メリークリスマス。


そして
ハッピーバースデーまーくん。

生きていたら44歳。


クリスマスの数日前
まーくんの従兄弟のひーくん家族にお呼ばれして
夕飯を一緒に食べました。
(今までHくんにしていましたが、ひーくんにしまっす!)



少し早いクリスマス会。
忘年会。
子供達の発表会のお疲れ様会。

そして
まーくんの誕生日会。



私がひーくんに 

「たまに凄く寂しくなるんだ」

と言うと


俺もなるよ。と
二人でしんみり寂しくなりました。


ひーくんの嫁のりーちゃんに
最近はまーくんを感じる?と聞かれ

「寂しくなったり
泣いてしまったりする時は
そばにいる時なんだって」

と話しました。

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りーちゃんが用意してくれた
クリスマスケーキは


スポンジと
カットフルーツと
ホイップクリーム。


子供達が順番に飾り付けをしてくれます。

見栄えは子供なりの
粗雑なケーキ。

カットフルーツの汁をかけて
とても市販のものとは比べ物にならないケーキ。
 


ロウソクを吹き消す為
誕生日の歌を歌って


それがまた皆んな小さな声で歌うから
炎の小さな揺らめきと
囁くような歌声と
手作りの温かみのあるケーキ

自然と涙が出てくる。



歌の最期の呼び名は

「ハッピバースデー
お父さん…
まーくん…
まーにー…」


それぞれ呼んでいた愛称。

子供達が「お父さん」と祝っていたことに
胸がキュッとなりました。





まーくんから聞いていた話。

まーくんの子供の頃のクリスマスケーキ(誕生日ケーキ)は

スポンジに
缶詰のシロップを塗って
缶詰のフルーツを乗っけたもの。


そう


 今
目の前にあるもの。 


クリームは乗っちゃっているけど
限りなく近いもの。
貧乏ケーキ。


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ひーくんは従兄弟家族が
そんなケーキを食べていたことを知らなかったし
その嫁のりーちゃんは尚更。

まーくんの為の様なケーキ。
思い出のケーキ。

今、きっと一緒にいる。

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帰りの車内で
生前一緒に聞いていたももクロをけーくんが流し始める。
私がけーくんにノリ方を教えた曲。

まーくんは運転席。
しーちゃんは後部座席の私の隣。

後ろから手を出して
助手席に座っているけーくんと良く遊んだ。
 
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同じ曲でノッテいるけーくんを見て
何だか涙が流れる。




そうか。


寂しくなったり
涙が出る時は
側にいる時。


今、側にいるんだね。




けーくんと話しながら
時折唇を噛み締め
涙しながら帰りました。 


いつまで経っても寂しいし
涙はいつまでも枯れない。



ちょうど数日前
母子家庭の母が死ぬ』という記事を書いて

自分の今後を考えた数日。


ひーくんとりーちゃんに

もし、私が死ぬようなことがあったら
子供達の事をお願いしたい。

そう頼んだ日でもありました。


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自分の死ぬ時はわからない。

でも、せめてその時に
最善の策が取れているように。

残された者が
笑って生きていけるように。



おめでとうまーくん。
44年前の今日
生まれて来てくれてありがとう。

一生物の親戚を作ってくれてありがとう。



私に
家族をくれてありがとう。


↓もう姿はないけど、確かに残してくれたものがある。


 


※順子さん
メッセージありがとうございます!
めっちゃ気になる!
行ってみるかも。でもその際は予約が殺到しないように記事にはしません。笑
もしくはバレない様に記事書くか。
追求しましょう!美を!!


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

※コメント返信をしばらくお休みします。
『せせらぎの部屋』ではコメント返信します。
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