まーくんが死んでもうすぐ4年。
まーくんのことを『きちんと思い出にする』と決めて
それ以降
苦しいことがあっても
「まーくんがいないからだ」と
まーくんのせいにしなくなりました。

でもキッツイ。
状況は何も変わってないのだから
キツさに逃げ道がなくなって
ある意味もっとキツくなりました。
キツすぎて寄りかかるものが欲しくて
そしてそれをイカンと思った。
『強くなる』が最近の私のテーマです。
自分を育てる
一人で立つ
揺らがないように強くなる
…強くなる
……強くなる?
って、一体どういうことなのでしょう???
正直そこそこに強いと思うのですよね。笑
周りにもよく言われます。

『自立した女性』というものを調べてみても
そこそこに当てはまるのですよね。
周りに流されない自分の意志もある。
どの自分もダメなんかじゃない。
自分を認め受け止める。
心に溶かす。
どれも全部大切な自分なのだと。
自分を大切にすると
どんな自分も悪くないと
自己肯定感が高まる。
自己肯定感が高くなると
おのずと自信が大きくなる。
自信が大きくなると
自分なら絶対に大丈夫だと
本当の意味で自立するのかもしれない。
誰かに大切にされないと生きていけない自分から
自分が大切にできる自分へ。
そして私が「強く見える」理由も
これなのではないかなと。
私は自己肯定感が高いし
自分を信じています。
今後の人生、絶対に大丈夫だと信じてやまない。
強さを「頑張ること」だとか
「一人で生きられること」だとか思っていたけど
強さって
自分を愛することなのかもしれない。
どんな自分でも
どんな状況でも
自分を信じて進むことなのかもしれない。
この記事を書いている時
ずっと手を胸の上に置いていました。
私の手ってあったかいのですよね。
ダメなところもダメじゃない。
弱い部分があるのも悪いことじゃない。
そう思いながら撫でていたら
いつになく心が温まる感じがしました。
大丈夫。
大丈夫だと。
苦しい状況に
向き合えば向き合うほど

↓向き合うのは自分。
愛のない他人なんてどうだっていいさ!

<書籍発売中>『旦那が突然死にました。』
****************
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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まーくんのことを『きちんと思い出にする』と決めて
それ以降
苦しいことがあっても
「まーくんがいないからだ」と
まーくんのせいにしなくなりました。

でもキッツイ。
状況は何も変わってないのだから
キツさに逃げ道がなくなって
ある意味もっとキツくなりました。
キツすぎて寄りかかるものが欲しくて
そしてそれをイカンと思った。
『強くなる』が最近の私のテーマです。
自分を育てる
一人で立つ
揺らがないように強くなる
…強くなる
……強くなる?
って、一体どういうことなのでしょう???
正直そこそこに強いと思うのですよね。笑
周りにもよく言われます。

『自立した女性』というものを調べてみても
そこそこに当てはまるのですよね。
周りに流されない自分の意志もある。
自分らしさというものを大切にしてる。
経済的に自立している。
苦難に必死に向き合ってきた精神力もある。
目標もあるし
それを目指すための努力もできる。
いや、でも完全に寄りかかりたい時がある。

友人も
「寄りかかれるものがあるのに寄りかかって何が悪い。」
と言っておりました。笑
寄りかからずに生きること
頼らずに生きること
我慢して
堪えて
拳握りしめて
歯を噛みしめて
涙を流しながら
もしくは必死に泣くのを堪えながら
……耐えることの負荷が半端ない…
というか普通の人は
こんなに常時的に何かに耐えて生きているのでしょうか…
助けて欲しいレベルが他の人より高い
それを堪えるエネルギーが物凄い必要なのに
それを我慢して
人一倍我慢して
自分の中に飲み込んで
自分で立つようにする。
結構な試練ですよ。
なんでこんなに
我慢して我慢して我慢して
我慢して我慢して我慢して
生きないといけないのか

