旦那のまーくんが死んだことを書籍にしました。


自分の本のレビューを読んでいて
もう高評価しか読まないって決めたのですが


その中で
「ひどい評価があるのに驚く」とあって


その内容はわからないけど(読んでないから)
どうやら多分私自身の
考え方ややり方
子供達への対応などの批判なのだろうなと
(高評価レビューから察するに)



そうすべきではない
こうやっていくべきだ




そういう感じなのだろうなと。










HEY、くっそくらえ〜!

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死別してわかったこと
人はその人の裏の事情を知らない。
経験しないことはわかり得ない。


私がどれだけのものを隠して生きているか。
それを知らずに
その人のその人だけの正義と基準で
足りない想像力で
あたかも『当然』の如く押し付けてくる。

どれだけ言われたか…
考えている風の考えなしの『アドバイス』


全く同じ状況なわけでもないのに
そうできる。そうすべきだ。なんてよくも言えるなと。



旦那は死んだの?
突然死?
喧嘩中?
大好きだった?
職場は一緒?
仕事は?
交際期間は?
子供は二人?
男の子?
幼児?
発達障害児?
友人関係は?
家族関係は?
ご近所関係は?



限りなく近しい状況の人はいるかもしれない。
でも全く同じなんてありえない。

全て同じでない限り
『こうすべきだ』なんて言えるわけがない。

『こうしたら?』『これは良くないよ』は思いやりの塊だと思います。
でも人を否定する『こうすべきだ』も割といる。



どれだけの苦しみを抱えて
どれだけの涙を流して
必死で保とうとしているか
前を向いて生きていこうとしているか

やれと言われても無理なもんは無理。
わかってても出来ないものは出来ない。



分かりもしない奴に
分かろうともしない奴に
こんだけのキツイ精神状況抱えて生きてきたのだから
何を言われてもへっちゃら〜。



だから自分も『アドバイス』という凶器の扱い方に躊躇しますよね。
相手主体の『思いやりのアドバイス』と
自分中心の『言ってやりたいだけのアドバイス 』


昔は自分が正義で
正義以外のものに「信じられない!こうあるべきだ!!」と凶器を振り回していましたけど

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今や、その凶器を振り回していた自分が恥ずかしいですよね。
それも、あたかも頭良さげな知った風な顔して…。
何もわかっていなかったなと…。


でも、そうなってしまう理由があるのかもしれない。
それを考えるようになった。

まぁ、その理由も踏まえて許せなければ
そっと離れるのみです。
だからこうすべきだ!なんて言いません。




こうすべきだ!なんて100も200もわかってますもの。
でもね。出来ないのが人間なの。
そうなる理由や状況があるの。

それを関係ない人が「あーするべきだ。」「こーするべきだ」
もう…バカらしいったら…


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それを知った上で
まーくんと生きていく未来があったら
一体どんな関係を築けたのかな…

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↓価値観激変の『死別』ったらない。



  ※コメント返信お休みしてます。  

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●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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