死別を経験すると
それと同時に

『人の意見』というものを
沢山投げてこられるようになります。

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良かれと思って
偏った思考で
自分よがりな正義感で


理由はそれぞれ
立場もそれぞれ
想いもそれぞれ


それでも
その人の『こう思う』を沢山投げられます。



いやがおうでも
その投げつけられる言葉の数々に
対峙することになります。


そんな中
ブログを書いていると
さらに色々な言葉を投げられます。

それはポジティブなものもネガティブなものも。

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まーくんが死んで
本当にたくさんの人の
想いや言葉を聞きました。
聞くようになりました。



たくさんの言葉を受けて
改めて
人の言うことは無責任だなと。


それは良いのです。
そういうものです。
人に対して言う言葉なんて
私が誰かに言う言葉だって結局無責任。



だからこそ
人の言葉って気にしなくて良いなと思います。
受け取りたいものだけ受け取ればいい。

自分の気持ちが一番大事。
自分の人生の生き方を自分で決めるのが一番大事。






例えば今日
私が再婚したとしましょう。



祝福してくれる人もいるでしょう。
でも絶対一定数いる。


『まーくんのことはそれほどでもなかったんだ。(がっかり)』


みたいな人たち。 



もういない人を想い続け、愛し続けるのも素晴らしいことです。
でも
新しい愛溢れる人生を歩くことも素晴らしい。


がっかりする人たちは
私の人生に何の責任も負わない人たちです。
何の責任も負わないくせに
「こうであるべきだ」と押し付けてくる人たち。 


そんな人たちのことなんて微塵も考えなくていい。




お金を使うと「お金があっていいね」
新しい恋をすると「故人が可哀想」
楽しんでいると「よくできるね」

死別後に美味しいものを食べようと
良い肉をスーパーで買っていたら
ご近所の人から嫌味を言われたと聞いたことがあります。



大切な人を失った人は
暗くて苦しくて悲しく生きていかないといけない。

楽しむなんてもってのほか!
ハッピーなんて信じられない!


私が暗くて苦しくて悲しく生きることを良しとし
大切な人を失ったのにオッパッピーに幸せで生きることを否定するでしょう。



私が暗い人生を送っても
その後辛すぎて死んだとしても
何の責任も負ってくれないくせに。

だったら、そんな人のこと気にせず
自分のために晴れやかで幸せなオッパッピーな日々を送りたい。 

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自分の人生の責任を負うのは自分です。

楽しかろうと
苦しかろうと

誰のせいでもない
自分の責任。



私の人生のことをこれっぽっちも考えてくれない人の
無責任な呪いの言葉

「こうすべきだ」
「こうすべきじゃない」
 
私はその人のための人生を生きているわけじゃない。
自分の責任で自分の人生を幸せに生きるんだ。 



ま、ポジティブな無責任な発言には
全力で乗っかりますけどね〜。

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※コメント返信お休みしてます。 



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●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら


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