きみといっしょに。〜死別。旦那が突然死にました〜

突然天国に行ってしまった旦那のまーくん、そして残された子供達と私の物語。

感謝

お知らせとご報告と想いとをしたためますORICON さんから取材を受けてその記事が今日配信になりました(↓こちら) ぼへーっとしていたら各所から連絡が来て「ちょっとちょっとYhooニューストップに載ってたんだけど!!」うわぁお!!そりゃびっくりだ!どうりでなんだか引 ...

お知らせと
ご報告と
想いとをしたためます



ORICON さんから取材を受けて
その記事が今日配信になりました
(↓こちら)



ぼへーっとしていたら
各所から連絡が来て

「ちょっとちょっとYhooニューストップに
載ってたんだけど!!」

IMG_6315



うわぁお!!
そりゃびっくりだ!

どうりで
なんだか
引っ切り無しに
スマホが鳴るもんだ


なんだか
しんみりというか
ちょっと温かい気持ちになった




まーくんが死んで4年
色々あって
色々して
色々考えて

自分の想いを言葉に乗せて
何かを描いて
それを伝えて生きていこうと決めました


自分の書くもので金を稼いでいこうと
それ一本で子供を育てようと



ならば手始めにと
自分の書くものに値段をつけて
それに恥じないものを作っていこうと
『note』というところで
有料マガジンを発刊することにしました

審査に二週間以上かかるとされていて
11月後半か12月からの発売かなぁと思っていたら

まさかの3日後に審査が通ったと通知が来て
あれよあれよと
11月1日から刊行することに




そのラインとは全く別の走りをしていた
ORICONさんの取材


取材を受けたのは10月頭で
元々9月取材だったのが
子供のコロナ関連の自粛で
延びに延びて
なんなら掲載を考えてくださっていた日からも
なんだか延びて
11月1日に掲載になったようです


まるで
この日に示し合わせたかのように


私が
物書きを生業として生きていく
一歩目を踏み出そうとする日


たくさんの人の目にとまる事態になりました


きっとまーくんは
背中を押してくれている





私の書いた本のレビューで

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【妻である前に母である前にあなたは表現者だったのだ】

一気に読んだ、同じ話が繰り返されるが独特の画力と知的な文章で読ませる、すごい。
逆境が彼女の才能を開かせたのだとすると影には光があるのだろう。
状況を客観化出来ねば作品にならない。
夫が死ぬなら他の人間のクズが死ぬべきだと思ったとか「自死」を頭ごなしに否定してはダメと明言したりとか、
綺麗ごとじゃないのがまた良い。
ご自身が苦しんだから言える迫力重み。
あとゴメンナサイ!結婚時写真が最後に掲載されてて「美男美女じゃんマンガと違う!」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

というものがあって
(ごめんなさい嬉しくて全部載せちゃった!)


別のところで
同じようなことを言われたこともあり


まーくんは本当に
私の人生を開いていったのだと思いました







ORICONの取材を担当してくださった方と
楽しい素敵な時間を過ごし

好きなことをベラベラと話し
相手の方も素敵な方だなと感じ
(この感じるって結構重要!)


相手の方も
私のことを素敵な方だと言ってくださって
(あれ?言ってない?え?言った?私の都合のいい記憶力…笑)

メールで依頼を受けて
やりとりを何回かして
コロナ自宅自粛で延期になったりして

やっとお会いすることが出き



メール上のやりとりだけだったけど
ぜひお会いしたいと言ってくれて

メールの文面だけで人柄が伝わることはないけども
せせらぎさんは愛に溢れた人だと
文面だけで伝わりました
だからお会いしたかった



そう言ってくれた
本当に嬉しかった





その取材を受けて

六本木のシナモンロールのカフェで
泣きました
泣きながらシナモンロールを頬張りました


20211101_1




私は
素敵な人ではなかった




そう
まーくん生前の私を知っている友人は言いました(タッチね)




