旦那のまーくんが死んで
頭がおかしくなって

住みもしない二軒目の家を建てました。



まーくんが死んだことが辛くて
失っただけの人生は生きられなくて

なんでもいいから新しいものを手に入れたかった。


別に保険金がたんまり入ってきたわけじゃありません。(母が「少なっ!」と言うほど…)
それでも、まーくんの命はお金に変わった。 
生涯賃金には到底及ばないけど、それでもまとまった額。

 

そして現金一括購入。

お金が有り余ってたわけじゃないですよ。

本当はローンを組みたかったけど
収入のない私にはどこも貸してくれなくて(当たり前)
貸してくれたとしても住まない家には金利がバカ高くて
お金が沢山ない私には金利分も辛い。
(金利って安く見えて結局数百万余計に払うことになるんですよ…) 

なので、バーンとまーくんが死んでもらった金を使いました。
生きていくのに必要な金は私が稼ごうと決めました。
(なので、未亡人の私の現金資産は全然無いですよ〜)


家を建てる時に家族やハウスメーカーと揉めて
子供達にもお金がかかるようになって
建てなきゃ良かった(もっと豊かに暮らせたのに!)と思ったこともあったけど
ここに来て本当に建てて良かったと思ってます。


メインは仕事用に使おうと思っていた家だけど
自宅自粛の今、頻繁に利用しています。

家にずっといるところを
2軒目があることで子供達の刺激にもなる。
まだ環境が整ってない状態なので
スペースも広く遊びたい放題。

食事は隣の実家から運んで
みんなで食卓を囲みます。

実家の両親も孫たちの喧騒と散らかっていく部屋にイライラしないし
程よい距離感で良好な関係が保てています。


非日常の空間すぎて(生活感がない)まるで別世界。



別荘にでも来たようだと寛ぎ
みんなで75インチのテレビ画面で映画を観たり(スピーカーも設置)
私は大きな窓から吹き込む光と風を感じてヨガをし
グランドピアノを弾いたりしています。
(ちゃんと家が整ったらちゃんとお伝えしたいなぁと。
今はトイレットペーパーホルダーすらついてない状態です。笑)

広いウッドデッキで走り回る子供達を見て
本当に買って良かったと。




そしてふと、まーくんを感じました。

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まーくんはいなくなって、お金になった。
私はそのお金で家を買った。

お金という常に必要で、気づいたら無くなっているものを
私は一つの大きな形として残した。

この家は、まーくんなんだと。


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都内の自宅も、まーくんが死んだことでローンは無くなり
残してくれたものではあります。

けどそれは元々あったもので
なんなら、そこからまーくんというものが欠けた。


でも、セカンドハウスは
まーくんが形を変えたもの。
そう感じました。




どこを見ても、まーくんの命のお金で作ったもの。

ここはまーくんがくれた空間で
まーくんが作ってくれた時間が流れている。
ここがなかったら、こんなに実家とは良い関係で関わってなかった。

非日常の宝物の様な時間。




これを書いているのも
朝日が昇る大きな窓に向かい
広がる風景と空を見ながら
子供達の寝息を聞いて書いています。

最高に贅沢な時間。

まーくんが与えてくれたもの。




朝が来たら朝食会場(隣の実家)でパンを食べる。
子供達はおじいちゃん、おばあちゃんにいつでも会える。
私はここでは執筆作業に没頭できる。(家事育児の負担減)


まーくんは笑っている様に感じます。




奇しくもローンが組めなかったことで
日々の返済を考えなくて良くなりました。

大金を使ったことで
今後、金銭的に切迫してくることがあるかもしれません。


それでも
それに変えられない豊かさと
まーくんが生きた証を作った気がします。

ここにいたらとは思うけど
いたら絶対に建ててない家。


今だったら絶対に建てない。
その決断ができない。


あの時の私のとんでもない精神に感謝。

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そして改めて
縮こまってたら得られるものなんてないと
自分の人生に向き合いました。


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ありがとうまーくん。

素敵な人生をありがとう。



↓まーくんが死んでから見える世界が確実に変わった。


 
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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『せせらぎの部屋』ではコメント返信します。
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