きみといっしょに。〜死別。旦那が突然死にました〜

突然天国に行ってしまった旦那のまーくん、そして残された子供達と私の物語。

帰省

まーくんの故郷へまーくんが死んでからの2年越しの初帰省。初めての墓参りも済ませ毎日散歩がてら通いました。なんと12日間。(仕事どうすんだ!)あ、途中の旅行は除きます。何度も通ってまーくんの故郷をまわり思い出を思い出し走って行く子供達を見るあぁ、本当にもうどこ ...

まーくんの故郷へ
まーくんが死んでからの2年越しの初帰省。


初めての墓参りも済ませ
毎日散歩がてら通いました。


なんと12日間。(仕事どうすんだ!)
あ、途中の旅行は除きます。



何度も通って
まーくんの故郷をまわり
思い出を思い出し
走って行く子供達を見る




あぁ、本当にもう
どこにもいないんだ。




そう思いました。
そして、少しだけ吹っ切れました。


寂しさと悲しさは変わらずにあるけども

ここは、まーくんのいない世界で
そこで3人で生きて行くんだ。


まーくんはどこにもいなくて
それでも、いたるところにいて

私から姿は見えないけど
ずっと見守ってくれる世界で生きていくんだ。

私が生きていく世界は
そういう世界なんだ。


そう、すーっと心に落ちました。


自然が豊かすぎるこの場所が
そう思わせたのかもしれません。

あまりにも続く偶然の奇跡が
そう思わせたのかもしれません。

虹を見たのが大きかった。





『生きる』とは『息づくこと』と書きました。



家に帰る前日
テレビでがん患者の「ガンになって良かった」発言から広がったドキュメンタリーをしていました。


若くしてガンになった彼
その発信に励まされたという声や
否定的な声もありました。

それでも自分が発信することで
励まされることがあると言う彼

私もブログを書いてる身として
すごくすごく分かります。


伝えることに賛否両論あると思いますが
それが誰かに届き
広がっていく、誰かの力になることもある。



きっと彼は死ぬでしょう。
彼でなくとも私だって死ぬ。

私の方が早いかもしれない。
私の子供達の方が早いかもしれない。

 
誰でも死にます。



死んだら無になるのか。


それは違うと思う。
姿はなくなってしまうけど
生きたことで誰かの心に残ることが
本当の意味で生きるということなのだと知りました。




だから
テレビの向こうのガンの彼に私ができることは
その場の憐れみでも慰めでも励ましでもなく

ちゃんと彼の声を聞くこと。

私の中に息づかせること。
それが彼を生かす、人を生かすことだと思いました。

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目を見て、心を向けて
自分の中に息づかせる。
それが大事な人であればなおさら。

そうやって
私も誰かの中で生きていけるように。



まーくんの墓参り。

本当は一人で行きたい時もあった。
けどタイミングがなくて
朝行こうと思っていても
眠気に負けちゃって
行けずじまいだったけど

奇跡的に帰宅する日の朝
起きることが出来て、子供達は寝てて
一人で行ってきました。

20191005_2
強い風が吹くこの日
結局一度も線香も手も合わせず

最後まで
ただジッと墓を見ていました。


その足で海に行き
登りたかったけど
怖くて登れなかった防波堤に登り

よりによって強風吹く日に登り
怖いけども先っちょまで行こうと
へっぴり腰で進む。


向かい風は私の人生だと。

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ガタガタ震える足を抑えて
大海原を見てきました。

20191005_4



さぁ、ここからだ。


どう生きていこうか。


どう生きていってやろうか。





最後の墓参りをしていた時に聞いていた
アマゾンプライムミュージック。

流れた曲はTHE YELLOW MONKEYの

『バラ色の日々』


バラ色の日々… うん。悪くない。


生きていこう。
バラ色の日々を。


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↓私の『これから』上昇気流らしいもの!!


↓そういえば、一年前に義父母様と別れたこの日も強風吹きすさぶ日だった。
再出発に強い風が吹く。…偶然かな。

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まーくんの故郷へ彼が死んで初めて行った日。2年ぶりの島根。彼と残念な別れ方になってしまった仲違いが発生した場所。 いつも行く時はまーくんがいたしまーくんは休みの時だったからケンカはしつつも楽しい思い出しかない。毎年一回か二回は帰ってその都度滞在は一週間以上 ...

