きみといっしょに。〜死別。旦那が突然死にました〜

突然天国に行ってしまった旦那のまーくん、そして残された子供達と私の物語。

失う

子供達と外食をしている時サラダブュッフェがあるハンバーグ屋さん。突如隣の席でサプライズバースデーが開かれました。お父さんの。推定30代。子供は幼児。誕生日を祝われて照れてるお父さんに手拍子を送りながら涙を滲ませます。その年代の家族を羨ましいとは思わなくなり ...

子供達と外食をしている時
サラダブュッフェがあるハンバーグ屋さん。

突如隣の席でサプライズバースデーが開かれました。

お父さんの。
推定30代。子供は幼児。


誕生日を祝われて照れてるお父さんに
手拍子を送りながら涙を滲ませます。


20190506_1


その年代の家族を羨ましいとは思わなくなりました。
そうでない自分を悲しくは思いますが
同じような子供の時期を、
今は今で楽しく暮らしています。

まーくんと一緒に過ごせた時期もありました。



それより

中年のご夫婦を見ると
キュッとなります。

別の席では思春期を迎えた子供達と食事をしている家族。


その時間はまーくんには無かった。


子供が成長した時。
幼児ではなくなった時の暮らし。
その時間は私達にはなかった。


中年になって
メタボを気にして
シワや白髪が増えて

ちょっと!お父さん!臭いわよ!


などと言う時期。


一緒に仲良く歳をとって
色々なものが衰えて行く時。
お互いバカにしながらも
夫婦の時間が増えて来る時期。


まーくんの落ちぶれた姿を見ることは出来なかった。


どんなになっていたんだろう。
太って臭くてハゲ散らかして来たり…
サロンパスなんか貼り合ったりして…


一緒に歳を取りたかったなぁ。
一緒にサロンパス貼りたかったなぁ。

20190506_2


にしても幼児連れのブュッフェ大変…。

何度何度何度往復したことか。
手が足りない。

やっとこさ自分の取るぞー!となったら
第一陣で運んだ物を食べ終わっての「おかわり!」


さあ食べるぞー!となったらトイレ。


自主性が芽生えて運びたがるし
運ばせたらこぼすし

これなら大丈夫だろう!と
運ばせたデザートのソフトクリーム。
テーブルまであと2〜3m。

流石にその距離で問題は起こらんだろうと、別の物を運ぼうとしたら
瞬間に「ギャーー!」

ええ。やってましたよ。
ソフトクリーム上だけ落としてました。

20190506_3



そして先述の誕生日の家族に助けられました。


方や一人でてんやわんやしてる私と
お父さんの誕生日を家族で祝っているお母さん。

ものすごい劣等感を感じました。
私の心が卑屈になります。

「ごめんなさい。すいません。」
と謝りながら、うつむきながら涙が溢れます。


私には無いその時間を持ってる人達。
余裕と豊かさを感じる。

すごい惨めだった。

20190506_4


いいんだもん。
私の旦那はもう一生歳を取らないもん。


臭くなることも
ハゲることも
太ることもないもん


一生カッコいいまんまだもん!!



…って、まーくん41歳でした。
立派な中年。笑



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私は旦那のまーくんを突然死で失いました。たまにふと「死ぬとかウケる」と笑える時があります。笑っちゃうしかないくらいの状況もういないとか信じられない。もう会えないとか信じられない。大切な人を失うのは、それはもう地獄です。ずっと一緒にいたのにずっと隣にいたの ...

私は旦那のまーくんを突然死で失いました。
たまにふと「死ぬとかウケる」と笑える時があります。

笑っちゃうしかないくらいの状況
もういないとか信じられない。もう会えないとか信じられない。

20181215_2_1


大切な人を失うのは、それはもう地獄です。

ずっと一緒にいたのに
ずっと隣にいたのに

沢山の思い出を作り
沢山の時を重ね

嫌な思いもしたけども
それでもずっと時を一緒に過ごしていた人

20181215_2_2


同じ時間を共有していたらしていたほど、地獄です。
その人が自分にとって大切であればあるほど、地獄です。

心を壊す人がいる。
体を壊す人がいる。

声にならない声をあげて泣いて
行き場のない気持ちに押しつぶされて
半身がもげたような喪失感と痛みを味わいます。


家の中は痕跡で溢れているのに
彼だけがいない。

いつも座っていた椅子にも、向かい合った食卓にも
一緒に入ったお風呂にも、手を繋いで寝たベッドにも、もう2度と姿を見ることはありません。
声を聞くこともありません。