とはいえ
こうなってしまったのだから
こうなってしまったなりに生きないといけない。
人より大変だろうと
自分を育て強くなる。
さぁ、強くなるって何でしょう?
何をしたら強くなるのでしょう?
その答えが私には急務。
だって今がキツイから。
今、強くなって揺るがずに生きたいから。
最近ずっと考えています。
『強さ』って何なのか。
何となく
『揺るがずどっしりと立って
ちょっとやそっとじゃビクともしないもの』だと思っていたけど
真剣に考え始めると
そうでもないような気がして来たんですよね。
弱いところが一切ないことが
強いことではない気がするし
誰にも何にも頼らず
硬く突っぱねて一人で生きることが強さではない気がする
寂しさや悲しさを感じなくなることが
良いことだとは思えない。
むしろそれがあってこそ
それを受け入れてこそなのではないのかなと
そして突然心に落ち着いた
あれ…?
強さって…柔らかさなのじゃないのかな?
ダメなところも
出来ていないところも
寂しい気持ちも
弱い自分も
全部受け止めて
受け止めて認めた上で
柔らかく生きていくことなのじゃないのかな。
奇しくも
今年の目標に選んだものは『柔』でした。
柔らかく包み込む
自分の中に溶かす
苦しい自分も
悲しい自分も
寂しい自分も
甘えたい自分も
苦難に必死に向き合ってきた精神力もある。
目標もあるし
それを目指すための努力もできる。
いや、でも完全に寄りかかりたい時がある。

友人も
「寄りかかれるものがあるのに寄りかかって何が悪い。」
と言っておりました。笑
寄りかからずに生きること
頼らずに生きること
我慢して
堪えて
拳握りしめて
歯を噛みしめて
涙を流しながら
もしくは必死に泣くのを堪えながら
……耐えることの負荷が半端ない…
というか普通の人は
こんなに常時的に何かに耐えて生きているのでしょうか…
助けて欲しいレベルが他の人より高い
それを堪えるエネルギーが物凄い必要なのに
それを我慢して
人一倍我慢して
自分の中に飲み込んで
自分で立つようにする。
結構な試練ですよ。
なんでこんなに
我慢して我慢して我慢して
我慢して我慢して我慢して
生きないといけないのか

