いつ何時も、ふとした時に悲しみの蓋が開き
感情が溢れることがあります。

それがたとえ、仕事中だろうとも…


会社の勉強会…のようなもの。
いくつかある事例のムービーの中で
子供とお父さんのものがありました。



会いたくて
会いたくて
会いに行く話。



一人、一番後ろの席で
涙しました。

泣いてる場合じゃない場所。
幸い最後尾席。

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お父さんに会えた嬉しそうな子供の顔を見て

そんなに
会いたくて会いたくてたまらない
お父さんが


ウチにはいないんだと。


会いたくて会いたくてたまらなくても
もうどこにもいないのだと。



きっと、ここは会えて良かったねと
ホッコリうるうるする場所。


一人悲しみの涙。

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父と子の話が一番きついです。



ふと巷で目にする良い話。
お父さん向けの育児特集。

子供の父親に対する想い
父親の子供に対する想い


それぞれが
相手に向ける笑顔を想像すると
涙が出ます。


どんなに幸せだっただろう。

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ウチの子はお父さんを知らない。

失う悲しみは味合わなかったけど
一緒に遊ぶ喜びも味わえなかった。



お母さんとは違う
お父さんという人。



いて欲しかったな。
生きていて欲しかった。


けーくんどころか
しーちゃんまでもお話が出来るようになったんだよ。



成長をどんなに喜んだだろう。

お父さんをどれだけ好きになっただろう。




失ったものは戻らない。
失った人生を飲み込んで生きて行くしかない。




たまにこっそり涙して

今までのように
崩れて泣くことは無くなった。



ちょっとだけ涙を流して
何事もなかったように過ごす。


気持ちを閉じ込める蓋が
分厚くなって来た。


心が麻痺していくのを感じる。








『大切な人が死んだ』





その事実は変わらないのに
それに慣れて平気になっていくなんて
何かが麻痺してるに違いない。


麻痺して生きていくしかない。


だって
ウチにはお父さんがいないんだもん。


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↓私が一番『お父さん』が欲しいのかもしれない。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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