それが
もう
文字面だけで愛が滲み出ちゃうようになった。笑




人が好きになった
話をすることが好きになった
全てのものが愛おしく感じるようになった

新しい経験をしたくて仕方がなくて
周りには沢山の人がいてくれて
愛している人が愛してくれる人が沢山いる


わがままに自由に生きられるようになった

自由に勝手に生きているのに
人の温かさを感じられるようになった









これは
まーくんがくれた人生


かけがえのない人生








まーくんが死んだことは悲しい
涙は今でも出る

でも

この悲しい涙に
温かい涙が滲むようになった 



こんなに
温かく
愛の溢れた
人生をくれた

私に生きがいと可能性を残してくれた



 
この「ありがとう」は
まーくんに届くだろうか 


空の向こうにいる
心の中にいる
まーくんに届くだろうか






私は
素敵な日々を過ごしているよ

苦しくて悲しくて
涙を流しながらも

人の温かさと優しさに触れ
頑張らざるを得ないから
頑張れる自分がいて

頑張ってきたから得られたものが
いっぱいあって

繋げたもの
繋がったものがいっぱいある






人生は素晴らしい
儚く脆く
そして愛に溢れている 




ありがとう



沢山のものを残してくれて
ありがとう


20211101_2



↓まーくんがついているんだ
私の人生素晴らしいものにならないわけがない



↓ここからが第一歩!
有料マガジン本日刊行しました!
すでに何人か購買していただいていて…涙
あ、動線とか詳細とかはまたお伝えします!




**************** 
今ならKindle unlimitedで期間限定読み放題中!
『旦那が突然死にました。』

旦那が突然死にました。
著者:せせらぎ
エムディエヌコーポレーション
2020-08-24

サンプルこちら
(一章分、配信しています)

****************  

●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら


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私はライブドアさんでブログを始め、始めてから毎日書いているのですが今年、死んでしまった旦那のまーくんの実家に死んで以降初めて帰省しようとその前に改めてまーくんとの最後の時をちゃんと振り返って心に留めようと別ブログで回想をしています。利用しているのはアメブ ...

私はライブドアさんでブログを始め、
始めてから毎日書いているのですが


今年、
死んでしまった旦那のまーくんの実家に
死んで以降初めて帰省しようと

その前に改めて
まーくんとの最後の時をちゃんと振り返って
心に留めようと
別ブログで回想をしています。


利用しているのはアメブロさん。



「ブログをしているんだ」と言うと
必ずと言っていいほど
「アメブロ?」
と聞かれます。


くらいの認知度のアメブロ。

利用者数が圧倒的に多い。
と認識していました。


利用を始めてからの私の認識…



利用者数多っ



私がコツコツこちらで800記事ほど書いてきたのに(800記事!)
アメブロで書いた30記事ほどが
軽々とこちらの閲覧数を超えてきました。笑


圧倒的にでかい母体。

そんなアメブロで全体で一位になったんですぅぅう〜!!!

スクリーンショット 2019-09-01 13.17.54


一位だよ!?
すごくない!?



なぜかは謎だけど…
もしかしたら手違いかもだけど。笑


きっともうないだろうから
記録として残したくて記事にしましたの。


アメブロでは死別した時のことを回想しているだけで
私が何を感じどう生きてきたかはこちらで書いています。

だからここで書いておきたかった。



セカンドハウス買っちゃったもんだから


大金が無くなって心細くて(買うなよ!)


子供への遺産の渡し方で
同い年の子がもてないくらい持ってるって書いちゃって(書くなよ!)


実際さほどないのに(でも同い年(5歳)の子が持てないくらい持ってるよ!)
勘違いで誘拐されらどうしようと
日和って文章書き換えたり


女子供世帯だから強盗に入られたらどうしようとか
(ご近所仲良いから守ってくれるさ!)

なんだか不安になっている時だったから嬉しかったのです。



応援してくれている人がいるんだぁ。
と勝手に力を貰いました。



と同時に、こちらで書いた閲覧数UPの目標。




達成しました!
100万PV超えました!

7月に宣言して8月に超える…
(あぁ、本当、みなさま1日100ページほど読んでくれたのですね。)


さらに
アメブロも颯爽と超えました。
(30記事もないのに…すごいなアメブロ…)

なのでWミリオンです!




これも全て読んでくださっている方がいるから。


本当に本当に感謝しかないです。




アメブロの回想はやっと
まーくんの死の知らせを受ける日まで来ました。


本当は義実家に行くまでに書き終えたかったけど
この調子だと年内かかるな。笑


それでも書いていて良かったです。
改めてあの時のことを振り返ると

蓋をして見ないようにしていたけど

なんだかもう
なるようにしてなったんだなと
どうしようもなかったじゃないかと
客観的に考えることも出来ました。

それだけでも
彼の故郷へ行く勇気になる。



悲しいこともある
泣いてしまうこともある
立ち上げれない時もある

それでもたまに
嬉しいこともある!

それが人生か!



