昨日は沢山のコメントをありがとうございます。
批判的なものは気にしてないし
気にしてられっか!と思ったという内容でしたが
皆さんの温かい気持ちに触れまくって
批判関係なく
逆に嬉しくなっちゃいました!






そして今日はけーくんの話。



子供に寄り添うとは
どういうことを言うのでしょうか。



ADHDでASDのけーくん(7歳)は
言葉が出るのが遅くて

確か2歳半くらいで一語。
周りの子が二語(ワンワンばいばい)などの時に
「あ〜お〜」の一言だけでした。(ママですらない。笑)

20210302_1

その後も通常発達時の子と比べ
言葉の発達は1歳半の遅れ。

それでもコミュニケーションに困ったことはなく
けーくんの言いたいこと
言わんとしていることは丸っとわかりました。


言語の遅れがあるし、精神的にも幼いから
言い間違いや、伝えきれないことを
その都度訂正して言い直させていたら
彼のやる気を削ぐだろうと。

基本的に全部丸っと受け止めて来ました。




7歳になった今
言葉は同学年の子と同じくらいには話すようになり
でも、ASD(自閉症スペクトラム)の性質か
言葉のキャッチボールがちぐはぐで
なかなかにコミュニケーションが歯がゆいところもあります。

それでも
全部汲めていました。
親だから。7年間みっちり傍にいた身としては
今何に意識が向いていて、何を言いたいのか
言い方がおかしくても
言わなくてもわかります。
心を寄せられる。


20210302_2

それでいいと思っていました。
親だけはストレスなく一緒にいられると思ってもらえることが。




そんなある日
療育兼塾の先生と話していて

『汲んであげない優しさ』

というものに気づきました。


言い間違いや伝え下手なところを
その都度チェックして指摘し、教えてあげる。方がいいと。


私としてはわかる。
何が言いたいのか。


でも
けーくんのいる世界はもはや
私といる世界だけではありません。


「何言ってるの?」
「意味わかんない」
とストレートに弾かれる世界。

汲んでもらえない世界。



そこで生きていく為に
出来てないことを教え理解させていくことが
必要なんだと感じました。

「ぼくは出来てない」
と思うことを良しとは今まで思えなかったけども

それでも
事実として出来ていないのだから



そこはちゃんと伝えて
どうしたらいいのかまで教えることが
ただ、寄り添ってストレスなくいさせるよりも
大切なことなのだと思いました。



『出来ない』が自己肯定を低くさせる発達障害児。
でも、その『出来ない』を伝えることの大切さ。


それは、私がいない世界で生きていくためのもの。


できれば何からも傷つかずストレスなく生きて欲しいけど
それは本当の意味での優しさではないんですね。


守るだけが優しさではないのだと…
今まで受け流していたものを受け流さない分
こちらのストレスも増幅なのですがね…

お互いがストレスを貯めてでも
逸らしちゃいけないものがあるんですね。

20210302_3


↓我が子はやっぱり発達障害だった



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