保育園から迎える帰りに、救急車が停まっていました。
救急車だとか消防車だとかが大好きな子供達はキャッキャしていましたが、私はなんだか心が重い。

救急車とすれ違うことは多々あって、なんとも思っていなかったのですが
今回は、どこかのお宅に救急に行ってる模様。
ランプだけ光って、誰も乗っていませんでした。

すぐ隣を通り過ぎる。

(ウチにもこうして、停まってたんだろうな)



死亡の報告を受け私が到着した頃には、救急車はいませんでした。
もう、手の施しが出来る状態ではないからと。(『あの日 旦那が死んだ日』


呼吸が止まっている。死後硬直が始まっている。病院には連れていけません。
と、言われたのに「分かってますけど、連れて行ってください」と意味不明なことを言ったり…


今のこのお宅では救命が施されて、なんとかなるのかもしれない。
まーくんにはなにもしてあげられなかった。








…助けてあげたかった。







助からなくとも、運命に争ってあげたかった。やれるだけのことはやったんだよと。
それでも助けられなかったんだと。


何もしてあげられなかった。
助けることも。
そばにいることも。


人生は苦行だ。でも光はある。
辛い辛い今でも、幸せはある。

まーくんがもし一命を取り止めて、障害が残ったとしても、辛い辛い日常が待っていたとしても、
それでも、その中にも幸せはあったはず。
こんな苦行がある人生でも、きっと「生きたかった」そう言うと思う。


助けてあげたかった。
まだまだやりたいことが沢山あったはず。




助けてあげられなくて、ごめんね…




私は1ミリも悪くないけど謝らずにはいられない。

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そんな夜、
テレビのニュースで
相撲巡業中に土俵の上で挨拶をしている最中に倒れた人の事を報道していた。
大勢の人を目の前にして倒れた。
ニュースはその後の
人命救助の為に土俵に上がった客の看護師さんが女性だった為
人命救助中にも関わらずアナウンスで
「女性の方は土俵から降りてください」(相撲の格式上)と言われていた問題。というものだった。

世の中の人は、この出来事に非難をあびせ、あーだこーだ言っていたけど
私はそんなことはどうでもよく「羨ましい」と思っていた。

みんなの前で倒れたことが羨ましい。
倒れた瞬間にみんなが助けてくれて
その人は一命は取り止めたらしい。(今の状態は分からないけど)

羨まし過ぎる。


まーくんは1人で倒れた。


誰も助けてくれることもなく。


倒れた場所が違ったら結果は変わっていたかもしれない。
でも、助けられなかったのなら
大好きな家の中で安らぎながら逝ったのだとしたら
これはこれで良かったのかなとも思う。



でも

助けてあげたかった。

もしこの先、私との人生が別れることがあっても
どこかで生きていて欲しかった。生かしてあげたかった。
やりたいことをやって、食べたいものを食べ、たくさん笑って人生を謳歌して欲しかった。


できることなら、私と一緒に。
もう叶わぬ願い。


死んでよかったんだと思う。(人生は苦行で天国は良いところだから)
生きていてよかったんだと思う。(それでも幸せはあるから)
矛盾だらけ。


ただ


ただただ


一緒に生きていきたかった。



それだけ。


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