。
お風呂でひとしきり泣いて
あとは普通に子供達に接しました。
こんな感情の波に押し寄せられて生きている人がいるのでしょうか。
今日は気分が落ちる。とかではなく、毎分で気持ちが変わるような人生。
浮いたり沈んだり、感情の起伏が激しすぎます。
でも、きっとそれは、浮上する武器を手に入れたから
『美味しいものを食べる』
『平野紫耀くんを見る』
『こういう風に考える』
など、自分の気持ちを持ち上げるものを、この一年半で少しづつ積み重ね手に入れてきたから。
以前だったらずっと沈んでいた気持ち(そして堪えきれず子供達に当たり散らしていた感情)
それを武器を投入して浮上して、それでも沈んで
それならこれは!と浮上して、それでも沈む。
強くなったのだと思う。
確実に。着実に。一歩づつ。
いつか最強の浮上のアイテムを手に入れて、沈むことは無くなるのだろうか。
そうなった時、私は一体どんな風に生きていっているのでしょうか。
↓平野くんを見ることが、今の一番の浮上アイテム。
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文字多めで難しい話もありますがイラストも描いています。
わかりやすく説明している。つ・も・り。
よろしかったらのぞいて見てください。
どっぷり沈み込むという日が無くなりました。
沈んでもすぐ浮上する。
浮上できるようになったというべきでしょうか。
ある日子供達を保育園に迎えに行くと
「今日ははま寿司に行きたい!」と一点張りのけーくん。
「今日は無理だよ」
「行くのが当たり前になるなら、もう連れて行かないよ」(行き過ぎている為。笑)
「今日は混んでいるから行きたくない(土曜日)」
などと伝えると
「一回見に行こう!それで入れなかったら諦める」
そう言われました。
すごい納得のいく交渉。それでも私はそれを受けるわけにはいかない状況なのです。
行くのには時間がかかる。やることも溜まっている。それでも引き下がらないけーくんに
(まーくんがいたら、本人の意思を尊重して、一緒に見てきてもらって
納得して諦めてもらえるのに…)
そう頭によぎってしまって一気に沈みました。
『お父さんがいたら良かったのにね』
それは言ってはいけない言葉。どれだけ言いたくても喉まで出かかって飲み込む。
だから今の状況はダメなんだと思わせてしまう。
お父さんがいないことは残念なことなんだと思わせてしまう。
いつか「お父さんがいたら良かったのに」という意識が生まれてしまう。
いつまでもワーワーしているけーくんに平静を装いつつ、なだめ自転車置き場へ。
そこで「バイバイ!」と声をかけてくれた園児はお父さんと帰っていくという…
沈みながら帰っている道中、今日の夕食メニューをけーくんに決めてもらう
「ステーキとビーフシチューどっちがいい?」(どっちもご馳走。笑)
という問いに、はま寿司を引きずっているかと思ったけーくんは
「ステーキ!!」(けーくんはステーキが何か知りません。)
とあっさり回答。そのあっさり具合に心が軽くなり(ステーキか!食べちゃうか!!)
今日の夕飯のステーキをみんなでイソイソ準備する。
美味しくもりもりみんなで食べて気持ちが上がるも
なかなか食べきらず、挙句嘔吐するしーちゃんにテンションが下がり(噛み切らず残っている状態でデザートを詰め込んだので)
こっそりキッチンで苺に練乳つけて食し回復し(苺に限りがあったため)
「うんち出たー!」と「手についたー!」と見せてくるしーちゃんに辟易し
お風呂に二人を放り込み、こっそりキッチンで平野くんを見て回復し
風呂上がりににフザケてなかなか着替えない子供達にプチ爆発。
夕方の『お父さんがいたら良かったのにね』に、ずっと頭が占拠されていて
頭がうまく働かないから、いつも上手いこと回していることが出来ない。
どんどん散らかっていく部屋。終わってない家事。過ぎていく時間。
それが余計に気を滅入らせる。
心が疲れて、お布団で遊んでいる子供達に慰めてもらおうとダイブして
しーちゃんに抱きついたら
突然に「また会えるよ」としーちゃん(3歳)に言われました。
そんな子供の優しい言葉に温かくもなる。
も、つかの間(いや、いつかじゃなくて、今!今手が欲しいんですけど!!!)
と感情がひっくり返る。
泣きながら脱衣所で自分が風呂に入る準備をします。
死別から時間が経って、理性の方が勝ってきた。
子供達にたまらずにあたって泣き喚いていた自分ではもうない。
子供達に出来るだけ見せずに、こっそり一人で声を出さずに泣き喚く。
そうやって我慢して泣くことにも悲しくてたまらない。
今いて欲しいのに。
今助けが必要なのに。
なんでいないんだろう。
どうして死んでしまったのだろう。
ばかばかばか…まーくんのばか。
と思っていると、
ブログのコメントで「まーくんも残していきたくなかったでしょう」というようなものが…
……………。
私がいて欲しかった以上に
まーくんはいたかったに違いない。
私なんかの感情の何倍も。
そう思うと、(泣いている場合じゃない)と自分の頰を両手で叩きました。
お風呂でひとしきり泣いて
あとは普通に子供達に接しました。
こんな感情の波に押し寄せられて生きている人がいるのでしょうか。
今日は気分が落ちる。とかではなく、毎分で気持ちが変わるような人生。
浮いたり沈んだり、感情の起伏が激しすぎます。
でも、きっとそれは、浮上する武器を手に入れたから
『美味しいものを食べる』
『平野紫耀くんを見る』
『こういう風に考える』
など、自分の気持ちを持ち上げるものを、この一年半で少しづつ積み重ね手に入れてきたから。
以前だったらずっと沈んでいた気持ち(そして堪えきれず子供達に当たり散らしていた感情)
それを武器を投入して浮上して、それでも沈んで
それならこれは!と浮上して、それでも沈む。
強くなったのだと思う。
確実に。着実に。一歩づつ。
いつか最強の浮上のアイテムを手に入れて、沈むことは無くなるのだろうか。
そうなった時、私は一体どんな風に生きていっているのでしょうか。
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よろしかったらのぞいて見てください。