まーくんが死んで
幼子2人残されて
家族というものの考え方が変わりました。

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死んだ同僚の妻を
出戻りの私を
「家族だと思ってるから」と温かく迎えてくれた会社。


自分の実家に呼んでくれて
遠慮なく甘えてお泊りさせてもらう
友人実家。


子供達いつでも預かるよ!と言ってくれる友人。


ウチに来たらお風呂に入れてくれるメンズ達。


子供達と寝てくれて
いつまでも遊んでくれる人。

気軽に連絡を取り夕飯を一緒に食べる人。


全員が全員血が繋がってるわけじゃない。
婚族関係というわけじゃない。



『みんな家族でいいじゃん』


そう思っています。

血が繋がってるからって気が合うとは限らない。
関係が良好な人が全てじゃない。


血の繋がりや
紙切れの繋がりではなく


好きな人と
素敵な時間を過ごす。



信頼も愛情も
家族だけに限らなくても良くない?


「本当の父親じゃない」
と言われて、養父が子供を殺す事件がありました。


「本当の父親じゃない」
それは事実。

本当の父親にならないといけないの?
父親にならないといけないの?



私の信頼する好きな人は
みんな子供達の父親じゃない。
母親でもない。

それでも子供達を可愛がってくれて
私を大切にしてくれている。


家族じゃないからって
輪っかから追い出して
小さな狭い『家族』を守ることに何の意味があるのだろう。
人間関係に肩書きは必要なのだろうか。

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私は再婚を考えた時に
相手に連れ子がいた時に
決めていることがあります。
(気が早すぎる妄想。笑)

べつに母親にならなくてもいい。

でも
その子にとって
誰よりも信頼できる大人になろうと。
(あ、パパはもちろん)


これは連れ子じゃなくても
我が子に対してもそうですね。
誰よりも信頼できる大人でありたい。




私の好きな人たちは
正確にいうと家族ではないです。


でも一緒にいて楽しいし
信頼してるし
居心地もいい。


それでいいんじゃないかな。
『家族』に囚われないで。

みんな『家族』でいいんじゃないかな。



狭い檻の『家族』にいると息がつまる。
ここが全てなんだと。


まーくんと出会って『家族』の素晴らしさを知りました。

まーくんが死んで『家族』の脆さを知りました。


『家族』なんてただのくくりだ。
大事なのはその人にとって自分がどうであるか。
自分にとってその人がどうであるか。


まーくんが生きていた時は
その小さな括りに囚われて
満足して
他に目を向けて来なかった。

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今改めて外を見る。


私は誰と付き合い、関係を築いていくのだろう。いきたいのだろう。


せっかくの人生。
愛する人は多いほうがいい。

縮こまり家族だけを守っていた羽が
伸びるのを感じます。

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好きな大切な家族を増やしていこう。
大家族にしなくっちゃ!


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↓とことん人と違う人生にしていこう。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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