実家に子供達と行っている時
子供達はお風呂をじーじと入り
久しぶりに1人でゆっくり湯船に浸かりました。



私、洗顔はすすぎが大事だと思っていて(すすぐで良いのかしら?)
なんの洗顔料を使おうとも、めちゃめちゃよくお湯をかけた日は
さっぱり感が違います。

だから、子供達とお風呂に入る時は
湯船のお湯をひたすらバシャバシャ顔にかけています。
風呂に入る=湯船で顔を洗う=沢山洗うとその分さっぱり
=時間をかけたい=子供達が遊んでても「早く出なさーい」とならない

いつまでもお風呂で遊んでいる子供達も気になりません。
時間が経てば経つほど、その分綺麗になれる時間ができると思って。


久しぶりに1人で入ったので
ここぞとばかりに、いや、いつも通りにバシャバシャと顔を洗う。

湯船も広いし、バシャバシャするのも面倒に感じ
「顔つければいいんじゃね?」と
顔をそっと湯船に浸しました。
湯船を大きな洗面器として。笑

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湯船の中で目を閉じながら
徐々に苦しくなる息を感じながら



あぁ…この先にまーくんがいるんだ。


と思いました。
このまま息をせず死んだら、まーくんに会える。


小さな湯船なのに、目をつぶって見る水の中は
底なんてなく、永遠と続く場所に思えました。

映画『タイタニック』の沈んでいくジャックのように脳裏に浮かぶまーくん。

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私が息をしないだけで、まーくんがいる場所へと続いている。
簡単なことだ。すぐにでも会える。






でも
行けなかった。




まーくんに続いている。そう思ったのに死ぬ事はできなかった。
水の中でも自分が泣いているのが分かりました。

なぜ泣いているのか。

死んだところでまーくんに会えるとは思えないからか。
残される子供達や悲しむ周りの人を思ってなのか。
私の生への執着か。

どれかは分かりません。

死んだら会えると思っていたけど、思っているけど
私が風呂の底へ沈んだとしても、まーくんに会えるとは思えませんでした。
その先にまーくんはいなかった。
会えるかどうかわからないのに、賭けに出る事はできない。子供達を残してまで。


死んだって会えないんだ。
ということは、もう会える事はないんだ。

風呂の中でボロボロ泣きます。
もうどれがお湯でどれが涙なんだか。

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寿命を全うして天国へ行ったら会える気はするんですけどね。
自分から行ったら会える想像ができなかった。


私は生きようとしているのだなと思いました。
悲観して、ものすごく辛い心情でも
それでも、そんな今を捨てることができなかった。



会いたいけどね。
けど、きっと自分で死んだら会えないんだ。
いつになるかは分からないけど
寿命を全うして死んだら、ちゃんと迎えにきてよね。
生きていた頃のように待たせないでよね!すぐ来て!飛んで来て!


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