10、『四十九日』 怒りを掃除にぶつける
↑最後に公の場で死に向き合ったのは火葬の時。久しぶりの法要行事です。私は天邪鬼です。ものごとを素直に受け取れないというかみんながやってるから良い。と思えないというか自分で納得しないと進めないんですよね。まーくんが死んだ時の流れもあれよあれよと通夜と葬儀に ...
↑最後に公の場で死に向き合ったのは火葬の時。
久しぶりの法要行事です。
私は天邪鬼です。
ものごとを素直に受け取れないというか
みんながやってるから良い。と思えないというか
自分で納得しないと進めないんですよね。
まーくんが死んだ時の流れも
あれよあれよと通夜と葬儀に火葬。
疑問すら持てないスピーディーな展開でした。
少し時間が経って考える時間が増えると
「なんで線香あげるんだろう」「なんで通夜と葬儀別なんだろう」
と天邪鬼がにょきにょき顔を出します。
昔は死んだ判断が難しくて、息をふき返したりすることもあったから
1日猶予つけたらしいです。それが通夜…
きっかけは初盆について話した時
8月がいわゆるお盆だと思ってたのですが(お盆休みって8月だし)
母が東京は7月にするはずと言いました。
坊さんに聞いてみると、7月は収穫や祭りなんやで地方は忙しく8月になったそう。
関東はそんなことなく7月になったそうな。
確かこんな。
よくわからない。
こっちの都合でどっちにしてもいいんかい。
仏教だけにしても宗派によってもいろいろあるだろうし
キリスト教やら別宗教になったら、それこそ死後のスケジュールは違うだろうし
ちょっと気になって調べたらこんな感じ
『仏教』
死後49日後、次に生まれ変わる場所が決まる。(この世、地獄、天界など)死後の世界はない。
『キリスト教』
最後の審判の日に復活して(生きた状態で)審判を受け天国か地獄か決まる。
審判を受け、復活の日までを天国で過ごす。
『ユダヤ教』
死ねば終わり。死後の世界はない。
最後の審判によって、異教徒などが滅んだ後死者は生前の姿で復活する。
『イスラム教』
魂は埋葬の次の日に肉体を離れ、終末の日まで定めの場所か、牢獄に閉じ込められる。
もうよく分からない。
解釈とかいろいろあるだろうし、各々を信じている人がいるので
それはそれで良いのですが…
なんか、こっちの気持ち次第かい!みたいな。
結局はこちらがどう思うかであちらのことは分からないんですよね。
死んだ人と、残された人が別宗教だったらどうすんだろう。
お墓だって、
なんで入る人に決まりがあったり(一つの筋の家系しか入れないとか)
散骨にお金がかかったりするんだろう。(埋葬費だって。庭の木に撒いてもとられるとか)
誰かが勝手に決めたルールに疑問を持たずにいられない。
そんな天邪鬼…
悶々と言っていたら、母に「ほんと嫌な子!」って言われました。(そんな言い方しなくたって。涙)
もともと宗教を大事にして生きて来たわけじゃないのに
こんなことになって、突然やらなければいけない感じになっていく…
なんかもう良く分からない。
そんな四十九日。
仏教ではこの日までこの世にいて、この日に次に生まれる世が決まるらしい。
なんだかすごくムシャクシャした気持ちがくすぶっていて
どうにもならないから
めっちゃ掃除しました。
この世が最後の日なら、綺麗な家から送り出してやろう。
一人で黙々と掃除していると
法事に集まっていた親戚らが「私もやるよ」「私もやるよ」と
なんだか大掃除に。笑。
四十九日法要も粛々と終わり
晴れてまーくんは旅立ちました。(仏教でいうなら)
でも死後のことは誰も分からないし、
家にまだいるかもしれませんし、死んですぐにいなくなったかもしれません。
天国も来世もないかもしれない。
死んだら終わりなのかもしれません。
一つ確実なことは
『心の中にいる。』
ということだけ。
思い出せば、そこにいてくれる。
もう触れないし、話せないけど
不確かな死後を思うより、確かだった過去を大事にしたいと思うのです。
にしても、「いつでも見ててくれるよ。」というセリフを良く耳にしますが、
プライバシーなし!?とまーくんが死んで思いました。
今はちょっと見られたくない!みたいな時もあるでしょう。
そうすると、都合の良い時だけ呼び出して見ててもらうのかしら。
それって、やっぱりこっちの気持ち次第…
ほんと死んだらどうなるんでしょうね…
誰か教えて…
↓そして月日が経って一周忌。
