無くなって行く時間
島根の旦那の実家帰省中仁摩サンドミュージァムというところへ行きました。気になってたんですよねー。昔まーくんと出会う遥か前に『砂時計』という漫画を読んでいて(映画化もされました) 島根というところに初めて触れました。(島根が舞台)今回の帰省でそちら方面に行 ...
島根の旦那の実家帰省中
仁摩サンドミュージァムというところへ行きました。気になってたんですよねー。
昔
まーくんと出会う遥か前に
『砂時計』という漫画を読んでいて
(映画化もされました)
島根というところに初めて触れました。(島根が舞台)
今回の帰省で
そちら方面に行くことになり
せっかくだから「行きたい!」と独断で決めて行きました。
ここには
世界一大きな砂時計があります。
一年砂時計。
漫画で出て来たので
どんなものなのかと楽しみにしていましたが
あぁ、こんなもんかというのが正直な感想。
一年てこれだけなんだ。と思いました。
途方もなく長く感じる時間のようだけど
膨大な量というより
これだけか…と拍子抜けしました。
まーくんが死んだ後の
あの地獄のような一年。
あの一年がこの中に凝縮してるんだなと不思議な気持ちでした。
そして砂時計を見て思ったことは
砂は落ちる一方で
決して戻ることはないのだということ。
器には限りがあって
落ち切った砂時計はひっくり返して
また時間が流れて行きます。
でも人生の時間はひっくり返すことなんてなく
自分にも分からない
自分の人生の時間の砂の量は
今こうしてる間にも
ずっと流れ落ち続け減っていきます。
『時間がなくなっていく』
が可視化されてて
何とも言えない気持ちになりました。
私の器には
あとどれだけの砂が残っているのだろう。
時間は有限じゃない。
限りあるものです。
その残りの時間を
『余命』という形で知らされる人もいます。
まーくんのように
自分でも分かってないうちにプツッと砂が落ち切ることもあります。
どちらがいいかなんて分からない。
自分がどちらになるかなんて分からない。
だから
今落ちて無くなっていく時間を感じながら生きていくことが大事なのだなと思いました。
どれくらい残っているかを気にしてたって仕方ない。
過去になる今は決して戻らない。
人生は『積み重ねるもの』という感覚と
時間は『無くなっていくもの』という感覚。
増えると減る。
矛盾だなぁ…と
どう捉えたらいいのだろうと
思っていたら
ハッと思い浮かびました。
積み重なってるじゃん。
落ちた砂の方が!!
これが自分が積み重ねて来た人生じゃん!
未来というものが
今を通って
過去に溜まっていく。
まさに人生、砂時計!!
どう積み重なっていくかは
今をどう通るかによって変わるのでしょう。
美しければ美しい砂に
淀んでいれば淀んだ砂に
砂が落ち切った時に
どういう風に生きてきたかが残ってるんでしょうね。
綺麗な砂時計でありますように。
ちなみにどうしても欲しい砂時計があって念願叶って購入しました。
それは
大体の砂時計て3分なんですよね。
子供達に自分で歯を磨く習慣をつけて欲しくて
どれくらい磨けばいいのかなんて
伝えるの難しくて
まずは一分間自分で一生懸命磨くことに慣れてもらおうと思ったんです。
最初から3分は長いですからね…(特に注意散漫なけーくんには…)
というわけで
歯磨きに1分砂時計導入しました。
そうして徐々に徐々に長時間の砂時計にシフトしましょうかね。
無くなっていく時間。
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