まーくんの故郷へ彼が死んで初めて行った日。
2年ぶりの島根。

彼と残念な別れ方になってしまった仲違いが発生した場所。



いつも行く時はまーくんがいたし
まーくんは休みの時だったから
ケンカはしつつも楽しい思い出しかない。

毎年一回か二回は帰って
その都度滞在は一週間以上。

色んなところへ行って
美味しいものを食べて
まーくんの思い出を聞いて
親戚たちと宴会をする。


『島根県』をこんなにも知って好きになったのは
まーくんの故郷だったからだし


『家族』というものに深い繋がりを感じたのは
まーくんの家族や親戚に対する想いが深かったから


家族って面倒くさい。と思っていた私に
家族っていいものなんだな。大切にしないといけないんだなと気づかせてくれた。


彼の匂いが残りまくるこの地、彼の実家で
どれだけキツい思いをするのだろうと
行くのがためらわれていた二年間。

20190925_1


私のキツさより
義両親が元気な内に会いたいと思い
息子を亡くした悲しみの中
可愛い盛りの忘れ形見に会わせなくてどうするんだと思い
20190925_2

私の気持ちはほっぽらかして会いに行くことにしました。



いざ空港に降り立ち
義両親の顔を見ると…

20190925_3


涙なんて出なかった。
懐かしさでいっぱいだった。
会えた喜びで顔がほころんだ。

20190925_4

いつも一緒に通った道
まーくんと過ごした実家に着いても…


号泣なんてしなかった。


目頭が熱くなることはあったけど

寂しさより、悲しさより
ただただ居心地がいい。 


まーくんの匂いを感じるこの家で

何の遠慮もせず
泣き、笑い、怒り、まーくんの話が出来る。

だって
この悲しみを世界一共感してくれる2人だから。



実家にはまーくんの写真が至る所で誰よりも飾られ
学生時代に作った作品達も置かれていました。

ご両親の失ってしまった心の穴を感じます。
 


彼らが大切に育てた息子の死。
それは私にも計り知れない悲しみがあるでしょう。

そんな義父母さま達の想いを感じて
改めて結婚して良かったと思いました。


結婚しなければ
私は義父母さま達と家族にはならなかった。
子供達は生まれなかった。

死んでいなくなってしまっただけの息子が
それだけで終わらず
残したものがある、繋げたものがあるということが
悲しみだけで終わらない唯一の救いのような気がしました。

まーくんがいなければ私の両親と、まーくんの両親の繋がりも生まれなかった。


この帰省中に
会社の人達が遊びに来てくれます。(死んで以降毎年墓参りに来てくれてます。)


そんな縁を残したのもまーくんの力。

来てくれる人を私がここで迎え入れることが出来るのも
まーくあってのこと。




何を繋げていくか
何を残していくか
 


どう生きていくか。



まーくんの教えは本当に大きい。
腐って生きていたらダメだ。

まーくんが大笑いして生きてきたように。
そうやって生きていかなくっちゃ。

20190925_6



しばらく彼の実家で過ごします。


けーくんはおじいちゃんとおばあちゃんの事は覚えていて楽しみにしていました。
しーちゃんは、ほぼほぼ初対面感覚。


それでも2人ともすぐに懐いています。


絶対に怒らない
何でも包み込んでくれる柔らかい2人。


夕食の時にけーくんが食べ終わり
スゴロクをしたいと遠くから呼んでいるけど
ご飯中だから無理だよ〜!と拒否ってました。

その時しーちゃんが便意をもよおし
トイレに連れて行き、少し時間が経って戻ると

3人でスゴロクしていました。
食事ほっぽらかして。


どっちかが付き合う。じゃなくて
2人ともやってました。


そういう所大好きです。

20190925_7



しかも義父母さま、度々自分のコマがどこにあるか見失い
サイコロだけ振って進めるのはけーくん。
マスを読むのもけーくん。

という3人だけど、ほぼ1人でスゴロクしてました。笑。


傍でそれを応援し始めるしーちゃん。


家事の手を止めてでも
子供に向き合い遊んでくれる。
そりゃなつくわ。
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しばらくはお世話になります!
今までは何にもしない
ぐーたらゴロゴロの嫁だったけど
多少は動きます!(多少。笑)




そして2年ぶりに訪れた実家は
至る所にプチリフォームやバリアフリー化がなされていて

2年前に渡した割とまとまったお金が
多少なりとも役に立てたかなとひっそり喜びました。
 
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生きることに意気消沈していた義母様。

家が綺麗に整っている
新しいものが増えているのを見て
前を向いて生き出せたんだと安心もしました。

義母様もそう言っていました。
やっと、前に進めるようになったと。



やっぱり来て良かった。
何か大きな気持ちが動くのを感じます。



↓まーくんの最後の親孝行として貯金全額渡してやったぜ!



↓位牌について質問があったのですが、なんだか買ったショップが改装中で今は買えず…(楽天roomにも載せられず…)
ちなみにここに使っているものまとめています!


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まーくんが死んで以降ずっと避けていた彼の実家へ帰ることにしました。飛行機をとりいつもは車で空港に行くけども今回の帰省で派手に飛んでいくお金を考え電車で行くことに。手土産も、幼児2人連れては買えないだろうと考え前もって購入&送ってしまったから安心。重いもの、 ...

