けーくん(8歳)は学童をやめました
小学校一年の時から
行かないで帰ってくる
行って欲しいのに帰ってくる
理由はわからないけど帰ってくる
小学二年生の一学期の途中から
学童は休学にして
放課後は家で過ごすようになりました
夏休みの間は
家から行くので
『帰ってくる』ということはないであろうと
しばらく行かせ
何事もなく
問題もなく
楽しそうに 学童へ通っていました
さあ二学期どうするか
けーくんは自ら「学童へ行く!」ということで
楽しみ!行きたい!ということで
習い事の時間を
学童に通えるように調整して
いざ二学期
9月1日初日
帰って来ましたよね
家に
学童へ行くことなく
一応家で待機していた私は
帰ってくるはずのない時間に
玄関がガチャリと開いて
ホラーかと思いましたよね
(覚悟はしていたけども)
話が通じなーい
言っていたことを守らなーい
伝わったつもりでいても
そうじゃなーい
次の約束もできなーい
ガッッッックシ
と肩を落とし
また始まった
発達障害のややこしさ
とクラクラし
結局やっぱりYouTubeを見ているけーくんをよそ目に
二階の仕事場に戻り
ざわざわする心で
習い事の時間になったので
まずしーちゃんを迎えに行き
習い事へ送りに行きました
どうしてなんだろう
どうしたらいいんだろう
この気持ちをどこにぶつけたらいいんだろう
どんなに頑張っても
私には労っても慰めてももらえなく
そばで頑張りを見ててくれる人もいない
愚痴をいうことも
大変さを共感してもらうこともない
たまらなく
たまらない気持ちになる
その気持ちを引きずって
保育園から帰って来たしーちゃんに
温かく接することもできないのも申し訳なくて
習い事先で出会う
他のお母さんと自分は違うように感じて
私だけ出来ていないような気になって
人一倍頑張っている自負はあるけども(あるんか!笑)
まだまだ頑張りが足りなくて
上手にできない自分が嫌になる
脳みそがギューっと固まっていく感覚がわかる
頑張っていることさえも
この頑張りが何になるのか
意味のないこと
無駄なことに思えて
いくら頑張っても頑張っても
頑張った分
小さなことで張り詰めていたものが
ちょっとしたきっかけで
パンッと割れる
けーくんが学童に行かずに帰って来たことで
パンッと割れた
多少覚悟はしていたけども
何かが張り詰めていたのでしょう
「なんでなのよぉぉぉ!」とプツッといった
ただ
その修復の仕方も大分上手くなってきたのが
救いなのかなんなのか
まーくんが死んで
経て来たこの4年間
幾度となく心が割れて
幾度となく自分で膨らませてきた
十数回なんてもんじゃない
何百回でしょう
苦しいことがあっても
辛いことがあっても
それに飲み込まれずにいられる術を身につけた
飲み込まれても
すぐに戻ってこられるようになった
まーくんが死んでから
私の隣には常に
思い通りにいかない存在がずっとあって
それこそ
うずくまって泣かせてくれもしなかった
いなければ良かったのに
どれだけ心穏やかに暮らせたことか
そう思ったことも少なくない
発達障害のけーくんは
倍の倍になって私の心に負荷をかけてくる
きつかった
辛かった
今もしんどい
幾度となく心が割れた
でも
だからこそ
幾度も膨らませてこれたんだ
何度も膨らませるしかなかったんだ
んんぁぁぁぁあああああああ"〜!
てなるけども
お陰様でたくましくなったもんだ
まーくんが突然死んだことも
幼児が2人遺されたことも
手がかかり過ぎる発達障害児だったことも
全て私に必要なことだったのだと思う
幾度となく
んんぁぁぁぁあああああああ"〜!
