死ぬ以前から考えていたことがあります。
夫婦になって歩く、人生という道。
その道の歩き方。


病める時も健やかなる時も一緒にいる人。
同じ困難に直面し、喜びを分かち合う人。
多くの時間を共にし、手に手を取って生きる人。

どんなに同じ時間を過ごそうとも
どんなに多くのことを共有しようとも

同じ道を歩いているわけではない。
彼は彼の道を歩いてるんだ。
そう思っていました。
だから元々別れてはいたんですけどね。

同じ方向にのびる限りなく近い道。
でも自分のものではない違う道。

落ちている石ころも壁も、立ち向かうのは彼。私から見えていても、実際に直面し、乗り越えるのは彼。
たまには二人で乗り越えるほどの大きな山に出会うかもしれませんが、彼の道に落ちているものや出会うものに何かを思い考えるのは彼です。私ではない。

遠くに見えていて自身が気づいてない困難があったら、お互いに教え合って、転んだら助け合って、限りなく似たような道でも別の道を歩いているんだ。
そう思っていました。

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だからまーくんの人生に助言はするものの口出しはせず
どんだけ飲んで帰って来ようとも(帰って来なくとも)
子供を置いて遊びに行こうとも
タバコや酒、不摂生、不衛生、金遣い
一度も文句は言いませんでした。
それはまーくんの人生だから、好きにやりなはれと。

もちろん、それで約束を破ったり、家族の時間や気持ちをないがしろにする事があれば、
それは私の人生への負の関わりなので文句たらたらです。

でも、彼のためを思って。だとか
押し付けるようなことはしませんでした。
だから早死にしたんですけどね。
でも、だからこそ口を出さなくて良かった。好きに生きてもらえて良かった。



彼は早々に人生のゴールをしました。
やっぱり違う道を歩いていたんだと実感します。

私の人生の中で、まーくんと寄り添った道はほんの少しの期間。


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これからの時間を考えると、寄り添ってない道の方が多い。
黙々と歩こうと思います。
たまに道端の花を愛でながら。
降り注ぐ太陽と風を全身で感じながら。

たまに、もうない隣の道に目をやり
もし、今も続いていたらどんな道だっただろうと想像しながら。


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今は、けーくんが自分の道を歩き始めました。
まだまだ抱っこの時もありますし、私の後ろをついて歩いていますが、
私の知らない出来事も増え、それにおいて彼だけで感じることも増えてきています。
彼に起こる出来事を全部把握し、危険を全部取り除き、私の監視下で生きていない限り、もう自分の道です。まだ4歳といえど。

夫婦の道は限りなく寄り添って、ずっと続きますが、子供の道はどんな感じに関わるのでしょう。

こんなかな?
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まだ同じ道を歩いてる内に、
石ころの避け方、転び方、転んだ時の立ち上がり方。
楽しく歩いていけるように、教えてあげられることは全部教えてあげたい。
そして
道が離れた時に、口出さずそっと見守れるようになりたい。(子離れできるか!?)
私がゴールするその時まで。
まーくんに会いに行くその時まで。


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人生を共に歩く靴ははき心地が一番。
なんでパンプスってこうも疲れるんだろう。痛いんだろう。
雑誌にすごい取り上げられてる。
どんななんだろう。どんだけすごいんだろう。

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