ブログを書いていて
書籍を出版して

たまに思うことがあります。


この人は一体私の何をわかって言っているのだろう。

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主に否定的なものに対して。
肯定的なものに関しては
たとえそれが的外れでも、私を美化に美化しすぎていてもいいんです。
(勝手か!)

肯定はプラスのエネルギーを生むものだから。 
誰かを傷つけるわけでも
誰かが傷つくわけでもありません。

頑張ろうと思える。

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否定は…非難は…
もうちょっとよくわかりません。


私の精神や生き方が幼稚だと言う人

正直(えーーーーーーー!)と思いました。
そりゃあ崇高な人間じゃないし
幼稚だと思うところも多々あります。

でも、よく知りもしない人が凄い勝手に決めつけるなと。



私の人生、どれだけのものを抱え(死別前も)
どれだけのことを乗り越え
何に対峙し
今、必死に生きているのか。
全部知ってる?親でも知らないのに。



死別してわかったことは
人は欠片しか見ずに、人のことを判断する。ということ。

笑っていても、その人の裏側には見えない大きなものを抱えているかもしれない。
なんでもない風で、苦痛を抱えているかもしれない。
それぞれに大切な人がいて
それぞれに大切に想われて

たった一つの出来事、一つの会話だけでは
その人のことは測れない。そう思っています。



私の精神論、生き方
ありえない。幼稚。そう言う人は
一体何をどれだけ見て言っているのかはわかりませんが

あなたの価値観の、あなたの人生の、あなたの基準での話。
決めつけはよくないなと思うのです。




私のブログを全部読んでくださっている方は
私の未熟さと良き部分とを知っていてくれているでしょう。
また
まーくんのありえなさと、素敵な部分を知ってくれているでしょう。


でも、一片だけを切り取る人は
まーくんは人格者で、私はわがままな嫁。
まーくんは酷い夫で、私は我慢の妻。
全く両極になる見方を別々にします。

同じ夫婦なのに…。

人は一つのことじゃ語れない。

本当にそう思います。




そういう否定的な言葉に
以前は傷ついていた自分もいましたが
最近はさほど傷つかなくなりました。


人間が出来た崇高な人に言われるならまだしも
未熟な人に何を言われたって
気にとめるほどのことじゃない。

だって人間が出来た崇高な人は
未熟な者を傷つける言い方はしないもの。



人を未熟だと言う人ほどの未熟さったらない。
人をバカにする人ほどバカな人はいない。

人を笑う人ほど笑われるべき存在であり
蔑む人ほど蔑まれているんだろうな。

そう思っています。




嫌だな。って思う人にも大切な人がいて
その人の人生を歩いています。

それを否定する権利ってあるのでしょうか。
否定できるほどの人がいるのでしょうか。


せめて自分は
その『嫌だ』と思う向こう側にある
その人を見たいなと思う。



私の価値観の、私の人生の、私の基準の中で
でも、決めつけることなく
人を見れたらなと思うのです。

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ただ、そういう言葉にふれて
「なんじゃそりゃー!」と思う私も
まだまだ未熟な人間でござんす。



↓それこそ、一片だけ切り取られて荒れ狂ったな。笑


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●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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