私には困っている
自分勝手な癖があります。


『ひとまず人のせいにしてみる』



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それはしっかりしーちゃんにも遺伝していて

何か自分の大切なものが見当たらなくなると
まず第一に人を疑います。


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私は一瞬で
(は!いかんいかん!私に原因があるはずだ)
となりますが
しーちゃんは割とずっと人のせいにしています。

それが誰かのせいではなく
自分の過失or紛失物が見つかった時は
テヘペロしています。

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『誰かのせいにする』




それってとても簡単なこと。

自分は悪くない。
こうなったのは私のせいじゃない。

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自分を守るためのもの。





でもそれって意味あります?


だって、責任を押し付けられた人が責任を取ってくれるわけじゃない。


もちろん、実質的に責任が応じている事情なら
その人が責任を取るべきです。

でも人生において
心情的な部分において
それは全く意味をなさない。

なんなら責任が応じていることでも
責任者を探さない方が不満を減らせます。

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楽なんです。
誰かのせいにしている内は。



だって
自分が悪いわけじゃないから。
怒っていればいいから。


幸せになれないのも
嫌なことが起こるのも
全部私じゃない誰かのせい


あの人がこうだったから
状況がこうだから
みんなが分かってくれないから


でも責任を押し付けた人が責任を取ってくれない限り
事態は何も変わりません。
だから何も変わりません。


とはいえ、嫌なことが起こるのは自分のせいじゃないことも多い。
(自分のせいじゃないことの方が多いかな。)


けど、人のせいにしていても事態は変わらない。


だから
その後のことに目を向けるようにしました。

何が理由で誰のせいでそれが起こってしまったとしても
その後を動かすのは自分

大事なのは『その後』の方。
 
どう対峙して向き合って
どちらの方向へ進んでいくか。

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まーくんが死んだせいにして
私は不幸な人生を歩くことができる。

でも自分の頑張りで
幸せな人生も歩くこともできる。 

選ぶなら絶対に後者。




『誰かのせい』の人生ではなく
『自分のおかげ』の人生になるように


何かのせいで起こったことも
自分のおかげで立て直す。


「自分のおかげでここまで来た」そう言えること。
こんなに誇らしいことはない。

人のせいにしているよりずっと
自分の人生が誇らしくなるさ。 


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↓今幸せだと言えるのは、頑張ってきたと言える自分のおかげ様

 
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

※コメント返信をしばらくお休みします。
『せせらぎの部屋』ではコメント返信します。
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