姪ちゃんは職業柄色んなお母さんを見ます。
そんな中、あるお母さんの話。


お兄ちゃんは障害を持っていて
体に不自由があり動けません。

そんな中、弟にも発達障害が発覚して
ADHD多動。


両方障害児。


動かない障害と
動きすぎる障害。


大変すぎる状況に、こちらの方が気にかけるも
お母さん自身
あっけらかんと朗らかで
とてもよく笑う
素敵なお母さんだったと。

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少しわかる気がします。



人って
恵まれているからこそ
不満て出るものなのだと最近思います。



『もう、それでやっていくしかない』



そんな状況に置かれたら
不満なんて言ってられない。

言ったところで何も変わらない。



自分がどうあるかだけ。



不満て
『誰かに向けて』なんですよね。


あなたが悪い
改善してほしい
改善する余地がある。

私の為に、そうしてよ。


そう
文句を言える場所があるということなんです。


行き所のない不満は
いつしか自分で飲み込んで

受け入れていくしかない。


それありきで
どうするかを考える。


体に不自由を抱える人方が
何十年もそれに文句を言っているでしょうか。

健康体な人の方が小さな不調をずっとブツブツ何十年も言い続ける気がします。



人からしたら苦難でも
対峙した人はそれに向き合うしかない。

逃げることも出来ないし
不満を言い続けたって仕方ない


それを受け入れた人が
強く優しく笑うのだと思います。



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満たされた環境で
不満をいつまでも持っている人が
眉間にシワをよせイライラしてるのだと思います。


いると思いますよ?
どうしようも変えられない状況を
何十年も不満に思っている方も。

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でも
その不満に思っている数十年
幸せですか?


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私は一刻も早く幸せになりたい。
幸せを感じたい。


受け入れることに
なかなかの時間はかかるけど


目指すべくは
いつまでもイライラしてる人より
朗らかに笑う人


だから
不満が自分に出た時は
何て恵まれてるんだと
恵まれているところに目を向けます。




回転寿司で注文した枝豆
明らかに量が少ない。

えぇぇぇ…と募る不満。(小さい。笑)


でも
私には回転寿司に来る経済的余裕がある。
一緒に来る家族と友人がいる。

こんなに恵まれてるのに
枝豆の量なんて。笑

一気にどうでもよくなりますよね。
え?元々どうでもいい?




雨漏りする
→家があるから


子育てに協力的でない
→旦那がいるから


買ったものが失敗した
→買えるお金がある



持ってない人は文句なんか言わない。
そんな文句出ない。


不満があり文句が出るってことは
恵まれてるってことなんだよね。


まーくんの文句を言える
旦那がいないこの状況を嘆くことができるのも
それが出来る環境であるから。

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あれもこれも全部飲み込んで
朗らかに笑う人になりたいんだい。



↓笑っている人を素敵だと思うから。

●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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