姉と話していて


「世界はせせらぎを中心に回ってる」


そんなふうに言われました。


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「きっと、こうなるように 道が出来ている」のだと。


せせらぎの為に周りがいて
せせらぎが困らないように周りが動くようになっている。


姉の子はADHDで、家族全員それに向き合ってきました。
そして、けーくんもADHDの甥っ子にそっくり。

でも、対処の仕方を、そういう気質なんだということも家族全員が知ってます。
それもきっと、せせらぎが困らないようにと皆あらかじめ対処出来る様にされていたと。
そういうことでせせらぎの人生は出来ているのだと。




ぶっちゃけ私もそう思います。 

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私を中心にとは思わないけど
全部が繋がって良い方へ巡るようになっている。


幼少期、文章を書いていたことで今ブログを書いているし
ピアノを習っていたことで、セカンドハウスでグランドピアノが弾ける
絵が好きでデザインの道に進んだことで、今書籍執筆に大いに役立つ知識がある

持病を持っていたことで人生を達観して生きてきた。
まーくんが死んだことで人生が開けた。
甥っ子(15歳)を預かることで、自宅自粛の子供達と鬱屈な時間が楽になった。
収入減少と危惧したら、別の臨時収入が入る。


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小さいことも大きいことも
今までの私が、今の私を作り
全て未来へ繋がっていると感じています。



でもそれは
全部自分で作ってきたものだと。姉は言いました。

住みもしない家を大金をはたいて建てる(セカンドハウス)
責任が生じる人の子供を預かる(甥っ子の高校三年間)

普通その判断が出来ない。
その思い切りがせせらぎを引っ張っているのだと。

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人生は思いもよらないことが起こる。


でもそれを連れてきたのは自分で
そこから、また自分を動かすのも自分です。


まーくんが死んで強くそう思うようになりました。




『一生懸命生きていればいいことがある』

そんな陳腐なことは言わないけれど
その時を精一杯向き合って
心がプラスに動く方へ向かっていけば

たとえそれが他人からしたら馬鹿げたことでも
少しエネルギーのいることでも

自分の心を大切にすれば
きっと幸せな未来へ続いている。




一つ言えるのは

『やってきたこと』が次を連れてきてくれた。

『やらなかったこと』は絶対に次に繋がらない。



私は自分の人生に自信があります。
きっと良い人生になるだろうと。


神様に選ばれ恵まれたから
ではなく

それは

恵みを自分で作れると知ったから。
そのタネを撒いたのは自分だから。




家族は死んだし
何か大きなものを得たわけではありません。
それでも沢山の恵みが周りにはある。


「今までのことが今に繋がって
せせらぎは作家になる運命だったんだよ」

そう言った姉に対して

そうか。
作家として生きていこうか。
そう思いました。


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本はまだ出版していないし
いわばただのブログをやってる女です。

「作家なんて…いやいやいやいや
文章レベルも知識も実力も全然素人だから」


なんて思いません。笑




「やってみようか」それが全てを連れてきてくれる。

『やれるか、やれないか』は問題じゃなくて
『なれるか、なれないか』も問題じゃない

「やってみよう」が全てを連れてきてくれる。

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それを知った人生になった。
それを知れた人生が神に選ばれた人生なら
誰でも神に選ばれた人生になれる。


今の自分が未来の自分の力になりますように。

一生懸命、心がプラスに向くものに
取り組んでいこうと思います。


まずは汚れてきたセカンドハウスのウッドデッキの雑巾掛け。
かけ終わったらそこで朝日を浴びながら外ヨガをするんだい!

そしたら、そこにたまたま通りすがった大富豪と目が合って
意気投合の後、再婚するかもしれない。

それが『動く』ことで起こる『可能性』というやつや。


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↓点は全て繋がって未来へ続く線へ



↓実際掃除したのは子供達。
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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