とはいえ
こうなってしまったのだから
こうなってしまったなりに生きないといけない。
人より大変だろうと
自分を育て強くなる。
さぁ、強くなるって何でしょう?
何をしたら強くなるのでしょう?
その答えが私には急務。
だって今がキツイから。
今、強くなって揺るがずに生きたいから。
最近ずっと考えています。
『強さ』って何なのか。
何となく
『揺るがずどっしりと立って
ちょっとやそっとじゃビクともしないもの』だと思っていたけど
真剣に考え始めると
そうでもないような気がして来たんですよね。
弱いところが一切ないことが
強いことではない気がするし
誰にも何にも頼らず
硬く突っぱねて一人で生きることが強さではない気がする
寂しさや悲しさを感じなくなることが
良いことだとは思えない。
むしろそれがあってこそ
それを受け入れてこそなのではないのかなと
そして突然心に落ち着いた
あれ…?
強さって…柔らかさなのじゃないのかな?
ダメなところも
出来ていないところも
寂しい気持ちも
弱い自分も
全部受け止めて
受け止めて認めた上で
柔らかく生きていくことなのじゃないのかな。
奇しくも
今年の目標に選んだものは『柔』でした。
柔らかく包み込む
自分の中に溶かす
苦しい自分も
悲しい自分も
寂しい自分も
甘えたい自分も
弱い自分も
どの自分もダメなんかじゃない。
自分を認め受け止める。
心に溶かす。
どれも全部大切な自分なのだと。
自分を大切にすると
どんな自分も悪くないと
自己肯定感が高まる。
自己肯定感が高くなると
おのずと自信が大きくなる。
自信が大きくなると
自分なら絶対に大丈夫だと
本当の意味で自立するのかもしれない。
誰かに大切にされないと生きていけない自分から
自分が大切にできる自分へ。
そして私が「強く見える」理由も
これなのではないかなと。
私は自己肯定感が高いし
自分を信じています。
今後の人生、絶対に大丈夫だと信じてやまない。
強さを「頑張ること」だとか
「一人で生きられること」だとか思っていたけど
強さって
自分を愛することなのかもしれない。
どんな自分でも
どんな状況でも
自分を信じて進むことなのかもしれない。
この記事を書いている時
ずっと手を胸の上に置いていました。
私の手ってあったかいのですよね。
ダメなところもダメじゃない。
弱い部分があるのも悪いことじゃない。
そう思いながら撫でていたら
いつになく心が温まる感じがしました。
大丈夫。
大丈夫だと。
苦しい状況に
向き合えば向き合うほど
逃げてしまいたい
弱い自分が出てきます。
そう思ったっていいんだ。
そういう自分を認めることが
いつか大きな自信に繋がる。
だから
何度も何度も何度も
苦しい思いをすることは
柔らかくなるために必要なことなんだ。
だって、筋肉だってそうでしょ?
トレーニングをする必要もあるし
かと言って鍛えるだけではダメで
休ませることも
揉みほぐすことも必要
けど、キツイ筋トレしないと育たないでしょ?
でも鍛えるだけでは育たない
筋肉は硬さより、しなやかな柔軟性が大事なんだよ。
苦しい思いをして
少し休んで
ダメなところも
自分で抱きしめて
そうやって育てていくのだと思う。
そうやって育っていくのだと思う。
弱いところを見ないようにして
隠して突っぱねて
周りを攻撃するくらい固くコーティングしても
結局それはハリボテの強さでしかない。

「強いな」って思う人は
温かい人が多い。優しい人が多い。
愛が深い人が多い。
というかそういう人しかいない。
強くなるためには
柔らかくなって
柔らかくなるためには
自分を大切にすること
自分を愛すること
結局愛なんだ
そう思ったっていいんだ。
そういう自分を認めることが
いつか大きな自信に繋がる。
だから
何度も何度も何度も
苦しい思いをすることは
柔らかくなるために必要なことなんだ。
だって、筋肉だってそうでしょ?
トレーニングをする必要もあるし
かと言って鍛えるだけではダメで
休ませることも
揉みほぐすことも必要
けど、キツイ筋トレしないと育たないでしょ?
でも鍛えるだけでは育たない
筋肉は硬さより、しなやかな柔軟性が大事なんだよ。
苦しい思いをして
少し休んで
ダメなところも
自分で抱きしめて
そうやって育てていくのだと思う。
そうやって育っていくのだと思う。
弱いところを見ないようにして
隠して突っぱねて
周りを攻撃するくらい固くコーティングしても
結局それはハリボテの強さでしかない。

「強いな」って思う人は
温かい人が多い。優しい人が多い。
愛が深い人が多い。
というかそういう人しかいない。
強くなるためには
柔らかくなって
柔らかくなるためには
自分を大切にすること
自分を愛すること
結局愛なんだ

