死別6年目
沢山のことを経験し
多くのことを考え
希望を描いては
苦しみ
苦しんでは立ち上がり
今
ゴールが見えてきたので
記します。
もうすぐゴールということではなくて
これがゴールなんだろうなという到達点。
それは
『幸せに生きる』ということ
え?
散々言っているじゃないかって?
そうですね。
なんならまーくんが死んだ瞬間から
望んで目指してきたところです。
では
その『幸せ』ってなんなのか。
うまくいかないことが続いて
色々低迷して
なんとかならないか
どうにかできないか
そう思う自分もいるけども
はて
では何の為にどうにかしたいのか
望みはなんだ
目指しているものはなんだ
何かを手に入れたいのか
何かになりたいのか
どういう状態だったらいいのか
周りから見たら沢山持っていても
幸せじゃない人もいるだろうし
何かを得ることがゴールなのだろうか
考えに考えてぐるぐる回って
行き着く先はいつも
『美味しい食事』と『心地の良い睡眠』
いつ何時も『幸せだと感じる心』
何を得なくても
何かにならなくても
誰が周りにいても
どんな状況でも
いつも心穏やかに
心地よい空気を吸って
「あぁ、幸せだな」と思える自分
まーくんが死んだ時
大きなものを失ったのだから
それ以上に大きなものを得ないと
『得た人生』にしないとと思ってきました。
そのために沢山動いてきました。
それに後悔はないし
そのお陰で今の自分がいます。
得ないとと思ってきたけど
そうじゃなくて
得なくても
何を得ても
どんな状況でも
愛と感謝を持って生きられるようになること。
執着を手放し
幸せを感じて生きること。
まーくんがいなくても。
散々、寂しい苦しいと喚いて
悲しみは今も無くなりはしないけれど
それも一緒に溶かして笑って生きること。
それも
心の底から。
大切な人を
亡くすのは辛い。
この上なく辛い。
これ以上に辛いことなんてない。
毎日泣いて
諦めたくない生活を諦めて
誰に何を期待することもなく
ひたすら自分に向き合う
多くのままならない感情を経てきて
世界中が敵になったこともあるし
死んでしまいたいと本気で思ったこともある。
何の修行かなと
ずっと思ってきたけど
そう
修行だったの。
毎日毎日
自分の感情と執着と戦い
小さな幸せを拾い集め
人というものを知り
自分というものを知る
それを
私でいうと5年。
5年間続けてきた。
5年間修行に身を置くって相当のものよ?
不満も愚痴も無くなった。(言ったって仕方ないから)
人との縁を大事にするようになった。(出会いは奇跡だと思う)
嬉しくて涙が出てくることが沢山ある。(嬉し泣きなんて無かったよ)
悲しくて悲しくて
それでも
ありがたくて涙が出てくる。
いつか
苦しさと悲しさは影を潜め(無くなりはしないだろうけど)
感謝だけが残り
『幸せに生きられる』ようになるのだと思う。
そしてそれが
死別のゴールなのだと思う。
私の描くゴール。
この出来事のゴール地点。
新しいパートナーが出来ることでも
何かを得ることでもなく
いつ何時も
何があっても
今の幸せを見つめ愛と感謝を持って生きること
まーくんがくれた
人生の生き方
何よりも自分を幸せにする方法。
そしてそれは
大切な人を
亡くした人にしか
辿り着けない場所なのだと思う
大切な人がいなくなった世界に
向き合い続けて
開く扉なのだと思う
聞きかじっただけの知識と
体験することは全く違う
体験することになってしまった自分は
まーくんが見せてくれた世界の中で
最高に幸せな生き方をするのだと思う。
それが
この悲しい出来事の
最高のゴールなのだと思う。
そのゴールをした時に
私はこの『死別』に勝つのだと思う。
勝負じゃないよ?
でも
この現実に「負けるもんか」と生きてきた
勝ってやる。
この苦しくキツイ現実と
まだまだ弱い、自分の心に
勝って、笑ってやる。
まーくんのいないこの世界で
幸せに生きることが
まーくんが生きたことも
死んでしまったことも無駄にしない
私の生き方なのだと思う
…今は無理よ?
