我が家も漏れなく『鬼滅の刃』にはまっております。


割と前に友人から勧められた時は
一、二話見てもはまらず

それからしばらくして
テレビで総集編をやっていた時にどハマりしましたよね。


子供達と一緒に見て
ワイワイ話せたのが良かったのかもしれません。

子供達が好きになって
ことあるごとに話をして
こんなのあったよ!って私も教えてあげたくなったりして


全然見る気なかった映画も
もう当然のごとく見にいく流れになっていましたよね。

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先に見た甥っ子が
「感動した。泣いた。絶対見た方がいい。」
って言っていて

ハンカチ片手にのめり込んで楽しく見ていたら
まぁまぁの良いタイミングで
けーくんが「トイレ行きたい!」

うん。だよね。そういう子だ。




一旦心が離れ
急いで戻って
映画に再度全集中していると

いっちゃん泣ける良い場面で
長男けーくん(7歳)が私を呼んでこっそり「オシッコしてスッキリしたよ!」
と謎の報告。

なぜかトイレから時間が経っているのに!!
まさかのタイミングで気持ちを削いでくる。笑

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けーくんは人とのやりとりとか
言葉のニュアンスとか
あんまり興味がなくて
戦いが一通り終わった、しっとりのタイミングで
(でも大人的には一番ええシーンで!)
つまらなくなって声をかけてきたのだと思います。

とまぁ、泣きはしたけども
要所要所にけーくんの思い出が残る映画鑑賞でした。




内容はネタバレをするのもなぁということで
あまり触れずにおきますが

旦那と死に別れた身としては


人というもの
死というもの


残す者の想いと
残される者の想い

死にゆく者と
生きねばならぬ者

託された想いと使命


ずっしりくるものがありました。




人はどうしても死んでしまう生き物で
それはもう仕方のないことで


やはりそれまでに
やるべきこと、繋ぐ想いがあって
その想いを継いで
残された人は生きていくしかないのだと

それがどれだけ嫌でも、悲しくても、苦しくても
回避することは出来なくて
戻ることも出来なくて

生きていたことを噛み締めて
自分の中に溶かして
前に進むしか道はないのだと。

改めて思いました。




私には何ができるのだろう。

私に託された想いはなんなのだろう。
私の使命はなんなのだろう。



死んでいく者の想いを継ぐことが
その人が生きていた道を残すことになるのだろうと
まーくんのことを想いました。


私たちに、残す想いを伝える時間はなかった。
そういうこともある。

それでも分かる彼の想い。

残してあげたい。
彼の生きた道を。
彼の想いを。


死んでしまうことは悲しい。


けれど、それに蓋をせず
こういう人だった。
こう生きたんだと
口に出し、伝え、心に残すことが
今も人の中で生きるということなのでしょう。

そして
今生きている者が
死に逝く時まで
信念を持って、受け取った何かを胸に必死で生きることが
唯一、その死が無駄にならない方法なのでしょう。

無駄になんかしてやらねーぜ。

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次男しーちゃん(5歳)はもちろん禰豆子(ねずこ)推しです。

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↓人の中に何かを残せる人は
きっと一生死ぬことはないのだと思う。
 
↓大切な人が死んだ物語の始まり。


※コメント返信お休みしてます。


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そんな私が本を発売しました。
まーくんが死んでからのことを
綴った3年間の記録。

まーくんを世に残せたかな。

旦那が突然死にました。
せせらぎ
エムディエヌコーポレーション
2020-08-24


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