まーくんが死んで世界が変わりました。


真っ暗闇で何をしてても心が晴れない
心に分厚い雲がかかっている様で
ずっと重い重石が乗っている感じ。

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そう感じているのに



世界がキラキラして見えるんです。





当たり前のことが当たり前ではないと知りました。
今生きている人も、そこにあるものも特別で大切なものなんだと。


目の前に広がっている世の中がなんだかクリアに見えるのです。




心は曇天でどんよりしているので、相反しているのですが
日々を淡々と過ごしていたあの頃には感じなかった世界があります。

飛んでいる鳥も、散歩してる人も、干してある洗濯物まで
全部が愛おしい様な不思議な感覚。
切なくて、でもキレイで胸を締め付けられる。それも涙が出るほど。

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真っ暗闇の中、確かに光るものを感じています。




自分の時間は止まっていて、
今まで過ごしていた世界を傍観しているような感覚。
その中の一員ではなくて俯瞰して見ている様な。

どう表現したら伝わるか分からないですが
不思議な世界を生きています。
暗闇の中のはずなのに、キラキラしているのです。
それは現実味がなくて「夢を見ているようだ」と言われるものかもしれません。


でも、確かに
私の生きている世界は変わりました。
見え方も感じ方も全く違う。

それは、まーくんが生きていた頃には見えなかった“美しい世界”です。
“悲しくも美しい世界”

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まーくんが生きていた頃は、私は誰かの後ろにいました。
まーくんの世話と子供達の世話。
家族を支えるのも立派な仕事ですし、満足もしていました。
そして、それが楽でもありました。

まーくんがくれた仕事にまーくんの人間関係。
自分が矢面に立つことはなく、話を聞いているだけで社会と繋がっている気がする。
子供の世界から派生した関係もある。
私はまーくんの嫁で、子供達のお母さん。

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まーくんや子供達の活躍が私の喜びでしたが
いつしか、自分の人生ではなく人の人生に乗っかって生きていく様になってたんだと思います。


それが、こういう状況になって
久しぶりに人生に1人で立っている気がします。


会いたい人には会う。行きたいところには行く。やりたいことはやる。
を信条にしました。


自分で自分の世界を広げて行く。すごく実感しています。
積極的に動くようになりました。
我慢しなくなりました。


ブログで好きと言ってくださる方がいたり
自分自身を誰かの付属ではなく1人の人間として見られる様になりました。


まーくんが残してくれた“きっかけ”だと思います。
今すごく、自分の人生を生きている。

まーくんと共に生きていきたかったけど
それはどうしても叶わないから
せめて、残ってしまった自分の生きている世界を素敵なものにしていきたい。


まーくんが気づかせてくれたキラキラと輝く“美しい世界”
大切に生きていくから。
まーくんが生きることのできなかった世界を…






そういえば、昔CMのコピーで
『このろくでもない 素晴らしき世界』
っていうのがあったな。
本当そんな感じですな。

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