まだまだ波に飲まれるし
部屋も散らかって
片付ける余力もない
あ〜ぁ、風呂場がカビ始めたな…
ゴールの場所が分かったからって
明日ゴールに到着する話でもない。
先は長い
まだまだ長い。
でもそんなすごく遠くない未来
辿り着くのだと思う。
目指すべきゴールが見えたなら
出す足の方向は、そちらに向かう。
少しづつ
ゆっくり
歩いていこう
死別の先の幸せなゴールに向かって。
いつか
そう言うために。
↓頑張れ自分!!
↓あの日から全ては始まったんだ。
********************
****************
<書籍発売中>『旦那が突然死にました。』
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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沢山のことを経験し
多くのことを考え
希望を描いては
苦しみ
苦しんでは立ち上がり
今
ゴールが見えてきたので
記します。
もうすぐゴールということではなくて
これがゴールなんだろうなという到達点。
それは
『幸せに生きる』ということ
え?
散々言っているじゃないかって?
そうですね。
なんならまーくんが死んだ瞬間から
望んで目指してきたところです。
では
その『幸せ』ってなんなのか。
うまくいかないことが続いて
色々低迷して
なんとかならないか
どうにかできないか
そう思う自分もいるけども
はて
では何の為にどうにかしたいのか
望みはなんだ
目指しているものはなんだ
何かを手に入れたいのか
何かになりたいのか
どういう状態だったらいいのか
周りから見たら沢山持っていても
幸せじゃない人もいるだろうし
何かを得ることがゴールなのだろうか
考えに考えてぐるぐる回って
行き着く先はいつも
『美味しい食事』と『心地の良い睡眠』
いつ何時も『幸せだと感じる心』
何を得なくても
何かにならなくても
誰が周りにいても
どんな状況でも
いつも心穏やかに
心地よい空気を吸って
「あぁ、幸せだな」と思える自分
まーくんが死んだ時
大きなものを失ったのだから
それ以上に大きなものを得ないと
『得た人生』にしないとと思ってきました。
そのために沢山動いてきました。
それに後悔はないし
そのお陰で今の自分がいます。
得ないとと思ってきたけど
そうじゃなくて
得なくても
何を得ても
どんな状況でも
愛と感謝を持って生きられるようになること。
執着を手放し
幸せを感じて生きること。
まーくんがいなくても。
散々、寂しい苦しいと喚いて
悲しみは今も無くなりはしないけれど
それも一緒に溶かして笑って生きること。
それも
心の底から。
大切な人を
亡くすのは辛い。
この上なく辛い。
これ以上に辛いことなんてない。
毎日泣いて
諦めたくない生活を諦めて
誰に何を期待することもなく
ひたすら自分に向き合う
多くのままならない感情を経てきて
世界中が敵になったこともあるし
死んでしまいたいと本気で思ったこともある。
何の修行かなと
ずっと思ってきたけど
そう
修行だったの。
毎日毎日
自分の感情と執着と戦い
小さな幸せを拾い集め
人というものを知り
自分というものを知る
それを
私でいうと5年。
5年間続けてきた。
5年間修行に身を置くって相当のものよ?
不満も愚痴も無くなった。(言ったって仕方ないから)
人との縁を大事にするようになった。(出会いは奇跡だと思う)
嬉しくて涙が出てくることが沢山ある。(嬉し泣きなんて無かったよ)
悲しくて悲しくて
それでも
ありがたくて涙が出てくる。
いつか
苦しさと悲しさは影を潜め(無くなりはしないだろうけど)
感謝だけが残り
『幸せに生きられる』ようになるのだと思う。
そしてそれが
死別のゴールなのだと思う。
私の描くゴール。
この出来事のゴール地点。
新しいパートナーが出来ることでも
何かを得ることでもなく
いつ何時も
何があっても
今の幸せを見つめ愛と感謝を持って生きること
まーくんがくれた
人生の生き方
何よりも自分を幸せにする方法。
そしてそれは
大切な人を
亡くした人にしか
辿り着けない場所なのだと思う
大切な人がいなくなった世界に
向き合い続けて
開く扉なのだと思う
聞きかじっただけの知識と
体験することは全く違う
体験することになってしまった自分は
まーくんが見せてくれた世界の中で
最高に幸せな生き方をするのだと思う。
それが
この悲しい出来事の
最高のゴールなのだと思う。
そのゴールをした時に
私はこの『死別』に勝つのだと思う。
勝負じゃないよ?
