最近
悲しいだとか
苦しいだとか

そういう感情を
悪くないなと思うようになってきました。



もちろんキツイ。
涙も出るし、逃げたくて
でも逃げる場所なんてなくて
ただ必死で耐えるしかない。


けど
悲しむことを
悪くないなと感じるようになりました。

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自分は今
悲しくて泣きたいんだ。
心を静かに閉じていたいんだ。


自分の気持ちに寄り添い
その時求めているものを自分に与える。


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まーくんが死んでもうすぐ4年。


ずっと自分の心に向き合ってきました。

人がすることに対してではなく
ずっと自分の中にある気持ちを見てきた。


今何を感じて
どうしたいのか

それをずっと考えるようにして
自然と感じるようになりました。


(あぁ、今私はこうしたいんだ。こうでありたいんだ。)


悪い方にも良い方にも
どちらも否定することなく
無理に感情を捻じ曲げることもせず

そのままの気持ちを大事にしてきました。




最近は
悲しみが押し寄せてきた時は
あぁ、今私は悲しいんだ。と
不思議なことに少し温かい気持ちになります。

豊かだなと思います。




こんなに自分の感情に触れて生きる生き方があるでしょうか。

悲しい
苦しい
寂しい
恋しい
愛しい
楽しい
嬉しい

今どう感じているのかを感じられる。
その気持ちを大事にできる。
自分を大事にできる。


深呼吸して
今日はどういう気持ちか
何をしたいか
何が欲しいのか

自分の心に語りかける。





悲しいことは辛いです。

でも
悲しめる自分で良かったと思う。
自分の中に悲しみがあってよかったと思う。


楽しいも嬉しいも
なんなら怒りも
割と自分ですぐ作れるものです。

でも
『悲しみ』は
本当に心からの『悲しみ』は
無理やり作るのは難しい。

それが心の中にずっとある。
ずっとある状態でいる。

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悲しみがあることで
人に優しくなるのだろうし豊かになれる。

悲しめる自分で良かったなと思います。
だから温かい気持ちになるのかもしれない。






こんなに自分の気持ちを感じて
生きてきたことはないです。

なのに
4年近く、自分の気持ちだけを感じて生きてます。

ふと訪れる悲しみが
他の感情も鮮やかにしてくれる。

心を感じるようになった。
それがたまらなく嬉しい。



「心が生きているな」

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そう感じます。
まーくんが死んで、一度は死んだ心。

と思っていたけども
本当は生まれたのかもしれません。
死んでいたのはもしかしたら、それ以前で
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今、本当の悲しみを知って
なんでも敏感に感じるようになって
色々な色を持った心になったのかもしれません。

明るい色ばかりじゃない。
もちろん暗い色もある。

でもだからこそ
幅の広い彩のある心になったのかもしれません。



だからどの気持ちも
どんな感情になっても
今はそういう気持ちなんだと
大事にしてあげることができる。


そういう風に生きられるようになったことが
なんだかとっても嬉しいんです。

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↓冷めて生きるより熱く生きた方が
何万倍も楽しいことに気づく



※コメント返信お休みしてます。 



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