こんなにも強くなれるものか。一年頑張った自分に乾杯。
世の片隅にこんな家族がいるんだと
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久しぶりの法要行事です。
私は天邪鬼です。
ものごとを素直に受け取れないというか
みんながやってるから良い。と思えないというか
自分で納得しないと進めないんですよね。
まーくんが死んだ時の流れも
あれよあれよと通夜と葬儀に火葬。
疑問すら持てないスピーディーな展開でした。
少し時間が経って考える時間が増えると
「なんで線香あげるんだろう」「なんで通夜と葬儀別なんだろう」
と天邪鬼がにょきにょき顔を出します。
昔は死んだ判断が難しくて、息をふき返したりすることもあったから
1日猶予つけたらしいです。それが通夜…
きっかけは初盆について話した時
8月がいわゆるお盆だと思ってたのですが(お盆休みって8月だし)
母が東京は7月にするはずと言いました。
坊さんに聞いてみると、7月は収穫や祭りなんやで地方は忙しく8月になったそう。
関東はそんなことなく7月になったそうな。
確かこんな。
よくわからない。
こっちの都合でどっちにしてもいいんかい。
仏教だけにしても宗派によってもいろいろあるだろうし
キリスト教やら別宗教になったら、それこそ死後のスケジュールは違うだろうし
ちょっと気になって調べたらこんな感じ
『仏教』
死後49日後、次に生まれ変わる場所が決まる。(この世、地獄、天界など)死後の世界はない。
『キリスト教』
最後の審判の日に復活して(生きた状態で)審判を受け天国か地獄か決まる。
審判を受け、復活の日までを天国で過ごす。
『ユダヤ教』
死ねば終わり。死後の世界はない。
最後の審判によって、異教徒などが滅んだ後死者は生前の姿で復活する。
『イスラム教』
魂は埋葬の次の日に肉体を離れ、終末の日まで定めの場所か、牢獄に閉じ込められる。
もうよく分からない。
解釈とかいろいろあるだろうし、各々を信じている人がいるので
それはそれで良いのですが…
なんか、こっちの気持ち次第かい!みたいな。
結局はこちらがどう思うかであちらのことは分からないんですよね。
死んだ人と、残された人が別宗教だったらどうすんだろう。
お墓だって、
なんで入る人に決まりがあったり(一つの筋の家系しか入れないとか)
散骨にお金がかかったりするんだろう。(埋葬費だって。庭の木に撒いてもとられるとか)
誰かが勝手に決めたルールに疑問を持たずにいられない。
そんな天邪鬼…
悶々と言っていたら、母に「ほんと嫌な子!」って言われました。(そんな言い方しなくたって。涙)
もともと宗教を大事にして生きて来たわけじゃないのに
こんなことになって、突然やらなければいけない感じになっていく…
なんかもう良く分からない。
そんな四十九日。
仏教ではこの日までこの世にいて、この日に次に生まれる世が決まるらしい。
なんだかすごくムシャクシャした気持ちがくすぶっていて
どうにもならないから
めっちゃ掃除しました。
この世が最後の日なら、綺麗な家から送り出してやろう。
一人で黙々と掃除していると
法事に集まっていた親戚らが「私もやるよ」「私もやるよ」と
なんだか大掃除に。笑。
四十九日法要も粛々と終わり
晴れてまーくんは旅立ちました。(仏教でいうなら)
でも死後のことは誰も分からないし、
家にまだいるかもしれませんし、死んですぐにいなくなったかもしれません。
天国も来世もないかもしれない。
死んだら終わりなのかもしれません。
一つ確実なことは
『心の中にいる。』
ということだけ。
思い出せば、そこにいてくれる。
もう触れないし、話せないけど
不確かな死後を思うより、確かだった過去を大事にしたいと思うのです。
にしても、「いつでも見ててくれるよ。」というセリフを良く耳にしますが、
プライバシーなし!?とまーくんが死んで思いました。
今はちょっと見られたくない!みたいな時もあるでしょう。
そうすると、都合の良い時だけ呼び出して見ててもらうのかしら。
それって、やっぱりこっちの気持ち次第…
ほんと死んだらどうなるんでしょうね…
誰か教えて…
↓そして月日が経って一周忌。
こんなにも強くなれるものか。一年頑張った自分に乾杯。
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