まーくんが死んだ理由
それは
『虚血性心筋症』
はい。ちんぷんかんぷんです。
まーくんは20代の頃にバセドウ病を患っていて
※バセドウ病
甲状腺異常の病気で、新陳代謝が異常に活発になり
いつでもどこでも寝ていても運動をしている状態と同じ。
いくら食べても痩せて行き(ずっと激しい運動をしている状態なので)
目がどんどん出て来る。らしい。
女性に多い病気(歌手の絢香さんとか)。男性は重症化しやすい。
そんな病気を患っていたらしいです。
私が出会った頃には症状は落ち着いていて、診療も薬もしていませんでした。
この病気は完治することがなく、症状が出なくなっても定期的に検診を受けるべきだそうです。
まーくんは一切行っておりませんでした。症状もなかったので。
まーくんが発症した時、みるみる痩せて行き、目も本当に落ちるようだったそうです。
それはもう、社内で「あいつ絶対に(薬)やっているから、探り入れろ!」とヒソヒソされるくらい。笑
義母様も「本当にもう絶対、お願いだから病院に行って!」と懇願するくらい。
普通の内科では割と判明せず、やっとこさで“バセドウ病”という診断がついたらしいです。
私はそんな話を「ふーん」と聞いていました。
それと関係ありかなしか
まーくんは日頃、割と頻繁に胸が痛くなっていました。
原因は不明。私と出会う前から。もう10年以上。
病院に行っても分からず、“神経衰弱”という診断を出された事もあったようで
積極的に調べるようにはなりませんでした。
病院に行っても、「今痛い!」という時でないと分からないんですよね。
2人の間で、多分 “肋間神経痛” だろうというとこで落ち着いていました。(病院でもそう言われた時もあり)
痛くなったら市販薬のロキソニンなどの鎮痛剤を飲んでやり過ごす。
それが当たり前になっていました。
私はそんなまーくんを「へー」と見てました。
仕事柄不摂生な生活のまーくん。
痛くなる時は決まってなかったものの、割と休日に多く
正直「またか…」という思いでいました。
薬の用意や暖かいお茶を出したり、
その都度対処をしていましたが、心配をしなくなっていたのです。
いつものこと。もう少し自分の体を労わればいいのに。
それがどんなに辛そうでも…
また出かけられなくなった。もういやだ。
どれくらいの痛みだったかはわかりません。
でも、死ぬほどの痛みだったのでしょう。(本当に死にましたし…)
それほどの事なのに、なんで、わかってあげなかったのか。
もっと深刻に受け止めるべきだったのではないか。
気づいてあげられなくてゴメンね。
自分を責めようと思えばいくらでもできます。
でも
すごい高額の人間ドッグにも行かせたし(住宅ローンの繰り上げ返済のため、返済してから病気がわかると残念なので。)
それも会社の人から「それ、大企業の重役が受けるレベルのものだぞww」と笑われるくらいの。
それでも何も出なかった。(ちょっと肥満ですくらい。笑)
というか
まず自分が気づけよ!自分で分からんものが他人がわかるか!
まーくんを責める事もできます。
もう責めたってどうしようもないもの。
「あの時こうしていれば」も「この時そうしていれば」も意味のない無駄な話です。
もう、どうしようもないのだから。
警察署での遺体検案の時に
バセドウ病を患っていたとのこと、代謝異常がずっと水面下で起こっていて
心臓が肥大して、少しずつ少しずつ大きくなってある日突然止まったのでしょう。
本当に一瞬で「あっ!」と思うまもなく逝かれたと思います。
と言われました。
見たところの検案なので、詳しいところは病理解剖(細胞検査)に回されました。
警察での遺体解剖も病理検査も、義母様は不快感をあらわにしていましたが
私は積極的にやってほしかった。
死んでなお、切り刻まれるのは可哀想かもしれないけど
長年苦しんで来たあの胸の痛みがなんだったのか分かる機会だから。
きっとまーくんも知りたいと思うから。
割と時間がかかって、細胞検査の結果が分かりました。
ペロって渡されて、見方なんてわかりません。
『虚血性心筋症』が死因ってことかな?
