友人が家を建てたので
泊まりがけで遊びに行ってきました。

子供達を旦那さんに遊んでもらおうと目論んで。


夫婦共に良くしてくれて
旦那様は子供達をお風呂にも入れてくれて
甘えきって過ごしちゃっています。



『旦那さん』のこと
『生まれた赤ちゃん』のこと
『お父さん』としてのこと


一通り対峙して
その都度泣いて
強くなってきたので

複雑な気持ちを抱えずも
楽しく過ごすことができました。


そんな中で
抑えていたフタが開く。

20200106_4


友人の子がパパと遊んでるのを見たからでも
私の子供達とパパが遊んでくれてるのを見たからでもなく

食器を用意しようと
食器の引き出しを開けた時


何でもないその一瞬。

20200106_5


生活に触れたからだと思います。



ご飯を用意して
家族でテーブルを囲んで
一緒に食べる何気ない日常

新しい希望に溢れた家で
可愛い子供と
頼りになる旦那様と
幸せな日々を過ごす。



それがどんなに欲しくても
もう私の人生では手に入れられないのだと
心が苦しくなりました。

20200106_6
このお家の子は
まーくんが死んだ時のしーちゃんの歳(2歳間近)

今、こんな幸せな状況で父親が突然死ぬという信じられない事態。



新しい父親を迎えて
新しい家族の時間を作ることは出来るかもしれない

でも、やっぱり
色々な面で難しい。

それに、ステップファミリーは沢山の問題を乗り越えないといけない。


純粋に
何のしがらみもなく
自分たちの我が子を愛し
ただ愛を紡ぐだけの日々



それが
絶対にもう手に入らないのだと。


どんなに望んでも
私の人生は
それとは違えてしまった。

それを目の当たりにしました。


それが苦しかった。






でもね



どうしたって
自分だけと思ってしまうし

割と同情される状況だけども



大概の人は

欲しくても欲しくても
手に入らないものを抱えて生きている。



だからやっぱり
手の中にあるものを見ていかないとダメだ。

20200106_2



そんな事を考えながら
お風呂をいただき


作ってくれた夕飯
子供達の遊び相手
布団を用意してくれて
私はのんびり一人で風呂に入ってる。

たまらない気持ちになりました。


20200106_3


「ありがとう」では収まり切らない感謝の気持ち。
そんな友人がいてくれる幸せ。


そっと手を合わせましたよね。笑


まーくんになのか
神になのか
友人になのか


手を合わせると不思議と
心穏やかに温かい気持ちが溢れました。


言葉にしきれない想いが
包み込まれた感。


満たされない心と
満たされる心を抱えながら

合掌です。


20200106_1




ありがたや
ありがたやと
手を合わせるばーちゃんの気持ちが分かる気がしました。


ないものは嘆かない。
あるものに感謝する。


呪文のように唱えて生きましょうかね。



↓嘆いていたって何も変わらない。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

※コメント返信をしばらくお休みします。
『せせらぎの部屋』ではコメント返信します。
20191204_5

 クリック蘭


  ↓応援ポチッといただけると嬉しいです。
 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ


  ↓LINEで読者登録。

blogreader_201903_2