まーくんが死んで以降
ずっと避けていた彼の実家へ帰ることにしました。


飛行機をとり
いつもは車で空港に行くけども
今回の帰省で派手に飛んでいくお金を考え電車で行くことに。


手土産も、幼児2人連れては買えないだろうと考え
前もって購入&送ってしまったから安心。

重いもの、ギリギリまで家で使わない物は送っておく。


当日は着いてその日に使う荷物をまとめ
部屋を片づけて出発するだけです。


とはいえ3人分の荷物
そこそこの量です。

今までは荷物はまーくん担当。
2年経った今はもはや何の文句も言わずに私が持ちます。

20190924_1


家を空けるときは
帰った時に気持ちがいいように
綺麗にして出掛けます。


バタバタと荷物の準備と家の片付けをしていて
「掃除機かけて出たいんだー」と言う私の言葉を聞いて


けーくんが何も言わずに掃除機をかけ始めてくれました。(神!)
一通りかけ終わって「けーくん掃除機しといたよー!」と報告してくれます。



けーくんにべらぼうに感謝を伝え
最後に洗濯干しをしている間

「まーくんより役にたつじゃんか。」

とブチブチ言っていました。

20190924_2


まーくんなんて生きていた時は
出発ギリギリまで起きないし
なのに荷物の準備はできてないし
起きないから、こちらの準備も終わらないし
ドタバタでイライラでした。


今は時間に余裕を持って出かける準備ができます。

そんな事を考えていると
突然鳴り出すアンパンマンのおもちゃ。 


20190924_3


うん、まーくんですね。
物申したいのですね。


おもちゃと言葉を交わしましたよね。
「うん。だってそうじゃん!」って。

最後のおもちゃのセリフは
「また遊んでね!バイバーイ!」でした。笑

笑っちゃいましたよね。
20190924_4


今回の旅
出発間際に思い立って
まーくんの指輪をつけていく事にしました。


しばらくはつけてなかったけど
結婚する前には良くつけていた指輪。

代わりにつけようなんて思ったことないけども
指にはめてそれを見た瞬間に
込み上げるものがありました。

まーくんはもうこんなに小ちゃな存在になっちゃったんだなと
私の指に収まるくらい小さなものに。


『一緒にいる』


そう強く感じました。



2年ぶりの帰省。
仲違いが発生した場所。
沢山の思い出を作った場所。

一緒に4人で帰ります。 

中指にはめた指輪を
ギュッと握りながら
時たま溢れそうになる涙を堪えながら。 

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旦那のまーくんが死んでから2年。初めて彼の故郷へ帰ることを決めました。全部の準備を私がしないといけません。まぁ、生前から全部の準備は私がしていましが…帰る日も、戻ってくる日も、飛行機の時間も独断で誰にも相談せずに決めます。1人減ったとて子供が成長したため飛 ...

旦那のまーくんが死んでから2年。
初めて彼の故郷へ帰ることを決めました。


全部の準備を私がしないといけません。
まぁ、生前から全部の準備は私がしていましが…


帰る日も、戻ってくる日も、飛行機の時間も
独断で誰にも相談せずに決めます。


1人減ったとて
子供が成長したため
飛行機の座席3人分、往復。

帰省中、両親連れて旅館に泊まる計画も立て
5人分の宿泊費。

その他諸々出費が募るだろうから

数十万単位でしょう。恐ろしや。


しかも
中期滞在を考えているので
その分、激減する収入。

恐ろしや。



一人で3人分の旅費。

一人で3人分の荷物。


生きていた頃は
やっぱり荷物持ち係はまーくんでした。


今は私の細腕に全部乗っかってます。

20190923_2


ということで
前もって送れる荷物は送っておく。

いつもなら空港で買い込む手土産も
前もってデパ地下で買い込み郵送。


手土産といっても
いつもわんさか大量に買います。
誰に会うかわからない。
お世話になっている人、繋がりが深い田舎暮らし
10数個買って行きます。

荷物持って幼児二人抱えて
直前に買い回るのは無理!!
20190923_1


そして
一つ1000円だとしても1万円。
もっと高いものも買うから数万円。

手土産で数万円!!!!


数万円!!!!?



とんでもない額が今月は出て行きます。

でも、せっかく行くのだから
誰にとってもいい思い出になるように
親孝行してこようと思っています。


ご高齢のご両親は
いつどうなるか分からない。
でなくとも人はいつどうなるかわかりません。

いつでも最後だと思って
最大限で向き合おうと思います。


そんな帰省
数日前からドキドキが止まらないです。


久しぶりにがっつり感じる
まーくんの匂いが残る場所

どんな気持ちになるのか
怖くて避けてきた場所。


いい旅になりますように。 

20190923_3

↓一年前に別れてから、久しぶりに会う義父母様。どんな再会になるのでしょうかね。


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アメブロ更新しました。↓自分で言うのもなんですが本当に私は彼にとってなくてはならない存在だったと思うのです。私がいたから滞りなく上手くいってたと思うのです。そしてそんな私に嫌われた代償はどれだけのものだったのか…↓アメブロで死別時のことを綴り直しています ...


アメブロ更新しました。


↓自分で言うのもなんですが
本当に私は彼にとってなくてはならない存在だったと思うのです。
私がいたから滞りなく上手くいってたと思うのです。
そしてそんな私に嫌われた代償はどれだけのものだったのか…


↓アメブロで死別時のことを綴り直しています。
その理由とアメブロ最初のページはこちらから。


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