その原因は『好酸球性冠状動脈周囲炎』で
どうやら『バセドウ病』は進行に影響を及ぼしたかもしれないけど原因ではないと。
細かい主要所見のとこなんて
そりゃもう。更にちんぷんかんぷんです。
でも、バセドウ病ではなかった。
もう一つ病気を抱えていて、徐々にカウントダウンをしていたようです。
病気2つって…病弱か!!
そんななりしてか弱いのか!
胸の痛みが、その病気から来ていたものかは分かりません。
本当に神経痛だったかもしれませんし…
でも、あの日頃の痛みと生きていた生活をしていたおかげで
まーくんの最後の姿が鮮明に想像ができました。
薬を飲んだ形跡、お茶を温めた形跡、
体を温めようとお風呂(シャワー)に入った後
痛みが強くなってきたから
「少し横にでもなるか」と、横になった後
運命の時が来たのでしょう。
まーくんの動きが目に見えるからこそ
いつもの、あの痛みの延長に死があったのだということも分かりました。
それこそ、死ぬほどの苦しみだったのに側にいてあげることができなかった。
目の前で倒れられても辛いです。
見えないところで倒れられても辛いです。
どちらにしても辛いなら
この形が私にとってベストだったのだろうと無理に納得しています。
いつから病気を持っていて、どこから死へカウントダウンをしていたのかも分かりません。
ただ、まーくんの嘘でも健康的とはいえない生活が
そのカウントダウンを早めた事は確かだと思います。
酒を飲んで、タバコを吸い、ご飯は1日食べない時も多々、食べるといえば朝まで飲みに行き、
眠らず、運動せず。
体にいい事は何一つしていませんでした。NG行動ばっか。
早く死ぬとは思ってました。それでも彼の人生だから大して口うるさくもせず
勝手にしなはれと自由にさせてきました。
思っていたよりかなり早く死んでしまいましたけどね。
以前にまーくんが関わったVRの仕事にお邪魔した時
その仕事の責任者のT氏と会ったのですが
T氏は私が会社にいた頃にも働いていて、顔も知っています。
準備を進めてくれているT氏を「T氏っぽいけど、違うかなー?人相が違うかなぁ?でも似てる。」
と半信半疑でいたら、最後に名刺をくれて、やっぱりT氏でした!
以前はワイルドで肉食系のイメージ。今回お会いした時は理系で日陰で生きてます!みたいな感じ。(ひどい。笑)
仕事もきついだろうし、本当に蒼白でした。
お話を聞くと、最近不整脈と診断されたようです。
「俺死んじゃうよー」などと仲間内で話していた一週間後ほどにまーくんが突然死んだらしいです。
健康的に生きないとまーくんみたいに死んじゃいますよ。と伝えると
「わかってはいるけど、この仕事じゃ無理でしょ。
そういう結果になったとしても最後までやっていると思う。それが楽しいから」と言われました。
もし、まーくんも分かっていたとしても、T氏と同じだった気がします。
まーくんは好きな仕事を思いっきりやって、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで
誰に制限されるでもなくパーーッと人生を終えたんだ。
やりたいことが出来ないかもしれない。出来なくなるかもしれない。なんて心を苦しめることなく。
そう思うと少しすっきりしました。
きっと結果は同じだったんだ。
実は姪ちゃんも“バセドウ病”
症状が安定してきたのもあり、地方からの上京もあり、病院の検診を先延ばしにしていました。
こういう状況になってすぐに行きましたよ。
まーくんの事も聞いてもらいました。やっぱり検診には行かないといけなかったそうです。
無理をして働いている人もたくさんいます。
まーくんは姪ちゃんなり他の人なり
誰かの命を救ったんだと思います。
身を呈して守ったのです。
ちょっと体張りすぎですがね。
この検案書を受け取りに行った時。
けーくんと姪ちゃんと行ったのですが
建物もすっきりしていて綺麗な場所でした。
おどろおどろしい雰囲気なんて一つも感じませんでした。
美術館を思わせるような静寂。
平日の美術館好きです。空気がシンとしていて。
今行ったら心が落ち着くかもな。
行きたい!と思いつつ未だ行かず…近々何処かに行こう。
そんな美術館の様な場所。
ところが
突如けーくんが「怖い怖い!帰ろう!」と言い出したのです。
それまではバタバタと走り回ったり、楽しそうにしていましたが本当に突然。
ここには場所柄たくさんのご遺体があることでしょう。
霊魂もそれはそれはいるのではないでしょうか。
良くも悪くも私には見えないので何とも思いませんが
けーくんには何か見えたのかな。
その中にお父さんはいたかい?
