命について考えるシリーズ
↓<第一回>






第二回目のテーマ

『命の終わる時』 






私は多分
まーくんが死んだあの日から
命の終わりをずっと考えています。


終わらせたいわけじゃない。
誰にも死んで欲しくない。


それでも
ずっと考えています。


自分の死ぬ時を
大切な人が死ぬ時を

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会うのは常に最後だと思いながら
生きている姿を見るのは最後かもしれないと思いながら


子供達のことも常にそう思っているし
自分自身のこともそう思っています。


子供たちには
私が死んだ後の話を常日頃からし


敏感な次男のしーちゃん(6歳)は
泣きながら
「お母さん死なないで」
と言うけども

お構いなしで話します。



避けたって
目を逸らしたって
それが
この世界の事実だから


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人は自分の命の終わりを考えて生きてはいない
出来るだけ避けて
自分には関係のないことだと思っている

何か起こった時に
「まさか自分が」
そう思うことが最たる答え。


なんで今生きていると思うのだろう
どうして明日も生きているのだと言えるのだろう

死が100%の確率で起こる世界の中で
それが今ではない保証はどこにあるのでしょう






『命が終わる時』
自分は何を思うのか





それが後悔でないように


今やれる精一杯をやって生きる
サボることも
怠けることも
精一杯やる

それを自分で選んだのだと
納得して終わりを迎えるために




命の終わりを考えることは
怖いことじゃない

それは『死』を見ることではなく
『生』に心を向けることだと思うから

今、生きている時間を想うことだと思う
 






『命が終わる時』
私は何を思うだろう 





きっと
子供たちのこと

出来ればもう少し
一人で生きていける力がつくまで
一緒にいられたらいいと思う


でも
そんな願いは
運命の前では
いとも容易く弾かれると知ってる



だからせめて

その終わりに
私は精一杯生きたのだと
子供達や、周りの人の幸せを願って死ねたらいい 






誰も考えたくない
命の終わりを
常日頃から考える私は
幸せなのだと思う
 



大切な人の
突然終わった命を目の当たりにして

『生きること』に意識が向いた

悲しくて
全てが愛おしくて
幸せなのだと思う 

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第3回は
そうですね

『もし死ぬことがなかったら』 
にしようと思います! 




↓失うことを考えること(考えさせること)は悪いことじゃない



※ONOさん
メッセージありがとうございます!
お言葉と気持ち、しかと受け取りました。
とても嬉しかったです。

どう生きるか、どう考えるかも自分。
自分と向き合うことが大分上手になりました。
ちゃんと向き合い過ぎて人生史上今が一番好きです。

他人にも堂々と言えます。
私は私が好きだと。

これもきっと、いなくなった彼が見せてくれた景色。
どうせこの先も見なければいけないなら
暗く不愉快なものではなく素晴らしい景色を見たい。

そう見る方向を決めるのも自分なのですよね。



▼▼▼本日のPick up▼▼▼

なし





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いっぱい色々やったんで…
    ↓↓やっていることをまとめました↓↓
 <せせらぎのhandshake>
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●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら


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