しーちゃんの4歳の誕生日の前日に
激しい生理痛に襲われました。

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珍しく薬も効かず
あまりの痛さに陣痛を思い出す。

陣痛の痛みは生理痛の鈍痛に似ているのです。




しーちゃんが生まれた日。


それは朝(7時くらい?)から陣痛が来て
2人目の経験から
これは陣痛だなと
体力つけねばと

世話に来ていた義母様に目玉焼きを焼いてもらい
まーくんに車を出してもらって病院に向かいました。


陣痛の波が来るたびに
運転しているまーくんの膝を掴み
「今、痛いんです!」をアピール。

病院に着いてからも
あれよあれよと陣痛は進み
まーくんに支えられながら分娩室へ行き
着替える間も無く、しーちゃんは産まれました。

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あまりにも生理痛が痛くて
忘れていた陣痛の痛みと
それに付随して出産した時のことを鮮明に思い出しました。






幸せだった。





陣痛は痛いし、出産は大変です。


でも、それは小さな命が誕生した日。
家族の増えた日。


幸せに浸り
何の不安もなく

生まれたばかりのしーちゃんを抱っこする
まーくんの笑顔を見ていました。


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四年前、そこには
握る手があって 
温かい眼差しと
安心する声があった。




四年後、
そんな彼の存在はもう無く


お腹なのか心なのか
ずっと痛い。


ただ痛くて涙が出る。 

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四年の間に何があったのでしょう。
まーくんはどこへ行ってしまったのでしょう。
あの幸せは何だったのでしょう。



痛みを堪えてうずくまっていると
もうすぐダンスの発表会がある長男けーくん(6歳)が
もう就寝しているしーちゃんから離れて自主練してるのですが
時たま 「大丈夫?」と声をかけてくれます。

いつも腰痛用に暖めて使っている『ぬか袋』を
暖めて持ってきてくれました。

その優しさにも泣ける。

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ちょうど姪ちゃんが彼氏と遊びに来ていた日で
仲睦まじい2人を見ていてふと
こんな関係で、どちらか死んだら辛いだろうなと思った日でした。

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いつも当たり前のように隣にある存在が
今、突然に

話すことも
触れることも
見ることもできなくなる。

LINEする人も
電話をする人も
夕飯を買って一緒に食べる人も
テレビを隣で見る人もいなくなる。

突然に。何の前触れもなく
その存在だけがポッカリなくなる。


辛いだろうなと。


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まーくんが死んで2年経って
子供達との3人の生活にも慣れて
感覚が大分麻痺してきたけども


これは、相当辛いことだと改めて思いました。

 


昼間、誕生日会をして
お祝いのケーキを食べながら
私が編集して繋いだ動画を見た。

しーちゃんが生まれた年の、1歳になるまで(けーくん3歳になるまで) 
その次の年にまーくんは死んだので
それ以降の動画は編集していません。



そこに映し出されたのは『平凡な幸せ』。


何でもない日常の、ただ子供を可愛がっているだけの動画。 
今はもう無いものです。


無くなるなんて思ってもいなかった日々
いなくなるなんて微塵も考えてなかった。

なんて幸せだったんだと
痛みを堪えながら眠ります。
 


あの日々が
戻ってきたらいいのに。



今、そこのドアが開いて
「大丈夫?お茶でも飲む?」って
言ってくれたら、どれだけ幸せか。
 
言われてたあの頃は、どれだけ幸せだったんだろう。 



泣いても泣いても仕方ないのに
それでもまだ涙が出る。


魔法陣でも描いてみようか。
出てこないかな。

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↓戻ってきたらいいのに…お金なら積むのに…。


  ●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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