ちゃんと探したかい?
↓まーくんのVRの仕事を見に行った時の話
『仮想現実』
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癒された曲や、手続きの話など
死別時に役に立てたらいいなという情報やらを書いています。(情報サイトです。)
文字多めで難しい話もありますがイラストも描いています。
わかりやすく説明している。つ・も・り。
よろしかったらのぞいて見てください。
それは
『虚血性心筋症』
はい。ちんぷんかんぷんです。
まーくんは20代の頃にバセドウ病を患っていて
※バセドウ病
甲状腺異常の病気で、新陳代謝が異常に活発になり
いつでもどこでも寝ていても運動をしている状態と同じ。
いくら食べても痩せて行き(ずっと激しい運動をしている状態なので)
目がどんどん出て来る。らしい。
女性に多い病気(歌手の絢香さんとか)。男性は重症化しやすい。
そんな病気を患っていたらしいです。
私が出会った頃には症状は落ち着いていて、診療も薬もしていませんでした。
この病気は完治することがなく、症状が出なくなっても定期的に検診を受けるべきだそうです。
まーくんは一切行っておりませんでした。症状もなかったので。
まーくんが発症した時、みるみる痩せて行き、目も本当に落ちるようだったそうです。
それはもう、社内で「あいつ絶対に(薬)やっているから、探り入れろ!」とヒソヒソされるくらい。笑
義母様も「本当にもう絶対、お願いだから病院に行って!」と懇願するくらい。
普通の内科では割と判明せず、やっとこさで“バセドウ病”という診断がついたらしいです。
私はそんな話を「ふーん」と聞いていました。
それと関係ありかなしか
まーくんは日頃、割と頻繁に胸が痛くなっていました。
原因は不明。私と出会う前から。もう10年以上。
病院に行っても分からず、“神経衰弱”という診断を出された事もあったようで
積極的に調べるようにはなりませんでした。
病院に行っても、「今痛い!」という時でないと分からないんですよね。
2人の間で、多分 “肋間神経痛” だろうというとこで落ち着いていました。(病院でもそう言われた時もあり)
痛くなったら市販薬のロキソニンなどの鎮痛剤を飲んでやり過ごす。
それが当たり前になっていました。
私はそんなまーくんを「へー」と見てました。
仕事柄不摂生な生活のまーくん。
痛くなる時は決まってなかったものの、割と休日に多く
正直「またか…」という思いでいました。
薬の用意や暖かいお茶を出したり、
その都度対処をしていましたが、心配をしなくなっていたのです。
いつものこと。もう少し自分の体を労わればいいのに。
それがどんなに辛そうでも…
また出かけられなくなった。もういやだ。
どれくらいの痛みだったかはわかりません。
でも、死ぬほどの痛みだったのでしょう。(本当に死にましたし…)
それほどの事なのに、なんで、わかってあげなかったのか。
もっと深刻に受け止めるべきだったのではないか。
気づいてあげられなくてゴメンね。
自分を責めようと思えばいくらでもできます。
でも
すごい高額の人間ドッグにも行かせたし(住宅ローンの繰り上げ返済のため、返済してから病気がわかると残念なので。)
それも会社の人から「それ、大企業の重役が受けるレベルのものだぞww」と笑われるくらいの。
それでも何も出なかった。(ちょっと肥満ですくらい。笑)
というか
まず自分が気づけよ!自分で分からんものが他人がわかるか!
