もし死ぬことがない世界だったら
命について考えるシリーズ↓<第一回>第三回目のテーマ『もし死ぬことがなかったら』 私は最近「にっちもさっちもいかなくなったらこの世界を終わればいい」そう言います。別に最近に限ったことじゃなくてまーくんが死んでからずっと思っています。しがみつかなくたってい ...
命について考えるシリーズ
↓<第一回>
第三回目のテーマ
『もし死ぬことがなかったら』
私は最近
「にっちもさっちもいかなくなったら
この世界を終わればいい」
そう言います。
別に最近に限ったことじゃなくて
まーくんが死んでからずっと思っています。
しがみつかなくたっていい。
みんな死ぬのだから。
事故であろうと
病気であろうと
自死であろうと
(事件はちょっと別の話になると思うけど…)
一つの生命の終わりなだけ。
そんな話をすると
皆んな「ダメダメダメ!」
と止めにかかってくるけども
明確に根本的に
『生きなければいけない理由』を
説ける人はいないと思う。
死ぬことへの恐怖
不老不死を謳うもの
みんな死ぬのが嫌だ。
死なれるのが嫌だ。
でも
考えてみて?
誰も死なずに
自分も永遠に生きる世界。
地獄かと思うよね。
それは
「まーくんが死んでいないから」とかじゃなくて
変わることのない永遠って
キツイと思う。
大切な人には死なないで欲しいし
自分が死に向き合うことを考えたらドキドキする。
でも
永遠に生きなければならない方が
苦しいと思う。
つまらないと思う。
以前にまーくんとゲームセンターで
コインゲームをしていた時
どんどん減っていく手元のコインに
一枚一枚魂込めて投入して
あぁ入った!あぁ無駄にした!とヒリヒリしてた。
「あぁ、もっと欲しい!」と。
そんな時
ある親子が、先に帰るからと
余ったコインをくださいました。
大量に。
スッゲー大量に。
あんなに欲しかったコイン!
もう
その後のゲームは
クッソつまんなかったよね。
(親子には感謝ですよ!一時の富豪感を味わえた!笑)
うわーい!嬉しい!!と飛びついて
ウッキウキで使い始めたけども
減るも増えるも
もうどうでもいい。
だって、手元にいっぱいあるんだもの。
もはや無心でコインを投入するだけの惰性。
ヒリヒリもドキドキもワクワクもしなかった。
無くなりそうだから
足りないから
それを大事に出来たんだ
終わりがあるから
限りがあるから
この世界は輝いていて
命には重みがある
失った命に悔いて
今あるものを大事にするのだと思う
命の時間には限りがある
この世界には終わりがある
どんな終わり方であろうと
それをちゃんと見つめていると
今の『生』をしっかりと感じられる。
だから
私が死ぬ話をするのは
生きる話なんだよ。
終わりを覚悟して
今を見つめているんだよ。
大切な人が死ぬことの
苦しみと悲しみと
学びは大きい。
死ぬことがない世界だったら
きっともっと
この世界は荒れていると思う。
必ず失ってしまうから
大切にしようと思うし
大切にしなくちゃいけないのだと思う。
死ぬことは悪いことじゃない。
もし
悪いことがあるのだとしたら
それは
死ぬまでの時間を
大切にしなかったこと
それを
自分に戒める。
『今』は永遠にあると思ってた。
『人が死ぬこと』は
知識としては知っていたけど
ちゃんと分かってはいなかった。
『(自分の周りは)死ぬことはない世界』だと思ってた。
そう思う感覚もなく
生きていることが当然のごとくだった。
でも
確実にこの世界は『死ぬことのある世界』であって
100%の人が死んで
だからこそ
儚くて切なくて
愛しいのだと思う。
死を見つめたから
私の目にはキラキラと
『生きることが』輝いているのだと思う。
死ぬことがあって
『そういう世界』で良かったのだと思う。
****************
<書籍発売中>『旦那が突然死にました。』
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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『もし死ぬことがなかったら』
私は最近
「にっちもさっちもいかなくなったら
この世界を終わればいい」
そう言います。
別に最近に限ったことじゃなくて
まーくんが死んでからずっと思っています。
しがみつかなくたっていい。
みんな死ぬのだから。
事故であろうと
病気であろうと
自死であろうと
(事件はちょっと別の話になると思うけど…)
一つの生命の終わりなだけ。
そんな話をすると
皆んな「ダメダメダメ!」
と止めにかかってくるけども
明確に根本的に
『生きなければいけない理由』を
説ける人はいないと思う。
死ぬことへの恐怖
不老不死を謳うもの
みんな死ぬのが嫌だ。
死なれるのが嫌だ。
でも
考えてみて?
誰も死なずに
自分も永遠に生きる世界。
地獄かと思うよね。
それは
「まーくんが死んでいないから」とかじゃなくて
変わることのない永遠って
キツイと思う。
大切な人には死なないで欲しいし
自分が死に向き合うことを考えたらドキドキする。
でも
永遠に生きなければならない方が
苦しいと思う。
つまらないと思う。
以前にまーくんとゲームセンターで
コインゲームをしていた時
どんどん減っていく手元のコインに
一枚一枚魂込めて投入して
あぁ入った!あぁ無駄にした!とヒリヒリしてた。
「あぁ、もっと欲しい!」と。
そんな時
ある親子が、先に帰るからと
余ったコインをくださいました。
大量に。
スッゲー大量に。
あんなに欲しかったコイン!
もう
その後のゲームは
クッソつまんなかったよね。
(親子には感謝ですよ!一時の富豪感を味わえた!笑)
うわーい!嬉しい!!と飛びついて
ウッキウキで使い始めたけども
減るも増えるも
もうどうでもいい。
だって、手元にいっぱいあるんだもの。
もはや無心でコインを投入するだけの惰性。
ヒリヒリもドキドキもワクワクもしなかった。
無くなりそうだから
足りないから
それを大事に出来たんだ
終わりがあるから
限りがあるから
この世界は輝いていて
命には重みがある
失った命に悔いて
今あるものを大事にするのだと思う
命の時間には限りがある
この世界には終わりがある
どんな終わり方であろうと
それをちゃんと見つめていると
今の『生』をしっかりと感じられる。
だから
私が死ぬ話をするのは
生きる話なんだよ。
終わりを覚悟して
今を見つめているんだよ。
大切な人が死ぬことの
苦しみと悲しみと
学びは大きい。
死ぬことがない世界だったら
きっともっと
この世界は荒れていると思う。
必ず失ってしまうから
大切にしようと思うし
大切にしなくちゃいけないのだと思う。
死ぬことは悪いことじゃない。
もし
悪いことがあるのだとしたら
それは
死ぬまでの時間を
大切にしなかったこと
それを
自分に戒める。
『今』は永遠にあると思ってた。
『人が死ぬこと』は
知識としては知っていたけど
ちゃんと分かってはいなかった。
『(自分の周りは)死ぬことはない世界』だと思ってた。
そう思う感覚もなく
生きていることが当然のごとくだった。
でも
確実にこの世界は『死ぬことのある世界』であって
100%の人が死んで
だからこそ
儚くて切なくて
愛しいのだと思う。
死を見つめたから
私の目にはキラキラと
『生きることが』輝いているのだと思う。
死ぬことがあって
『そういう世界』で良かったのだと思う。
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