神田沙也加さんが急逝されて
テレビでは度々
『心の相談室』みたいな電話番号を伝えています
それをぼんやり見ながら
一体これで救われる人がいるのだろうか
一体どれくらいの人がこんなもので救われているんだろう
そんな気持ちになりました
もちろん救われている人はいると思う
意味のあることでしょう
でも
私が電話をかけるかって言ったら
子供達と死んでしまおうって思った時に
誰かに聞いてもらって救われるだなんて
そんなこと微塵も思えもしなかった
この苦しみを分かる人なんていない
ましてや助け出してくれるなんてことはない
何も私を救ってはくれない
「そんなことない」
そう言えますか?
「誰かに話していたら」
何が変わるって言うんですか?
慰められて
励まされて
その場を別れて
また自分の苦しみに戻る
死んだ方がマシだ
そう思えるほどの苦しみの中を生きている人に
生きていた方がいい
だなんて
誰が言えるんですか?
人は結局他人で
他人の生きている人生は
所詮他人事です
それはどこまでもそうで
どれだけ近い間柄でも絶対にそう
近しい人の良かれと思った言葉にも
沢山傷つきました
心理のプロの診療内科医に
心えぐられて帰って来たこともあります
薬を出されようが
カウンセリングを受けようが
対処療法
結局自分がどうあるか
どうするか
どう受け止めて
どう飲みこんで
どう堪えて
心を一つ強くして生きていくか
もちろん生きていた方がいいと思う
今がどれだけ苦しくても
良いことも楽しいこともあります
必ずあります
苦しみや悲しさは
同じ状態で一生続くことはない
それもわかっています
でも
苦しみから逃げた人を責めないで欲しい
その苦しみは
あなたには分からないのだから
命が一つ失われることは悲しい
とてもとても悲しい
けど
一つ命が失われる度に
『いのち』というものについて考える
儚くて脆くて
限りのある『いのち』
自分の生き方はこれでいいのだろうか
こうやって生きて、終わりにしていいのだろうか
そうやって立ち止まらせて考えさせてくれるのも
失われた命の輝きだと思う
その命は死してもなお
輝いているのだと思う
自分を救うのは自分です
経験と出会い
「そういう考え方もあるんだ」
それを感じることの出来る自分
「あなたに会えて楽になった」
そういう人やモノと出会えた自分
だから
結局何も変わらんだろと
かけなかった『心の相談室』の電話
何も変わらないかもしれない
でも
そう行動した自分に救われることがあるかもしれない
『死んでいくこと』は
もうどうしたって止められない
だからせめて
一つでも多くの命が
輝いて生き
そして
輝いて死んでいけますように
ちょうど記事を投稿している『note』に
『#我慢に代わる私の選択肢』というものがあって
応募締め切りが1月半ばなので
<書籍発売中>『旦那が突然死にました。』
****************
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
↓応援ポチッといただけると嬉しいです。
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意味のあることでしょう
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だなんて
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こうやって生きて、終わりにしていいのだろうか
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「そういう考え方もあるんだ」
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だから
結局何も変わらんだろと
かけなかった『心の相談室』の電話
何も変わらないかもしれない
でも
そう行動した自分に救われることがあるかもしれない
『死んでいくこと』は
もうどうしたって止められない
だからせめて
一つでも多くの命が
輝いて生き
そして
輝いて死んでいけますように
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『#我慢に代わる私の選択肢』というものがあって
応募締め切りが1月半ばなので
がっつり向き合って書いてみようと思います
どれだけ我慢して生きてきたことか
もし、今、誰かの『我慢』を少しだけ軽くすることができたら…
そんな気持ちで書いてみようと思います
割と読み応えのあるボリューミーの予定!
また書いたらご報告するので
読んでいただけたら嬉しいです〜
漫画でもイラストでもいいらしいので
どうしようっかなぁ〜♪♪
↓自死で死んだって関係ないと思う
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セノッピー
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(グミ)
けーくんが全然少食で…
背の順も多分一番前で…
遺伝子的にも小柄で…(私が小さい)
少しでも栄養や身長の役に立てばと!
藁にもすがる思いで
与えてみようと思います!
セノッピー ブドウ味 マンゴー味 90g ( 3g×30粒 )
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コメント
コメント一覧 (7)
…すみません。途中で切れてしまい、失礼しました。
せせらぎ
がしました
命の電話等をこんなもの呼ばわりは少し悲しかったです。
せせらぎさんは御自身の批判には「私の何を知っている?」と言われている程なのに、他の事に対しては、そんな批判してせせらぎさんを傷付けてる人達と
せせらぎ
がしました
電話の前に座ってるボランティアさんも全員を救おうとかは思っていません。100人のうち1人でも、10人のうち1一人でも、どうかあなたに生きててほしい、そんな気持ちではないのでしょうか(もちろん誰にも死んでほしくはないでしょう)。そして、「励まそう」とか「力になろう」とかそんなおこがましい想いでもないでしょう。
ボランティアさんの中には、ご自身が自殺を考えて死の淵から生還された経験をお持ちであったり、身近な人を亡くされた経験のある方が少なくないと聞いたことがあります。あなたの気持ちに寄り添いたい、孤独感をお互いに癒すことはできないか…?そんな優しさで電話のお話しに耳を傾けておられるのでしょう。励ましとか手助けと言うより、求められているのは「共感」です。
せせらぎさんがブログで誰かの力になるのと同じように意味のある事業だと私は思っています。
あ。反対意見みたいな感じになっちゃいましたね。ご気分を害したら申し訳ありません。今日のはちょっと違和感を感じてしまったので、つい書いてしまいました。
気になったついでに…………
「対処療法」→「対症療法」です。
執筆家として生きていかれるご覚悟の助けになるかなと思ったので、正しい言葉の方をお伝えしておきますね。応援しています。
(ちょっと前のイラストの『郎読』も、『朗読』でしたね)
せせらぎ
がしました
ありがとうございます。
「いのちの電話」とか、「よりそいホットライン」とか、名称は様々な「電話相談窓口」が全国各地にありますね。お話しを聴かれてるのはボランティアの方々と聞いています。
「どこの誰か知らない赤の他人に死にたい気持ちを話す事」と、「どこの誰か知らない赤の他人に向けてネットで気持ちを晒す事」って、似ていませんか?
近しくない、しがらみのない人に向けて素直な気持ちを言葉にして伝える事で、それは自分への自分語りになり、吐き出したことにより不安やストレスが解消はしなくても、いくらかでも軽くなることがあるのてはないかと思います。
せせらぎさんは生きるためにブログを書かずにおれなかったんだとお見受けしております。ひと頃の更新頻度がその事を物語っているように思います。書くことでご自身は生かされてきたと、自覚されているのではないですか?
いのちの電話の向こうのボランティアさんたちと、せせらぎさんのブログの読者さんは、似たような役割を果たされているのではないでしょうか?
読んだ人全員が共感したり救われたり元気をもらったりはしませんよね。読んでくれた人のうち一人にでも届いたらうれしいなぁって、そんなお気持ちを書かれてたことありませんでしたか?(あ、記憶違ってたらゴメンナサイm(_ _)m)
せせらぎ
がしました