まーくんを責める事もできます。
もう責めたってどうしようもないもの。
「あの時こうしていれば」も「この時そうしていれば」も意味のない無駄な話です。
もう、どうしようもないのだから。
警察署での遺体検案の時に
バセドウ病を患っていたとのこと、代謝異常がずっと水面下で起こっていて
心臓が肥大して、少しずつ少しずつ大きくなってある日突然止まったのでしょう。
本当に一瞬で「あっ!」と思うまもなく逝かれたと思います。
と言われました。
見たところの検案なので、詳しいところは病理解剖(細胞検査)に回されました。
警察での遺体解剖も病理検査も、義母様は不快感をあらわにしていましたが
私は積極的にやってほしかった。
死んでなお、切り刻まれるのは可哀想かもしれないけど
長年苦しんで来たあの胸の痛みがなんだったのか分かる機会だから。
きっとまーくんも知りたいと思うから。
割と時間がかかって、細胞検査の結果が分かりました。
ペロって渡されて、見方なんてわかりません。
『虚血性心筋症』が死因ってことかな?
その原因は『好酸球性冠状動脈周囲炎』で
どうやら『バセドウ病』は進行に影響を及ぼしたかもしれないけど原因ではないと。
細かい主要所見のとこなんて
そりゃもう。更にちんぷんかんぷんです。
でも、バセドウ病ではなかった。
もう一つ病気を抱えていて、徐々にカウントダウンをしていたようです。
病気2つって…病弱か!!
そんななりしてか弱いのか!
胸の痛みが、その病気から来ていたものかは分かりません。
本当に神経痛だったかもしれませんし…
でも、あの日頃の痛みと生きていた生活をしていたおかげで
まーくんの最後の姿が鮮明に想像ができました。
薬を飲んだ形跡、お茶を温めた形跡、
体を温めようとお風呂(シャワー)に入った後
痛みが強くなってきたから
「少し横にでもなるか」と、横になった後
運命の時が来たのでしょう。
まーくんの動きが目に見えるからこそ
いつもの、あの痛みの延長に死があったのだということも分かりました。
それこそ、死ぬほどの苦しみだったのに側にいてあげることができなかった。
目の前で倒れられても辛いです。
見えないところで倒れられても辛いです。
どちらにしても辛いなら
この形が私にとってベストだったのだろうと無理に納得しています。
いつから病気を持っていて、どこから死へカウントダウンをしていたのかも分かりません。
ただ、まーくんの嘘でも健康的とはいえない生活が
そのカウントダウンを早めた事は確かだと思います。
酒を飲んで、タバコを吸い、ご飯は1日食べない時も多々、食べるといえば朝まで飲みに行き、
眠らず、運動せず。
体にいい事は何一つしていませんでした。NG行動ばっか。
早く死ぬとは思ってました。それでも彼の人生だから大して口うるさくもせず
勝手にしなはれと自由にさせてきました。
思っていたよりかなり早く死んでしまいましたけどね。
以前にまーくんが関わったVRの仕事にお邪魔した時
その仕事の責任者のT氏と会ったのですが
T氏は私が会社にいた頃にも働いていて、顔も知っています。
準備を進めてくれているT氏を「T氏っぽいけど、違うかなー?人相が違うかなぁ?でも似てる。」
と半信半疑でいたら、最後に名刺をくれて、やっぱりT氏でした!