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私は旦那が死んだ時よりブログを書いています。まーくんが死んで二人の幼子たちを残されて仕事をしながら必死に生きてきました。どうしても辛くなる心境やどうにもならない状況や苦しい時もいっぱいあります。時間なんて足りなくて足りなくて大変だ〜。誰か助けて〜!という ...

私は旦那が死んだ時よりブログを書いています。

まーくんが死んで
二人の幼子たちを残されて
仕事をしながら
必死に生きてきました。


どうしても辛くなる心境や
どうにもならない状況や
苦しい時もいっぱいあります。

時間なんて足りなくて足りなくて
大変だ〜。誰か助けて〜!
という状態。


そんな中たまに

「せこせこブログなんか書いてないで
子供達に時間作れよ」


的な言葉を投げられることがあります。



ブログなんか


他の人がどういう理由でブログをしているかなんて知りません。


でも私は大げさでなくブログで生きています。
ここがあったから生きています。


自分の心と向き合うために
死んでしまったまーくんと向き合うために
残された子供達と向き合うために


頭を整理して
どこにも吐き出せない想いを吐き出して

「頑張って」と言ってくれる方がいて
「救われた」と言ってくださる方がいて
ただ耳を傾けてくれる方がいて
どれだけ私が救われてきたか。


そりゃ、ブログもせず働きもせず
お金も使わず
あるものだけでひっそりと暮らすことも出来る。
その時間を全部子供にあげることも出来る。

どこにも吐き出せず
誰にも聞いてもらえず
どんどん籠る生活。

それに希望があるとは思えない。
子供との時間が出来たって、幸せだとは思えない。

お金使ってでも
子供預けてでも
私はブログを書く時間を作ります。


これはセラピーだから。



雨の日も雪の日も
健やかなる時も病める時も
せこせこせこせこ書いてきました。

そのおかげで
読んでくださる方が増え
繋がりができ
世界が広がりました。



本当はもっと時間を割きたい。
もっと丁寧に書きたいし
もっと丁寧に描きたい。

助けてもらった分
誰かを助けてあげたい。(何が出来るかなんてわかりませんが…)



だから私にとって
ブログなんか。じゃないんです。


読んでくださっている方とお会いしたことはありませんが
その見も知らない人たちに
どれだけ支えてもらったか。

もしブログを始めていなかったら
誰にも分かってもらえない世界で一人だった。
周りはみんな愛する旦那さんと家族がいる中で
一人で生きていた。

ぞっとします。



書き記した記事は700を超え
これはいつか、私が死んだ時に
子供達に私の愛を伝えられるものが残せたんだと思います。
(私が死んだら子供達に見せてくれと友人に託しました。)

私がどれだけ
あなたたちの父親を愛し
あなたたちを愛し
生きてきたかという証。

愛する人を失い
どんな想いで今まで生きてきたかという
戦った記録。


だから私は
せこせこせこせこと
この愛と戦いの記録を綴っていきます。


苦しい想いも
幸せな感情も
全てを残した記録。
自分のことながら全部の記事が私は好きです。
下手でも拙くても真っ黒でも。


前置きは長くなりましたが(前置きか!)


ちょいと仕事が立て込んできて
アメブロで回想している記事がしばらく進みそうもないので
とはいえ放置もちょっと嫌だったので、
こちらのブログの更新をしばらく載せることにします。
というお知らせでした。
(それが言いたいだけの記事。笑)


ただ、両方に読者登録してくださっている方もいらっしゃるかと思い
まったく同じ情報が届くのもあれかなと思い
アメブロの方は、ちょうど一年前に書いた記事も載せようと思います。
比較。


1年経ってどれだけ変わったのか。
1年前はどんなことを考えていたのか。
この1年は私にとってどんな時間だったのか。

私もさすがに700記事を超えたら
どんなの書いたか忘れているものもあると思うので
「こんなこと書いてたんだー」と反芻出来てむしろ嬉しい。
一年前の自分と向き合います。
自分の記事に自分で感想を書くという。笑

せこせこせこせこ毎日毎日書いてきたから出来ること。


一年前はドッペルゲンガーの記事書いていました。
最近は子供達との葛藤を書いていますが
一年前はまーくんとの思い出を思い返してた。

一年前の自分に思いを馳せ
積み重ねてきた今を考える。

日記ってすげー。
それをすぐに引っ張り出せるブログってすげー。


ブログってすごいなぁ。
人の命や人生を救うって
そうそう出来ることじゃない。

愛。感謝。ブログ。
読んでくださっている方も
運営してくださっている方も
ありがとうございます。



仕事が忙しくなってきて
しばらくコメント返しは控えていましたが
今回の記事だけコメント返そうと思います。
(感謝、感極まって。)

本当はずっといつも毎日返したいのだけども
もうちょい余裕が出来たら再開します!