↓向き合うのは自分。
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コメント
コメント一覧 (21)
せせらぎ
が
しました
更新して下さるから何とか自分を保ててます
ありがとうございます
せせらぎ
が
しました
なんとか生きている
せせらぎ
が
しました
以前の記事でしなやかに生きる、と書かれていたかと思いますが、私もこのしなやかという言葉が好きです!今日の記事でも最終的に柔らかく、とあったので共通することも多いかと思いますが。
強くいなきゃ、自分一人で頑張らないと、強くならないと、って相当キツイと思います。。。
休もうとする自分に、頼ろうとする自分にダメ出しをして鞭打って、みたいな。
強い人だから逃げることもあると思うし、強いの反対は逃げるではないと思っています。
でも確かに、強い人ってなんか憧れるな、でもその憧れる強さって何か考えたことなかった、とか今日も色々考えさせられました。なりたい自分に少しでも近づけますように!
せせらぎ
が
しました
普通って何なんでしょうかね??
せせらぎ
が
しました
強いこと
毎日毎日 一日一日を
生きている事が
強いという事
強くなれるかなぁ
せせらぎ
が
しました
わたしは、なかなか人の懐へこびこめません。・・・はいっていいのかな?いいのかな・・・ってずっとためらったまま、最終的にもう飛び込めない距離にとどまったままでいます。そこをまず変えたいんです。自分を。せせらぎさんは、人に対する心の距離の測り方ってどうしているのかな?
相手の心のすぐ隣に座れるのかな?それとも1メートルくらいは開けておくのでしょうか。
わたしはあったかい心の持ち主になりたいです。陽だまりみたいな(月並みですが)みんなが寄ってきたいような心の持ち主になりたいのに、自分自身を開放できません。
長年の癖みたいなものですね。私の今の習性。私というなのかじ取りはまだまだできていませんし、未知数と考えたいところですが、頭のイメージ通りには自分がふるまえず落ち込んでいたりします。
自分を開放することって、難しいですか?簡単ですか?
わたしはせせらぎさんの手枷足枷を潜り抜けて、前進していく姿に、本当にすごいなぁ、すてきだなぁ・・・て憧れています。
努力の方です☆☆☆
せせらぎ
が
しました
わたしは、傍目に見て、決して追い込まれている状況にはいません。それなのに、自分で自分を追い込み、ひとり苦しがっています。そんな自分を「不器用なので」と括ってしまっています。
・・・そんな自分が嫌です。変わりたいと思っています。でも、なかなか解決の糸口は、ぱかぁっとは出迎えてくれません。
「自己肯定感」これを、私は自分の子供にはひたすら「持ってほしい、感じていてほしい」と思っています。それなのに、言っている本人、母親がそれを持ち切れていません。
「自分を肯定したい」って思うんです。「がんばっているじゃないか」・・・って。
でも、頑張ることですべてが望んだ方向へすすむわけじゃあない。だいぶそれているわが道のりをみとめてやるしかない・・・・認めればいいんだよ・・・って他人にだったら言うんでしょう。
だけど、自分自身に対しては。もう少しシビアにこういうんでしょう。「なかなか思うようにいってないね。やり方を変えたら」って。優しくいうのかな・・・厳しめに言っているのかな・・・
せせらぎ
が
しました
ブログを読んで気付きました。
私は今なんとか立って生きていくためにハリボテの強さになっていました。
なぜかそうなっていました…
私もいつか本当の強い人になりたいな。
こんな経験をしたからこそ、
柔らかさをもった本当の強い人、温かい人、優しい人、愛にあふれた人になりたい。
いろんなことを気づかせてくれて、そんな風に思わせてくれるせせらぎさんに感謝です!
せせらぎ
が
しました
大木ではなく竹になれって。
どっしり根をはって、まっすぐ立ってる大木は、強そうだけどいつか嵐が来たときに折れてしまう。
嵐をしなやかな体で受け流す竹は、倒れてもまた立ち上がる。
まさに強さとは柔らかさだと。
私、まだ地面に寝っころがってるんで、折れてるのか、しなってるのか、わかんないんですけど😅
ちょっと頭持ち上げてみようかしら。
せせらぎ
が
しました
そんなつはてで収まらないくらい、お疲れ様です。
よく、苦労はできる人間の所だけに来る、と言いますよね。
私も主人を亡くして、小さな子供2人抱えながら『自分にしか乗り越えられない試練をもらった』そう念仏のように唱えながら日々をすごしています。
後世の自分や子供、そして前世では徳を積んだであろう自分を想像し、暑い夏、一緒に超えましょ!!
止まない雨はないし、その先には虹が掛かると信じて。
せせらぎ
が
しました