それぞれの絶望と未来の光
幸せだなぁ〜
そんなことを思った
休日の午後
私は水場の遊び場のサイドに陣地(レジャーシート)を広げ
二人でキャッキャと水場に遊びに行った子供達を見ていました。
それはもう楽しそうに笑う子供達を見て
幸せな幸福感に包まれます。
わからないけど
周りを見渡す限り
友人とも
旦那とも来ておらず
一人で陣地にいるのは私だけ
何を卑屈になることも
羨むことももなく
心地よく佇んでいました。
なんなら夫婦喧嘩をしている隣の夫婦を横目に
幸せで涙を滲ませていました。
朝に早く起きて
子供達の朝食を用意して
40分かけて
しーちゃんのサッカーの試合に行くため
自転車を漕ぎ
炎天下の午前中まるまる
サッカーの応援。
もしかしたらお昼を公園で食べるかも
暑いし水遊びが出来るところがいいかもと
替えの着替えやサンダルやらタオルやらも
ばっちり用意
炎天下の試合に備えて
ペットボトルを数種用意して
その内数本を凍らしておく
サッカーのお当番だったので
コーチの水も用意
お当番バッグも担ぐ
自転車の荷台が溢れんばかり。
試合が終わり
結構な疲労感を持ちつつも
第二ラウンドの公園(水遊び)へ
三時間いました。
(子供の体力って一体…笑)
子供達が遊んでいる間に
マックを買いに行き
昼ごはんも用意
なんて言うんですか?
もう何の滞りも不満もなく
一人で全部遂行出来る自分に惚れ惚れします。
シングルマザーも6年経つと
板につくもので
どんなに嫌でもスタートを切ってしまった
ひとり親生活は
今、超快適で、超幸せです。
そりゃ寂しい。
ここにいたら(どんなだっただろう)とは思うけど
それを思い描いて
嗚咽を漏らして、心引きちぎられていたあの頃に比べると
さら〜っと思い、少ししんみりする程度になりました。
だって、今幸せだもの。
まーくんがいない世界での幸せがここにある。
私は、そう思えるだけの道のりと時間を過ごしてきた。
一人で、全てのことに対峙して
それだけの長い時間を過ごしてきた。
今、私が立っている場所の
感じることの
幸せなことったらないわ。
まーくんが生きていたらの世界とは
別ベクトルの
幸せな世界を生きています。
あの頃、絶望の真っ只中にいた時は
想像すら出来なかった世界。
一歳と三歳の手を繋いで
どこにいくにも負担が大きすぎて
未来に一筋も希望なんか見えなくて
分かろうとしてくれても
分かってくれる人なんていなくて
孤独と絶望の暗闇にいたあの頃。
未来を考えると
呼吸が出来なくなっていたあの頃。
教えてあげたい。
あの頃の自分に
「幸せだよ」って。
強がりでも、希望でもなく
心から幸せだと思える日が来るんだよって。
そして
それは
『同じ境遇の人との繋がり』があってこそだったと
心から思います。
この絶望、苦しさを
分かったつもりではなく
分かっている人たち(死別者)に
私は支えられてきたのだなと
つくづく思います。
誰も分からない、分かってくれない
誰にも話せないでいたら
今、私はどんな世界を生きていたでしょう。
本当に孤独で一人ぼっちだったら
耐えることが出来ず、頑張ることが出来ず
死んでいたかもしれない。
顔の見えない
ネット上の人たちに
私はどれだけ救われたでしょうか。
状況はそれぞれで
絶望もそれぞれです。
簡単に救われることはない。
でも
簡単ではないからこそ
そこに向き合い、もがき、苦しんだことが
自分の力になっています。
向き合い、もがき、苦しんだ先に
温かい場所がある。
子供がいるからじゃない。
子供がいない時間
美味しい紅茶とケーキを素敵なカフェで食べても
私は幸せで泣くでしょう。
温かい紅茶が心に沁みて
ケーキが美味しくて
泣くでしょう
紅茶が美味しくて泣けるなんて
なんて素敵な人生でしょう。
夕日が綺麗でも
風が心地よくても
私は泣けます。
(自分でもびっくりだ!)
そんな未来を生きているんだよと
あの頃の私に教えてあげたい。
だからそっと教えてあげたい。
今絶望の中にいても
未来なんて何も見えなくても
それで全てが終わったわけじゃないんだよ。
描く未来も
感じる幸せも人それぞれ
自分が終わらせなければ
自分が諦めなければ
ちゃんと自分が応えてくれる。
応えてくれる未来がちゃんとあるから。
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