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↓今日の記事と一年前の記事と比較してあります。
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まーくんの姪ちゃんの話。まーくんのお兄さんの娘さんです。歳は23歳。になったばかり。けーくんとしーちゃんと、従兄弟の関係に当たります。しーちゃんとなんて21歳差ですけど!まーくんが死んでから、ちょいちょい泊まりに来てくれています。『相棒との思い出』『人生史上 ...

まーくんの姪ちゃんの話。
まーくんのお兄さんの娘さんです。


歳は23歳。になったばかり。
けーくんとしーちゃんと、従兄弟の関係に当たります。
しーちゃんとなんて21歳差ですけど!


まーくんが死んでから、ちょいちょい泊まりに来てくれています。
『相棒との思い出』
『人生史上、最高にきついバーベキュー』
『キックボクシング試合』
『子供達の誕生日』
『多摩美術大学の学祭へ』
など、いっぱい姪ちゃんとの思い出があります。
Facebookを提案してくれたのも姪ちゃんです。(『死んでから旦那と友達になる。』


本当に気のつくかわいい素敵な子。



姪ちゃんと仲良くなったのは一昨年の夏。
地方出身の姪ちゃんが就職活動を都内でするということで
下宿しに来ました。
まーくんの会社にアルバイトをしに行っていたのもあり、約半年泊まり込んでいました。

下宿させてほしいという話が出て、なんの迷いもなく快諾しましたが
その時点で姪ちゃんとは一度会っただけでしたし、
よくまぁ、来たもんだ。そして受け入れたもんだ。笑。

20180108_1

でも明るい気立ての良い姪ちゃん。人見知りの私もすんなり心を開きました。
下宿の夏に私の家族との恒例家族旅行に初対面なのについて来れるほど
コミュ力が半端ないです。
あの半年間はしーちゃんが赤ちゃんの時だったので、本当に助かりました。
まーくんは仕事で忙しいので、手助けはあまりできません。
でも、週末にはみんなで出かけて
子供が寝静まってから3人でまーくんがいれてくれたお茶を飲んでいっぱい話したり
たくさんの楽しい思い出があの半年間にはつまっています。



本当に気のつく頭の良い子で、けーくんとしーちゃんと暮らした半年間で
おかん力だけがバリバリと上がっていってます。
SNSの写真など、子供達と写っているものを使っているのでバツイチ子持ち説が流れるほど。



独身とは思えないおかん力。
どのくらいかというと…
外出先から帰ってくると、言わずも子供達の靴を脱がしてくれます。
普通はここまで。
でも彼女は靴下まで脱がしてくれるのです。(靴下で走り回ったら危ないからね!)
何も言わずとも。
それを自然にしている姪ちゃんを見たときはアッパレと思いました。




あの下宿の期間がなければ、ここまで仲良くはなってないだろうし
下宿した年に死んでたら、彼女の就職活動も妨げていたかもしれない。
これも、まーくんが繋いでいってくれた縁です。
でも、あの半年があったからこそ、叔父(まーくん)との仲も深まり、余計に死が辛いという…


まーくんが死んだ時、連絡が取れなくなったまーくんの様子を見にいこうか?と言ってくれていましたが、
本当に行かせなくてよかった。(『2、あの日 旦那が死んだ日』
衝撃的すぎるでしょ…
うら若き乙女にはトラウマになってしまうレベル…

死んだ直後も、実家に預けている子供達の世話を助けてくれるなど
本当に助けてもらっています。
一緒に旅行したからこそ、私の家族とも仲良しです。






大好きです。
いつまでも仲良くしてね。

20180108_2




私は叔母の立場ですが
気持ち的には同年代!
でも要所要所に時代の差を感じます。笑。いや、悲。
(え?あのタレント知らないの!?みたいな)



下宿をする話が出た時、下宿費をもらうかどうか
まーくんと話してました。
気持ち的にはいらないけど、あったら助かる。
まーくんは
「実はあの時の下宿費は貯めておいたんだよ。」とドラマにありがちなアレをしたそうでした。
私は「一旦もらって、その時に余裕があったら渡そう」と日和るという。笑。

