私たちは社会の中に生きています。

所属するところがあって
自分の立場というものもくっついてくる。


会社の社員
誰々の妻
子供たちの母


子供を育てていると
「親なんだから」とう呪いの言葉がつきまといます。



親としての責任は確実にある。
それを果たさねばとも思っています。


子供達が巣立つまでは新しいパートナーだとか
そういうのは無しにしよう。
私の責務は何よりも子供達を育て上げることだと。

愚痴りましたよね。
子供達巣立ったら私もう50歳なんですけどーーー!!?て。

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そこから何かがあっても無くても(あって欲しいけど)
いや、無かった時に
私は子供達のせいにしないだろうか。

あなたたちがいたから
私は必死に、あなたたちだけのことを考えて生きてきたのだと。



私の人生は『母』としてのものなのか。





かといって、『母』をおざなりにして
誰かを求めて『女』として生きるのも何かやだ。

でも『女』を捨てたくはない。
『女』でいたい。美しく生きたい。





そして割と私の周りに多い
『自分』を生きている人。

自分として、この人生で何をやりたいのか。
どう生きていきたいのかを考えて動いている人。

私が70歳になった時に何をしていたいのかの話をされました。

70…もう『母』だとか『女』だとかの次元を超えた
『自分』だけしか残っていない状態。

その時に私はどう生きていたいのか。

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自分の状態って全部が混ざり合って
どれかだけ大切にしてもいけないのじゃないかな。

母として
女として
自分として

どう生きていくのか
全部大事。




母としてだけでなく
女としてだけではなく
たった一人の『自分』を


どう生きていきたいのか 



『自分』の主軸があって初めて
母としての強さを持って
女としての幸せもあるのかもしれない。 

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『母』がなくなった時
『女』がなくなった時

ただ一人の人として
どういう軸を持って生きているのか。 


母も女も『自分』の付属でしかない。
自分の生き方を一番大事にしないといけないのではないか。





では
『自分を生きる』ってどういうことなのでしょう。


いっちゃん難しいのでは… 

何かの所属として生きる方が
「こうすればいい」「こうしていればいい」
という道筋がある気がする。 

『自分を生きること』はどこまでも自由で
どこまでも自分の責任になる。




誰も責任は取ってはくれない『自分』を
何をして、どう生きていきたいのか。

70歳になった時
胸を張って自分を生きていたい。 


そのために
「親だから」「女だから」「未亡人だから」「大人だから」...と
思いつく限りの縛りは全て捨てて
『自分』で生きていこう。 

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↓『自分』が生きていきたい道とは…



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