以前はワイルドで肉食系のイメージ。今回お会いした時は理系で日陰で生きてます!みたいな感じ。(ひどい。笑)
仕事もきついだろうし、本当に蒼白でした。
お話を聞くと、最近不整脈と診断されたようです。
「俺死んじゃうよー」などと仲間内で話していた一週間後ほどにまーくんが突然死んだらしいです。
健康的に生きないとまーくんみたいに死んじゃいますよ。と伝えると
「わかってはいるけど、この仕事じゃ無理でしょ。
そういう結果になったとしても最後までやっていると思う。それが楽しいから」と言われました。
もし、まーくんも分かっていたとしても、T氏と同じだった気がします。
まーくんは好きな仕事を思いっきりやって、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで
誰に制限されるでもなくパーーッと人生を終えたんだ。
やりたいことが出来ないかもしれない。出来なくなるかもしれない。なんて心を苦しめることなく。
そう思うと少しすっきりしました。
きっと結果は同じだったんだ。
実は姪ちゃんも“バセドウ病”
症状が安定してきたのもあり、地方からの上京もあり、病院の検診を先延ばしにしていました。
こういう状況になってすぐに行きましたよ。
まーくんの事も聞いてもらいました。やっぱり検診には行かないといけなかったそうです。
無理をして働いている人もたくさんいます。
まーくんは姪ちゃんなり他の人なり
誰かの命を救ったんだと思います。
身を呈して守ったのです。
ちょっと体張りすぎですがね。
この検案書を受け取りに行った時。
けーくんと姪ちゃんと行ったのですが
建物もすっきりしていて綺麗な場所でした。
おどろおどろしい雰囲気なんて一つも感じませんでした。
美術館を思わせるような静寂。
平日の美術館好きです。空気がシンとしていて。
今行ったら心が落ち着くかもな。
行きたい!と思いつつ未だ行かず…近々何処かに行こう。
そんな美術館の様な場所。
ところが
突如けーくんが「怖い怖い!帰ろう!」と言い出したのです。
それまではバタバタと走り回ったり、楽しそうにしていましたが本当に突然。
ここには場所柄たくさんのご遺体があることでしょう。
霊魂もそれはそれはいるのではないでしょうか。
良くも悪くも私には見えないので何とも思いませんが
けーくんには何か見えたのかな。
その中にお父さんはいたかい?
ちゃんと探したかい?
↓まーくんのVRの仕事を見に行った時の話
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『せせらぎ通信』はいかが?
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癒された曲や、手続きの話など
死別時に役に立てたらいいなという情報やらを書いています。(情報サイトです。)
文字多めで難しい話もありますがイラストも描いています。
わかりやすく説明している。つ・も・り。
よろしかったらのぞいて見てください。
コメント
コメント一覧 (14)
どうして…もっと…沢山思いました。
今は、それが彼の人生だったのだなと思えるようになりました。
そこからの教訓は自分の健康は自分で守ろうってことですね。そして、守れないものもあると諦めることなのかもしれないな。
為もありますが悔やまれます😔
返事好きでしています。どんな状況も気持ちも、せっかく書いて頂いているのだから受け止めたいのです。そして受け止めて欲しいのです。笑
人生は確かに苦行です。(今まさに体感中!)修行が足りないのか…まーくんより人間力あると思ってたんだけどな。
こうなりゃとことん修行して、120歳くらいまで徳を積んでいきましょうよ!(医学の進歩により)そして積み上げた徳にひれ伏してもらいましょうよ!!
ちょっと長いので、たまに夢に出てきてもらって…
せせらぎさんが おっしゃる通り現世は苦行だとしたら、亡くなった人は 充分に修行を終えたという事ですね。解き放たれて天国で ゆっくりと過ごしているのですね。少し心が軽くなりました。
でも、やっぱり寂しくて逢いたくて、抱きしめて欲しくて仕方がありません。
うーん 私は未だ未だ未熟者です。修行が足りないのですね・・・
少しづつ前進します。
なんだかとっても、人格者!のような旦那様ですね。素敵ですね。
最後の最後まで家族と楽しく過ごされたのですね。それはそれで良かったのではないかな。
本当に惜しい人ばかり早く天国に行ってしまいますね。現世は苦行なのでしょうか。
解き放たれたのかな…
私もどちらかといえば、私の方がメンタル強いので、どちらかだったら私が残って良かったのかな。と無理やり納得。て、どっちも死なないに越したことないのに!