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「今あるものを当たり前と思わず、愛しい日々を大事にしてください。」


私が葬儀の時に喪主として挨拶した言葉の一部です。


幸せなんて、終わる時は一瞬。




『一本の電話』
『一瞬の出来事』
『医師の一言』




 それまでは、いつもと変わらない日々を過ごしていたはずなのに
ある瞬間を境に人生がひっくり返ります。
「事故にあった…」「手遅れです…」「余命は…」


私も一本の電話で人生がひっくり返りました。
同僚からの「脈がない…」そして救急隊員からの「死亡を確認させていただきます。」
健康診断も人間ドッグも問題なかったのに…

姿を見ていない。
信じられない。信じたくない。

でもその電話を境に、一瞬で私は深い闇に落ちました。
私が元いたところは、どんなに明るく幸せで温かかったことか。落ちて気づきました。

どんなに足掻いても悔やんでも嘆いても
それより前に戻ることはできません。



それは誰にでも起こり得ること。
愛する旦那、大事な両親、かけがえのない我が子


母が最近体調がおかしいと父から聞きました。
手足が尋常じゃなくむくんで、固まってしまった奇病。

後になったら何てことはなかったのですが
その電話を受けた時に(あぁ、お母さん死ぬんだ)そう思いました。

もし医師が難病と診断して、回復の見込みなしとなって余命が出たとしたら
それまでのものは一瞬で奪われる。

グランドピアノを弾きたいと言っていた母。
弾かせてあげることができなかった。
引く前に母の指は固まってしまった。
グランドピアノを置ける場所を作ってあげるつもりでいたのにノラリクラリしていたから。

どれだけ後悔することか。

旦那が死んだからって、他の家族が死なない保証なんてない。(確率的に)
死ぬなんて思いもしなかった人が、突然死ぬことがありえてしまう。(病気でも事故でも)



どこか遠くの自分の世界とは違うところの話のように思えますが(思っていましたが) 
死は誰にでも訪れて、その時を知ることはできません。

愛する人がいなくなるのは来年かもしれない。来週かもしれない。明日…なんなら今かもしれない。
それは誰かではなくて、自分かもしれない。


死を免れることはできない。助からない命もある。
だからせめて、今あるものの幸せに気づけたらと思うのです。


一瞬で失ってしまうかもしれないものだから
今ある幸せに気づいてほしいのです。




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↓まーくんが死んだ経緯です。それはある日突然に。よりにもよって喧嘩中に…
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まーくんと結婚して5年。出会って10年。


ある日突然出会って(私の入社で)

その日から毎日一緒に過ごしました。



あまりに密で、あまりに幸せで

私の生きてきた34年の中の10年。

これから生きる数十年の中の10年。

この10年間の方が幻だったのではないかなと思う時があります。



本当はない期間だったけども

最高に幸せな時間、家族4人での時間を神様から特別にプレゼントしてもらったんだと思っています。(思い込もうとしています。)


20180623_2


そう思うとあら不思議。

ちょっぴり辛くない。



もっと長い付き合いの方は、そういうわけにいかないですが、

私はそう思うのです。


これからを失ったのではなく

この10年。

私に幸せな時間をくれる為に出会ったんだ。

そう思いたいのです。


20180623_1


人として一番好きだった、本当に大好きだった。
こんなに素敵な人いない。
そう言ってくれる方が男女問わず関係問わず何人もいます。

そんな人と出会えて家族になれて、一緒に時を過ごす事ができたせせらぎは羨ましさすら感じると。
彼の子供まで授かる事ができた。


 「そんなに嘆くなら彼との時間は無い方が良かった?」
と神に問われたら、間違いなく即答で「NO」


とてもスペシャルな時間だった。
これから先は無いけども
10年だけでもあって無いよりはまし。


良かったじゃないか
一緒にいる事ができて
子供まで残してくれて


良かったじゃないか
たとえそれが短い時間でも


良かったじゃないか
もうずっと心が離れることがなくて



それでも、あればもっとと思ってしまう
人とはなんと業の深い生き物なんでしょう。

せめて小学校入るまで
せめて大学入るまで
せめて就職するまで
せめて結婚するまで
せめて孫が出来るまで
せめて私が死ぬまで

終わりはないんです。
いつだって悲しい。



でもあったはずの未来を失ったわけじゃない。
それは元々ない未来だったから。
いてくれた時間が特別だっただけ。


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