少し前に会いに行った
おばあちゃんが死にました。



手を握り
声をかけ
抱きしめた


その時やれることを
後悔ないようにしたので

心の準備もあり
素直に受け入れることができ



訃報を聞いた時

それは早朝の電話で
覚悟を持って聞けました。




そして、
割と穏やかな気持ちです。


まーくんが死んだ時

もう二度と葬式はゴメンだと思いました。


この時の
この感情が
フラッシュバックする気がして
怖くて仕方なかった。


それでも
おばあちゃんの葬式は
大して泣きもせず
心落ち着いている自分がいます。


手も合わせるし
焼香だって出来る。
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それは
まーくんの死後
嫌という程
『死ぬこと』
『生きること』
を考えてきたから。

それこそ
二年以上
毎日考えています。


死は怖いものではなくなった。
あちらの世界には沢山の人がいる。
全員あちらに行く。

ただ
それが早いか遅いかだけ。



死に対峙する辛さって
年齢も大きいと思うし
生活を共にするかでえらく違う。


おばあちゃんが死んでも
寂しいけれど
私の生活には何の変化もありません。


昨日まで当たり前のようにいた存在が
今日からいないという空虚感。
それが死別で一番辛い。


それですら
体験してしまったので
もう何が起こっても向き合える。
怖いものなしです。


きっと
子供が死んでも
しこたま泣いて悲しむと思うけど

それでもきっと
(仕方のないことだ)
そう思えると思います。
その覚悟が出来ています。

そしてあちらの世界にはお父さんが待っているからね。


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にしてもやっぱり
葬式って何なんでしょう。

まーくんの時は
焼香も手合わせもしなかった。したくなかった。


おばあちゃんの時は
やって欲しいならやりますよ。精神。


お坊さんが戒名について話し
「この名前をないがしろにする人が
最近多いけど
天国へ行く為に大事な名前なんだ」と。



……………




…おかしくない?


その名前つけてもらうのにお金いるよね?
何なら名前のランクもあるよね?


お葬式もそうだけど
お金を持ってる人じゃないと
天国に行けないの?


傲慢なお金持ちが天国に行って
誠実な貧乏人は行けないの?




そんなばかな。

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大切なのは
遺された人の想い。
葬式だって墓だって何だっていい。


と思うけど
もし私が独り身で死んで
誰にも想ってもらえなくて
遺体や遺灰を生ゴミで出されるのは
ちょっと悲しい。


そうなったら
坊さんにくらい手を合わせて欲しい。(わがまま。笑)


やっぱり死者を敬うのは大切なことなのかなぁとも思う次第です。。

答えの出ない難問ですな。




ひとまず。


おばあちゃん。


お疲れ様でした!

また会う日まで
ゆっくり過ごしててね。
きっと天国では体は元気。

思いっきり走り回って
待っててくださいな。



ね!まーくん。

おばあちゃんをよろしくね。

天国の先輩として。

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けーくんと葬儀に向かう途中
死んだら天国に行くんだよ〜などと話していて
「天国ってどこにあるんだろうね」と(遠い目)で聞きました。




「お空にあるんだよ」



そう言われました。

幼い子供にそう言われると事実な気がする。
お空にいくんだね。みんな。

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↓想いが届きますように。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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『せせらぎの部屋』ではコメント返信します。
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