元気が分け合えたのであれば嬉しい限りです。私も元気もらっています。
本当にその通り。自分で気使ってやっていってくださいよ。ですね。
と言いつつ、自分の体は放置しがちなので、教訓にして少しでも異変を感じたら病院に行きましょう。(行ってもわからない事も多々ありますがね。)
結局健康的な生活がやっぱり大事なんですよね。人の振り見て我が振り直せ!
Aコースできっと彼らも満足してますよ。そう思うことにしましょう。
自分の人生、人からとやかく言われたくないですよね。言う権利は立場的に思いっきりあるとは思いますがね。
本人も本当に死ぬまで、きっと自覚がなかったんでしょう。
まーくんも診断されても、きっと自覚せずに同じ様な日々を過ごしていたと思います。
勝手だけどね!口出ししないのも我慢がいります。とまとさんはよくやった!(よくやらなかった!と褒めるべきか?)
にしても息子さん…胸が痛みます。大人ですら身を引き裂かれそうなのに…。子供は買い物したり、好きなとこ行ったりできないですもんね。なにか発散できると良いですね。うぅ可哀想に。でもこればっかりは、大丈夫になる方法を私も知りたいし…堪えるのみですかね…。
死因が原因不明になるんですか!?いろんな状態が重なってということなんですかね…。
説明文もやっぱりちんぷんかんぷんです。でももう厳しいのだな。という感じは見受けられます。直接突きつけられるのも辛いものがありますね。まーくんさんも苦しかったでしょう。そしてお強い方ですね。
病院にかかってたら病気の説明も詳しく聞けたのでしょう。なんせ紙ペラ一枚…。
それもほぼ分からない…。何だかなーと思いますが、診断おりてスッキリしました。(きっとまーくんも)
体調も戻りましたよー!こればかりは防ぎようがなかったので、普通の風邪にはかからない様に予防します!
休日で午前中は子供の野球チームの指導者tして、昼食は親子で楽しく会話をしたのに、本当に信じられなくて・・・お通夜の時の参列者数を葬儀社の方が急遽 椅子を増やして下さり、こんなにお参りの多いのは珍しいと言われました。又、会社の部下の方々が、私と子供達に、いつも子供達の話をしていて、子供達を愛していましたよと。退職した元部下だった方が 何人も来て下さったり、本当に人を大切にする人だった事が後になって分かりました。子供が保育園では保護者会会長・小学校ではPTA会長も引き受け、地域でも色々と参加し消防団員も引き受けたりと、人から頼まれたら何でも引き受けて頑張っていました。
そんな人と地域に役に立つ人を亡くし、私が残った事が反対になれば良かったのにと随分苦しみました。今は完全に吹っ切れた訳ではありませんが、にぎやかな事が大好きだけど、寂しがりやの彼に、配偶者の死という辛さの体験をさせなくて良かったと考えています。
突然すぎて頭では理解しているのですが、心は受け入れていないのが現実です。
せせらぎさんのブログで 涙したり、」ほっこりさせてもらったり元気をもらっています。
ブログの内容や、せせらぎさんがtomoさんのコメントに返信されてる様に、本人が分からない事は私にはもっと分からないし、健康に気を使えと周りに言われても、本人が気をつけないとどうしようもない。と思う。
「調子悪い時は仕事休んで」とか「しんどいと思ったら病院行きや」って促す事位しか出来ませんでした。
とは言え「彼はまだ若いし」って思ってたし、やっぱり日頃仕事を一生懸命頑張ってるからってAコース選ばせてあげてしまいます。。。
死んでまで責めるのは可哀想だけど、おかしいと思ったら体を休めるなり、お酒控えるなり、自ら病院行こーぜって思う。
子どもか!って。
まぁ、今更何を言っても本人には届かない。。。
やり場の無い気持ちになってまた泣く、の繰り返しです。
よくわかります。
うちもAコースしか選べない人でしたから。
闘病が長かったので、あれこれうるさく言ってた時期も長くありましたが、言い争いになるだけで無駄な努力でした。
「俺の人生に口出しするな!」
の言葉で目から鱗。
そうだよね......