でも
この現実に「負けるもんか」と生きてきた
勝ってやる。
この苦しくキツイ現実と
まだまだ弱い、自分の心に
勝って、笑ってやる。
まーくんのいないこの世界で
幸せに生きることが
まーくんが生きたことも
死んでしまったことも無駄にしない
私の生き方なのだと思う
…今は無理よ?
まだまだ波に飲まれるし
部屋も散らかって
片付ける余力もない
あ〜ぁ、風呂場がカビ始めたな…
ゴールの場所が分かったからって
明日ゴールに到着する話でもない。
先は長い
まだまだ長い。
でもそんなすごく遠くない未来
辿り着くのだと思う。
目指すべきゴールが見えたなら
出す足の方向は、そちらに向かう。
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コメント
コメント一覧 (16)
でもね。3年目になると、否が応でも夫のいない生活に慣れてきて、もちろん思い出に浸る時もありますが、最近は私自身が快適に暮らしていく事を一番に考えるようになりました。
これも一つの、乗り越えられた証なんでしょうね。
せせらぎ
がしました
『死別』のゴール、いい言葉ですね。
そうなんですよね、残された私達はまだ生きていけるんです。
余命宣告を受けて一ヶ月間、病院の天井を見ながら泣いて逝った主人の残していってくれたものを大切に守りながら、もっともっと幸せになります。主人の見たかった子供の成長を見届けて、彼の行きたかったところに行って嫉妬させてやりたいと思ってます。
人生はいつ終わってしまうかわからないということを主人から学びました。だから、やりたいことをやって、人生思う存分楽しんだ後に、幸せだったと胸を張ってまた主人に再会できたらと思います。
せせらぎ
がしました
何だか読みながら沢山泣きました。私自身、ずっと泣きたかったんだと思います。頑張って張り詰めてた自身を許して、素直になれた気がします。
感情が沈んでいます。ずっとパワフルに動けてたから余計に自分がダメになった気がして。でもまずは今の一歩。
せせらぎ
がしました
本当にありがとうございます。
今きつくて。
とりあえず全てをひとやま超えます
いつかお会いできますように。
せせらぎ
がしました
昨日の命日には、バタバタ過ごしてどっと疲れた。
こうやって、日常になっていけばいいんだと思えた6年目。
「胸張り裂けそうなあのシーン」だったかな、安室ちゃんの歌詞が聞こえて、
自分の中に、あのシーンがあるから今日の嫌な出来事が、屁のかっぱじゃないかと思えるように。
旦那と死別して突入した世界には、見えなかった世界が広がっていた。
この世は奇跡で溢れている、ありがたいものばかりで、両手を合わせることが度々あるようになった(笑)
せせらぎちゃん、来月楽しみにしてます♡
せせらぎ
がしました
いつもありがとうございます。
ブログ更新してくださるから、生きてます。
本当にありがとうございます。
あ、とりあえず生きなくては、てね。
つらくて苦しくて、ブログを拝見すると
仕事、食事、コーヒータイム、子供との時間、
夫とは違う時間が流れている事に気がつけます。
すみません、文章が変です
はー。苦しい。
せせらぎ
がしました
長くて短くて早くて遅い、そんな日々も立ち止まってみてみると6年、当たり前なんだけどびっくりです。
どうか長生きして彼の知らないことを沢山知ってくださいね!自慢してやりましょ╰(*´︶`*)╯
せせらぎ
がしました
環境とか心情って形や文にしずらいけど、図解した時自分の次の動きがわかりますよね。もちろん正解などなくて良くて。
私にはせせらぎさんのように絵は描けないけど、食べたい物の作り方やレシピを書くと安心します。
主人が亡くなり子供の世話に明け暮れていたけど、
いま1番自分を閉めてる時間とか割合でも描くと、あらちょっと余裕生まれたかも?とハッピーになったり。逆にやらなきゃいけない優先順位考えたり。
私も自分なりのゴール探そう!
せせらぎ
がしました