そうこうしている内に、まーくんは死にました。
もう姪ちゃんの助けをすることもできない。
話を聞いてあげることもできない。


だから、やってやりましたよ。
『最後の親孝行』
の時にしたように。
20171208_2


ありがとうの部分を「頑張れ」に変えて。
貰っていた下宿費(食費)を少しだけ抜いて(抜いたんかい!)
最後の姪っ子孝行。
頼れる叔父はいなくなっちゃったけど
叔母は頼れず頼られてばかりだけど
ありがとうの感謝と、頑張れの激励をかねて。


今は彼氏がいないから、出来た日にゃウチに来ることもなくなるのだろう。
その日をドキドキしながら恐れています。
彼氏作らないで。

嘘、素敵な彼氏を作りなさい。
まーくんのお眼鏡に叶う様な。
元気で長生きしてくれる人を選ぶんだよ。


結婚式には呼んでね。まーくんも連れて行くから。

20180108_3

今のところ、しーちゃんを花婿として仮予約しています。
いとこなんで結婚は大丈夫。

そのままいけば
オムツから(しーちゃんの)オムツまで(姪ちゃんの)の付き合いになりますね。
こっちがオムツ替えてたんだから、老後はそっちがオムツ替えてくれみたいな。笑。


↓姪ちゃんと同じように、もう伝えられない思いを私が代わりに伝えました。
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まーくんは死んでしまいました。とても悲しい出来事です。でも私には残してくれたものが沢山あります。家のローンがなくなったのもその一つ。生きてたらもちろん良かったのですが生きてたらローン地獄です。でも、義父母様は息子が死んだだけ代わりに何かを得たものなんて一 ...


まーくんは死んでしまいました。

とても悲しい出来事です。
でも私には残してくれたものが沢山あります。
家のローンがなくなったのもその一つ。
生きてたらもちろん良かったのですが
生きてたらローン地獄です。


でも、義父母様は息子が死んだだけ
代わりに何かを得たものなんて一つもありません。
ただただ、子供が死んだだけ。悲しいだけ。

何かできることはないか考えました。
良かったとまではいかないまでも、少し手助けになることができないか。



義父母様は決して裕福ではありません。
そんな両親もまーくんは気にしていました。
仕送りしたいと言ったり、買い物に連れて行ったり。
仕送りには反対していたわけではないですが、なんせローン地獄。
先が見えない内にこちらの家計から仕送ることは困難です。
やるならまーくんのポケットマネーからやっておくれ。と言っていました。
だから、まーくんも渋っていました。(おい!自分の金は嫌なのか!)



だから、まーくんのポケットマネーをあげることを決めました。
まーくんの口座の、まーくんが好きに使っていいお金。
私が尻を叩いて積立させておいたお金。
割といい額。数十万じゃききません。



全部あげました。

20171208_1


まーくんがいなくなって、私たちの暮らしも決して前のようにはいきません。
でも、何とかなる。
まーくんのお金だから、まーくんの好きなように使って欲しい。
きっとまーくんも喜んでくれる。
元から無かったものだと割り切って、全て渡しました。


仕送りをしたがっていたこと、義父母様を気にかけていたこと
きっと喜んでいるからもらってほしい。
そう話して。


義母様は泣いておられました。
要らない。要らない。と。
貧乏だと思われていたのね。と。笑
私が、「まーくんの気持ちだから貰ってあげて。要らないなら後で寄付でもなんでもして」
と渡すと、泣いて受け取られました。
「半分は私ちゃんにあげる。けーくんとしーちゃんにそれぞれ貯めてあげて。」
と、半分抜いてくれと言われましたが
そう思うなら、義母様から口座に入れてあげてくれ。と言って全額渡しました。

封筒には、私が書いたまーくんのイラストと「ありがとう。」という言葉を添えて…

20171208_2


こんなことしかできないけど
少し潤った懐で、美味しいものを食べて、好きなとこに旅行にでも行って欲しい。
まーくんが死んでしまったからこそ、楽しい経験をたくさんしてほしい。

「ありがとう」って、きっと言っているから。




まーくん、
まーくんの気持ち渡したよ。褒めてくれるよね。
がめつい私がまーくんのお金を手放したよ。
ちゃんとやったから。親孝行できたからね。
20171208_3



ま、死んだことは最高の親不孝ですけどね。


後日、けーくんとしーちゃんの通帳をみると、振り込まれていました。
言っていた額よりも大分少なくなって。笑。
ちょっと残念って思いましたが(思ったんかい!)
豊かな老後を過ごして欲しいと願っています。


↓代わりに親孝行した義両親。本当にとっても仲良しです。

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