旦那のまーくんが死んで
全てのことに幸せを感じるようになりました。


不思議ですよね。


周りからしたら不幸なはずなのに
不幸であることには変わりないのに

それでも私は
まーくんが生きていた時よりも幸福度が高いと感じています。

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状況は悪いです。
収入も減ったし
寂しいし悲しいし
子育ては一人では大変だし
一人で家事育児仕事はマジきつい。

それでも幸福度はあがった。

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ということは
幸福に客観的状態って関係ないんです。

その状態をどう感じるかが
幸せには大事なことだと思います。




お金を払ってつまらない映画を見てしまった。
あぁ、時間の無駄。

そう思ってしまったら、その時間は人生の無駄。 


ポップコーンを食べてコーラを飲んで
気持ちの良い時間を過ごせた

そして、睡魔に負けて全てを諦めて眠りに入るあの瞬間
なんて贅沢だと思います。
お金払ったのに眠るという贅沢。笑

状況は同じ。
つまらない映画を見てしまってお金を無駄にした。


でもそれをブチブチ言うより
「凄い贅沢な時間を過ごした。」そう思った方が
断然に幸せ。
 

言わないですけどね
「あーつまんなかった」とブチブチ言う人に
良い時間だったなんて。
なんでもポジティブに受け止めすぎて頭おかしいとしか思われないから。

私は心ひそかに思って幸せを堪能するのみです。

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あ、つまらないものを楽しいとは思いませんよ。
不味いものを美味しいとも思わないし
不快なものを心地よいとも思えない。



ただ、 それだけでは終わらせない。
そこに潜んでいる小さな幸福に目を向けるだけ。


同じ時間を過ごし
同じ人生を歩いたとしても
感じ方は人によって違う 


人生をを豊かにするのは
何かになることでも
何かを成し遂げることでもない

何に気づくかということ


どんな日もどんな時間も最高の時である。
そう思えた時間が積み重なった人生。

最高に素敵なものになりそうじゃない。


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人生の質を変えられるのは自分。
自分が変われば人生の質が変わる。

周りが、状況が何も変わらなくても
人生は変わる。


最愛の人が死んで
苦しみに満ちた人生。

でも変えてやる。最高に幸せな人生へ。


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↓幸せを測るのは他人じゃなくて自分でしかない。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら


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