まーくんが死んでから 
もうすぐ三年。


日々、そんなに泣くことは無くなりました。
まだじんわり涙が滲むこともあるし
三年間、1日たりとて思い出さない日はありません。 
それでも、あの頃のような
身を引き裂かれるような
声にならない雄叫びをあげることはなくなった。

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いない日々に慣れたことと
生活が変わって(甥っ子を迎え入れて)
毎日忙しくて(書籍化作業に猛殺)
深く思い返している暇がないからかもしれません。


そんな中
すくパラ倶楽部さんでの本連載が決まって
プロットやネームやらでどういう話を描いて行こうかと練っている時

担当の方から「う〜ん」と
私の出したネームが通りませんでした。


ちょっと、まーくんさん酷すぎやしないかい?
と。美談にする必要はないけども
ちょっとせせらぎさんが心配になるレベル。だと。



そうか…そうなのか…
私はいたってなんとも思わず、なんなら笑い話なんだけども
世間一般からしたら、とんでもない旦那だったのかも。

友達からは「まじ無理」と言われていました。
「せせらぎだからやっていけるんだ」「本当菩薩」と。

最たるエピソードとしては
オムツを取ってもらおうと「オムツ取って」と言った言葉にガチ切れされたことでしょうか。
その場にいた友人夫婦も
(え〜…せせらぎちゃん、むしろ優しい言い方してたんですけど…)と引くほど。



ブログ上でも書くことをはばかれるほどの沢山酷いことがありました。
すくパラ倶楽部さんの連載上も柔らかくしています。




それでも
今でもこんなに愛してる。


離婚してやろうか。
死んだ方がいいのに。

そう思ったこともあったけど
それでも、それは愛が故の腹立ち。



あんなに腹が立ったのに
彼以上には出会えないと結婚した。

結婚した後もそう思ってる。
まーくん以上はいないと。

どんなに酷くても
それを超える魅力があった。
そんな人にはもう出会えない。


そんな話をする度に、担当編集者さんは
「本当、夫婦というものの深みを見ているようだ」と言われます。



世の中がワンオペ育児の大変さ、夫婦間の亀裂を取り上げても
完全ワンオペ育児だった私は
そのことに、たったの一つの不満もありませんでした。
(仕事で帰って来なかろうと、飲んで帰って来なかろうと。)


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手は限りなく借りられないけど
誰よりも分かってくれる。
誰よりも話を聞いてくれる。

誰よりも分かり合える相手だった。

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誕生日プレゼントはくれなくても
一緒に行ったケーキ屋で
「どっちも食べたいならどっちも買いな」と
まさかのホール二つ買を何とも思わずやってくれる人だった。(二人暮らし)


良いとこも
悪いところも全部わかってた。


唯一だったんだな。
たった一人の人だった。

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もう




話すこともない。


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三年間、一度も姿すら見てないのに
今でも愛してると言える
たった一人の人。 



唯一無二のかけがえのない人。

もう会えない人。




↓そんな新しい連載が始まっています。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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