と観念してから言い争う事なく
自由にして、生き生きと暮らしておりました。
入院する直前まで仕事をバリバリして、倒れて二週間で亡くなりました。
ちゃんと大事にしていればもっともっと長生きしたでしょう。
でも、俺の人生。なんですよね。
私は好きなようにさせてあげて良かったと思っています。
本人は最後までしあわせだったのですよね。
勝手だなっ!!なんですけど。
一人の人間の人生を幸せに過ごさせてあげた自分をほめる事にしています。
じゃないとやってらんねー!!(笑)
息子夜中に毎晩泣き叫んでるぞ、ばかー!!
であります(;´∀`)
うちのまーくんは難治性血液癌だったので、治療法が限られていてました。もうすぐ5年なので書類整理していたら論文のようなデータや病院の説明資料、主治医からの手書きなど捨てられないまま。最終的に家族が何かできることではない状況で死亡診断書は下記の通りでした。
「病名 悪性リンパ腫」
「死因 原因不明」
「血栓性微小血管障害症(TMA)」
(説明)移植に用いる薬剤(前処置薬剤や免疫抑制剤など)の投与、ウイルス感染やGVHD発症などを契機とし、血管内皮と呼ばれる組織が傷害され、臓器障害がみられるもの。貧血、血小板減少、腎機能障害、肝機能障害、中枢神経症状、消化管障害(下痢や下血)などが起こり確たる治療法はない。ほぼ死に至る。また移植後の合併症の中で5%以下。
亡くなる数日前、個室病室で夫婦で聞いた時窓から陽が射してて夫が声にならない声で、
主治医に返事しながら震えていた。長い闘病は何だった?ごめん、気づいてたのに…と私は言ったら、責めるな!俺は、癌を責める!!と
まーくんは言いました。
年度末近くになると市役所や確定申告などで
上記の診断書を持ち歩く?のでしんどい。ということで、とある申請のため、市役所に行ってきます。
せせらぎさん、体調は良くなりましたか?お大事になさってくださいね(*^^*)
あら。バセドウ病。また一つ共通点。
病院行ってますか?行ってくださいね。ちなみにまーくんは表参道にある『伊藤病院』に行ってました。バセドウで有名な病院みたいですね。tomoさんは違うかしら?
人が人らしく、健康的に生きるのが、やっぱり大事なことなんでしょうね。
でも、同じ環境でも生きている人はいるし、そういう運命だったのですよ。もちろんtomoさんのせいではないですよ。救えなかったです。救いたかったけど。
あの時ああしていれば、別の未来が待っていたかもしれない。でもそれは、もっと過酷な未来だったかもしれない。病気で収入が激減したかも。仲が悪くなって離婚したかも。先の見えない介護が待っていたかも。
人生何が起こるかわかりません。もちろんtomoさんの身にも。せめてこれからは後悔しないように日々を過ごしていきましょうよ。
私も、私がもっと…て思いますが、私よりももっと死んだ本人の方が気をつけるべきでしょ!と思います。死んでもなお責められる。笑
ばーかばーか、自分の体を大事にしないから。
ばーかばーか、寂しいぞコノヤロー!
本当に、せせらぎさんのブログ、せせらぎさんのイラスト、せせらぎさんのお人柄、好きです‼︎助けられています‼︎
せせらぎさんの存在に感謝します☆
主人の誕生日と100日が同時に訪れ、気持ちが落ちまくって、毎日泣きまくっていました、、、
ようやく、子供達の笑顔の為に頑張らなくちゃ‼︎とまた思えたところです
私もバセドウ病です
印刷業で忙しく、ストレス溜めまくりだった時になりました、、、
主人も私と同じく印刷業で、大きな仕事を任され、ほぼ睡眠取れず過酷な中亡くなりました、、、
救えた命だったのでは、私のせいで死んでしまったと、毎日後悔の日々です、、、