ニョキニョキと悪い心が顔を出す時があります。

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「あいつが死ねば良かったのに。」



なんて怖いことは思いませんが
「どうして、まーくんは死んだのに、こんな人が生きているのだろう」と(一緒じゃないか!)


色々な手続きに回っている時
隣で手続きをしていた男性が粗雑な方で
対応していただいている方に対しても乱暴な感じ
気遣いとか、言葉遣いとか…

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まーくんはそんなことはなかった。
ゴミを拾ってくるような人。
気遣いの男だった。(私に対しては別ですが…)



以前に自販機のゴミ箱にマクドナルドのゴミを捨てている人を見かけたことがあります。
家族で。小さな子供もいたのに。
誰が片付けるとか、考えないのだろうか。
誰かがやってくれると思っているのだろうか。
自分のことしか考えられない人。
そんなお父さんお母さんに育てられた子供は、どういう風になるのだろう。


まーくんはマクドナルドのゴミも全部きっちり分別して捨てていた。
なんなら目につく他の人のゴミまで。
ゴミの話ばっか。笑

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どうしてなんだろう。
まーくんを生かしておいた方が社会のためなのに


なんで不快にさせる人が生きていて
良いことをしていたまーくんが死んだのだろう




「良い人は短命なのよ」と義父母様と話したことがある。
「あれ?お義母さんたちは?」などと冗談を言いながら。


良い人ばかりが死ぬわけじゃないことも
悪い人ばかりが生きているわけじゃないこともわかってる
きっと、その悪い人もどこかの誰かの大切な人なんだろうと思う。





でも、やっぱり時々そういう気持ちが顔を出す。

「あなたは生きているのに、どうしてまーくんは死んだんですか?」





人は生まれ変わって、何度もなんども人生を歩む
その回数が多いほど、人格が磨かれ素晴らしい人間になるのだと。
確かに、人のことを考えられない人間と、ノーベル平和賞まで取る人間
同じ人の一生とは思えない。
人として未熟な人を見るとこう思う。
「あぁ、この人は人間1回目なんだ。」
だから仕方ないのだと。
何回やったらどうなるのかは分かりませんが
まーくんはさしあたり3回4回目くらいかな。
人として優れてきてはいるものの、まだ大切なものを大切にしきれていない感じ(私のこととか!)


そして私は6、7回目くらいかな。(おお!)
自分で言うのもなんですが割と成熟してます。
人間力高め。コミュ力低めですが。笑。
大分磨かれてきている。
それでも、まだこの人生の苦行。
一体どこまで達観すればいいのか。

辛いことがあればあるほど、魂は磨かれていくのだと思います。
人の気持ちを推し量ったり、何事にも動じなくなったり、
そういうことに長けていくのだと思う。
そして最後は悟りを開くのでしょう。

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ま、「あいつが死ねば…」などと思っている時点で、まだまだですけどね。
まだまだ未熟。


まーくんは、いつかどこかで次の人生を始めます。
もしかしたらもう始まっているかもしれない。
けど、できればお空で待っていて欲しい。
どれくらいで会いに行けるかはわからないけど、
ぜひ一目見てから次の人生始めてください。


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