きみといっしょに。〜死別。旦那が突然死にました〜

突然天国に行ってしまった旦那のまーくん、そして残された子供達と私の物語。

ゲーム

母の実家がある和歌山に旅行に行くことになり道中の車内父と母が死ぬ時の話をしています。父は70歳まで働いて2年くらいゆっくりしたら死ぬ予定だそうです。(自然死)それじゃ困るわよ!と言っている母に父(おじいちゃん)が死んだら相当悲しむ甥っ子達(姉も母子家庭なので ...

母の実家がある和歌山に旅行に行くことになり
道中の車内

父と母が死ぬ時の話をしています。

20190903_1


父は70歳まで働いて
2年くらいゆっくりしたら
死ぬ予定だそうです。(自然死)


それじゃ困るわよ!
と言っている母に
父(おじいちゃん)が死んだら相当悲しむ甥っ子達
(姉も母子家庭なので、甥っ子達には絶大なる存在の父)


そんな話をぼんやり聞いていて

不思議だなぁと考えていました。



たくさん働いて
家族を作って
一生懸命に生きて

自分たちが築き上げたものは
いつしか少しづつ離れていって
最終的に死をもってして
何もなくなる。

20190903_5

20190903_6

20190903_7

20190903_8

 20190903_9

20190903_10

 20190903_11
20190903_12
20190903_13


誰が死んでも世界は続いていて
悲しみにくれても
それぞれ自分の人生を生きていく

人生ってなんなんだろう。



先日『ドラクエ』の話をしましたが


人生もRPG(ロールプレイングゲーム)だなと思いました。


リアルな人生だけども
ゲームやんと。



ドラクエってラスボスを倒すために
邁進する話なんですが

それに向かってレベル上げて
武器揃えて
仲間増やしていくのですけども

それまで何十時間、
下手したら何百時間費やして
エンディングを目指すんですけど

終わりを目標にやってきたのに
いざラスボス倒して終わると
呆気ないというか
つまんないというか

あーあ、終わっちゃったな。って…。

20190903_14


終わりを目指してたのに
大事なのは
楽しかったのは
その過程なんですよね。


レベルを上げて
武器を強くして
仲間を増やす。


人の人生も同じだなって。


人はいつ死ぬかわかりません。

でも確実に死ぬし
日々それに向かって生きています。


だからこそ
いつくるか分からないエンディングよりも
過程だなと感じました。

何を職業にして
どんなアイテムを得て
何を着て
どう戦うか。

20190903_15



結局は自分自身のストーリーで
周りに何が起こっても
自分自身の道を歩くことになるんです。


せっかく目をかけて育てたのに
お前そこで死ぬのかよ!とか


20190903_2



ちゃんとバランス考えて仲間増やしたのに
結局ボス戦、私一人やん!とか


どんなクエストをこなしていくか
誰に道を尋ねるか
何を買い
どこを歩くか


ゲームですね。
その過程が楽しければ
いつ死んでも「楽しかった!」で終わるはず。


今一緒にいる子供達も
今は仲間だけど

いつしか道は離れていきます。

こんなに手塩にかけたのに結局一人かい!

20190903_3


それをも楽しんで
新たな仲間を見つけるのか
一人でどんどん強くなるのか

どの道を選択したら
楽しめるのだろうと
ワクワクして進んでいきたいです。


大事なのは終わり方じゃない。
ラスボスが何なのかでもない。

それに至るまでの時間が
どんなものだったのかが一番大事。


ゲームと違って一回きりです。

セーブも
ロードも
リスタートもない。


自分の物語が
一体どんな話なのか
選択するのは自分ですね。

ゲームだと思ったら
何だかどれもこれも
大したことないように思えます。


バッドエンディングにならないようにしなくっちゃ!

20190903_4


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

 クリック蘭


  ↓応援ポチッといただけると嬉しいです。
 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ


  ↓LINEで読者登録。

blogreader_201903_2


  ↓旦那が死んで買い物魔と化した私の買ったもの。
   どんどん増えていくでしょう。

rukuten_room20190411