俳優の三浦春馬さんが亡くなりました。

理由はわかりませんが
どうやら自死とのこと


まだ30歳、若すぎる。
ご家族のことを思うと胸がつまります。




『大切な人が死ぬということ

それも突然に』



考えられますか?

昨日、今日、今話していた人が
突然いなくなってしまう




考えられますか?

当たり前にあると思っていた未来が
突然、音もなく消えてなくなるだなんて




まさか自分にそんなことが降りかかるとは思ってもいませんでした。
旦那のまーくんは41歳でなんの前触れもなく、突然死にました。

前触れは今思えばあったのかと思うけど
それが死に直結する前触れだなんて思いもしなかった。



突然死には
病気や事故や事件や自死、色々なものがあります。

その状況によって思いは違うところもあると思いますが
大きくは一緒だと思います。





大切な人が
突然にいなくなる苦しみ。





闘病には闘病の
死に向き合う時間があるというのも辛いとは思います。
それは私には計り知れない。



それでも私は突然死の遺族なので
突然死が一番辛いと思う。




昨日あったものが
今日から突然なんの前触れもなく
無くなる。

取り戻すことも
一緒にいる時間を大切にする猶予もなく
無くなった日々が始まる。



世界は何一つ変わらないのに

突然に彼だけいなくなる。

彼だけがいなくなった世界に変わる。




最後に交わす言葉を選ぶことも
伝えなくてはいけないことを伝えることもできず

暖かい手に触れることも
目を見ることも

突然全てができなくなる。


グラデーションなんてなにもなくて
死の瞬間に全てが変わる。



「おはよう」と声をかけることも
子供達と触れ合う姿を見ることも
一緒に食卓を囲むことも

突然にある日を境に
未来永劫無くなる。


世界は何も変わらないのに
その姿だけが消える

まるで神隠しにでもあったかのように


思い出は、一緒に過ごした『当たり前の日々』しかなくて
『当たり前の日々』があるか、無くなったかだけ。




闘病に死に向かう時間があるとすれば
心情の谷底へ行くまで歩いていくのでしょう

その道のりも苦しいものだとは思いますが
覚悟する時間、整える時間がある。

突然の別れは
まさしく突然に谷底へ突き落とされる。

心の準備も何の装備もなく
ただ身一つで
谷底から始まる。



まるで自分が違う世界に迷い込んだように感じ

全部信じられなくて
今にも普通に帰ってくる様な気がして…




目の前の『死』に対峙した時
きっとみんな思うことは一緒

「信じられない」「嘘だ」「そんなばかな」
「…だって…元気だったのに…」



それでも二度と帰ってくることはなく

いくら待ってもその扉は開かなくて
彼だけがいない毎日が過ぎていく



「考えられない」「考えたくない」「まだ生きてると思う」

少し離れた関係ならそう思える。そう沢山言われました。
実際、三浦春馬さんの出ている作品が目に入っても
目を伏せ、見るのを避けました。

その事実を見なければ辛くない。
死んだと思わなくていい。


でも
生活を共にする
一番近い場所にいた人は違う

見たくない現実に毎日晒されて
『いない』『死んだ』事実をずっと突きつけられる。

逃げる場所なんてどこにもなくて
一番苦しいにの
一番見たくないのに

一番見せつけられる。



突然死んだもんだから

ベッドは起き抜けのまま
キッチンも
洗濯物も

家の中はまるで
まだ生きているかのような空気に包まれていて

匂いも触感も
全てをまだ覚えていて





ただ




そこにはもう彼の姿はなくて


どんなに鮮明にそこに姿を見ても

それは
もう私の記憶の中だけで

もう二度と会うことはできなくて


話すことも
抱きしめることもできない


なんでここに彼はいないのだろう。
彼だけがいないのだろう。



お別れを言うこともできなかった。


しかもよりにもよってケンカ中に死んだ。


当たり前に『次』があると信じ切って
何も疑わなかった。


幸せの状態の別れではなかった。
まーくんが最後に見たものは家族ではなかった。

もう二度と仲直りはできないまま…



突然死は…キツイ
想像以上にキッツイ 



どれだけ悔やんで
どれだけ嘆いて
どれだけ泣いて 


何度、あったはずの未来を考えて
何度、失った過去を振り返ったか




普通のどこにでもある幸せが諦められなくて

でも

諦めなくてはいけなくて…





そんな苦しんでいる人に対して
漏れなくやってくる
何も考えてない浅はかな人。

「気づけなかったのか?」
「なぜ、そうしなかったのか」
「追い詰めたんじゃないのか」

生活を共にしていない
この苦しみを崖の上から見下ろして投げてくる言葉

何で責任までなすりつけられなくてはいけないのでしょう


それも
私より辛くもない人に

 



突然死は確率としては低いかもしれない。
若ければ尚更。


だけど

この世界のどこかでは確実に起きている出来事で
予測や前兆も不可能だとしたら

隣の大切な人が
今、死んでしまう可能性はゼロじゃない。 


今日死んでしまうかもと思って生きること。
死んでしまっても後悔しないように
大切な人は大切にして生きること。


声をかけ、想いを伝え
笑って生きること。


仕事上でも師匠である まーくんがくれた
人生史上最大の教え。 



本の校正が届いて 
表紙には
『今日、大切な人が死んだらどうしますか?』
と、入っております。
IMG_0191





 今日、大切な人が死んだらどうしますか?




そこに後悔はないですか?






死ななくたっていい。
死なない方がいい。

でも
死んでしまうかもしれないと思った方が
きっと素敵な時間が作れる。


失ってからじゃ遅い。
気づいた時に無かったら大事にできない。



可能性は低いけど
『突然いなくなる』可能性はゼロじゃないんですよ。


ぜひ、私の様にケンカ中の死に別れなんて
バカな目にあいませんように。





そうしてふと記事にして気づいた
今日月命日だなと。

最近、炊飯器が
自動スイッチオンするので
電源を抜いております。
(まーくん…来てるのかな。
本当やめて!スイッチオン!)
20200721_2


来月でちょうど丸三年。

三年…

まーくんが突然いなくなってから三年。



長かった様な短かった様な時間。
一体その日に何を感じるのかな。

まーくんに何を伝えるのかな。



●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

**************

そんな3年間を
綴り続けたものが本になります。
(あれ?なんか上手いこと広告的な流れに…笑)

予約開始になった日に
Amazonカテゴリーランキング
一位になりました。(マジか!)

ご予約受付中!!
ご予約はこちら↓
旦那が突然死にました。
せせらぎ
エムディエヌコーポレーション
2020-08-24


サンプル(第1章分どどーんと配信しています)
●Twitter→こちら
●アメブロ→
こちら

*************

 クリック蘭


  ↓応援ポチッといただけると嬉しいです。
 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ


  ↓LINEで読者登録。

blogreader_201903_2