てなるけども
心は何度も壊れるけども
立て直し続けて来た心は
無骨でカッコ悪くて傷だらけで
見栄えは悪いかもしれない
けど
とっても愛おしい心になった
本当に頑張ったと自負できる
この自分を愛でる気持ちは
マジ誰にも負けない
だから
ありがとうよ
本当に手のかかる
困ったちゃんなんだから
↓いっちゃんキツかった、けーくんとの日々
<書籍発売中>『旦那が突然死にました。』
****************
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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小学校一年の時から
行かないで帰ってくる
行って欲しいのに帰ってくる
理由はわからないけど帰ってくる
小学二年生の一学期の途中から
学童は休学にして
放課後は家で過ごすようになりました
夏休みの間は
家から行くので
『帰ってくる』ということはないであろうと
しばらく行かせ
何事もなく
問題もなく
楽しそうに 学童へ通っていました
さあ二学期どうするか
けーくんは自ら「学童へ行く!」ということで
楽しみ!行きたい!ということで
習い事の時間を
学童に通えるように調整して
いざ二学期
9月1日初日
帰って来ましたよね
家に
学童へ行くことなく
一応家で待機していた私は
帰ってくるはずのない時間に
玄関がガチャリと開いて
ホラーかと思いましたよね
(覚悟はしていたけども)
話が通じなーい
言っていたことを守らなーい
伝わったつもりでいても
そうじゃなーい
次の約束もできなーい
ガッッッックシ
と肩を落とし
また始まった
発達障害のややこしさ
とクラクラし
結局やっぱりYouTubeを見ているけーくんをよそ目に
二階の仕事場に戻り
ざわざわする心で
習い事の時間になったので
まずしーちゃんを迎えに行き
習い事へ送りに行きました
どうしてなんだろう
どうしたらいいんだろう
この気持ちをどこにぶつけたらいいんだろう
どんなに頑張っても
私には労っても慰めてももらえなく
そばで頑張りを見ててくれる人もいない
愚痴をいうことも
大変さを共感してもらうこともない
たまらなく
たまらない気持ちになる
その気持ちを引きずって
保育園から帰って来たしーちゃんに
温かく接することもできないのも申し訳なくて
習い事先で出会う
他のお母さんと自分は違うように感じて
私だけ出来ていないような気になって
人一倍頑張っている自負はあるけども(あるんか!笑)
まだまだ頑張りが足りなくて
上手にできない自分が嫌になる
脳みそがギューっと固まっていく感覚がわかる
頑張っていることさえも
この頑張りが何になるのか
意味のないこと
無駄なことに思えて
いくら頑張っても頑張っても
頑張った分
小さなことで張り詰めていたものが
ちょっとしたきっかけで
パンッと割れる
けーくんが学童に行かずに帰って来たことで
パンッと割れた
多少覚悟はしていたけども
何かが張り詰めていたのでしょう
「なんでなのよぉぉぉ!」とプツッといった
ただ
その修復の仕方も大分上手くなってきたのが
救いなのかなんなのか
まーくんが死んで
経て来たこの4年間
幾度となく心が割れて
幾度となく自分で膨らませてきた
十数回なんてもんじゃない
何百回でしょう
苦しいことがあっても
辛いことがあっても
それに飲み込まれずにいられる術を身につけた
飲み込まれても
すぐに戻ってこられるようになった
まーくんが死んでから
私の隣には常に
思い通りにいかない存在がずっとあって
それこそ
うずくまって泣かせてくれもしなかった
いなければ良かったのに
どれだけ心穏やかに暮らせたことか
そう思ったことも少なくない
発達障害のけーくんは
倍の倍になって私の心に負荷をかけてくる
きつかった
辛かった
今もしんどい
幾度となく心が割れた
でも
だからこそ
幾度も膨らませてこれたんだ
何度も膨らませるしかなかったんだ
んんぁぁぁぁあああああああ"〜!
てなるけども
お陰様でたくましくなったもんだ
まーくんが突然死んだことも
幼児が2人遺されたことも
手がかかり過ぎる発達障害児だったことも
全て私に必要なことだったのだと思う
幾度となく
んんぁぁぁぁあああああああ"〜!
てなるけども
心は何度も壊れるけども
立て直し続けて来た心は
無骨でカッコ悪くて傷だらけで
見栄えは悪いかもしれない
けど
とっても愛おしい心になった
本当に頑張ったと自負できる
この自分を愛でる気持ちは
マジ誰にも負けない
だから
ありがとうよ
本当に手のかかる
困ったちゃんなんだから
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コメント
コメント一覧 (4)
せせらぎさんの
インタビュー記事読みました。
いつもブログ読んでますが
飾らない言葉によく涙してしまいます。😢
一生懸命生きる
がいつもソコにある
それを率直に語る姿勢を
ずっと大事にして欲しいなって
思ってます。
せせらぎ
がしました
うちの発達ちゃんも帰ってきましたよ~
関東から関西の自宅に。
大学生なのに😂
当分帰らないもようです😅
長い大学生活になりそうです。
だんなカムバ~ック👼
せせらぎ
がしました