2017年の8月に旦那様のまーくんが死んで
それから三年ちょっと




感じるのは周りとの感覚のズレ




死んだ当初は
その衝撃的過ぎる出来事に
残された私に心を痛め
辛過ぎる現実を「辛いだろう」と皆んな心を寄せてくれた。




それから三年が経ち




日々明るく楽しく
何事もなく振る舞っている私が


まだ渦中にいるとは
きっと誰も思ってない。








みんなには
少し前にあった悲しい出来事。




でも私には今も続く悲しい出来事。







誰が知っているでしょう


今でもすぐにでも大声を出して泣けることを


どうしても動けない朝があることを


息が苦しくて
涙が止まらない時があることを


会いたくて会いたくて
会いたすぎて軽くでも「会いたい」と口に出せないことを


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自分で書いた本にも
今現在の自分も
『前を向いて生きていく』ことを決めた。




でも
そこで苦しみが終わったわけじゃない。




三年経ってもなお
自分の現実と現状に
吐くほどの嗚咽が出る。


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死別がこんなんだとは知らなかった。




だって
ドラマも本も映画も
バカみたいにどれもこれも
割と早く
辛い想いを胸に前向いて生きてます。


なんだもの。
まだまだ震えるほど苦しいっていうのに…






なんで割と時が経ったのに
変わらずに苦しいのかと考えたら


『現状が何も変わってない』
からなんですよね。




まーくんが死んで
世界から消えたという状態




大抵の悩みや苦しみには終わりがあります。


子供は成長するし
嫌なことから離れるという選択もできる
自分で現状を変えることもできる。




でも


人の死は


もうどうにもならない。


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最愛のパートナーとの別れ
いざという時、心が苦しい時
寄り添い、支え合い、助け合える存在。


それが無くなった現実。
それも、相手も望んだわけでもなく。
誰も望んでいなかったのに…



だから
この苦しみが本当に薄れる日が来るとしたら
きっと
新しい心から寄り添えるパートナーが出来た時なんでしょうね。

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そうじゃない限り
それを失った苦しみは癒されようがない。
そこが埋まらないとずっと失ったまま。



けど
現状は苦しいけど
新しい誰かを心が求めてもいない。






愛してる人を
愛してるまま失った。




次に進もうにも
心には彼がずっと棲みついてる




割り切れるものじゃない。






死別は苦しい。
きっと誰が思ってるよりも。




そんな現実に
嫌でも毎日毎時間対峙して


前を向こうと
強くなろうと
笑おうと


頑張ろう
頑張らなきゃって
自分を奮い立たせるけど


やるせなさに負けそうになる時がある

それでも踏ん張るしかない



もう
心が鍛錬されないわけないよね。




さぁ目指そうか。
超人を。

↓なんとかかんとか奮い立たせて、そうやって来た。


※コメント返信お休みしてます。

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