私はまーくんの故郷が好きでした。(島根県です)

付き合って初めて島根県に行きました。
初めて家族だとか親戚だとかの素晴らしさを考えました。


初めての訪問は大分前
まーくんの好きなunicornのライブが島根であるとのことで
ついで的に実家に行きました。

タイミング悪く数日前に親戚が死んで
ドタバタの葬儀、真っ只中に…


やはし初対面ということもあって
義母様がどういう人かも分からず

キッチンに立った方がいいのか
それともキッチンに入られるのを嫌がる人か
どうしよう…と人並みに悩むことはありました。



今や勝手に洗い物をして
洗濯をたたみ
掃除機をかけます。

でも基本的にぐーたらしてます。


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お義父母様も懐が深いし
私も大概の能天気。


2回目のちゃんとした訪問の時に
温泉宿を取り
なんと4人で混浴までしました。(まだ全然打ち解けてないのに。笑)
あ、タオル巻きですよ!



けーくんが産まれてから
私とけーくんだけで長めに滞在したこともあります。


義実家なのに
まーくんと一緒にお風呂に入ってました。




まーくんは一度も両親に彼女を紹介した事がなく
40歳も見えているのに独り身
ゲイなんだろうか。と疑っていたそうです。

そこへやって来た、一回りも若い女の子(私)
こんなチャランポランの小汚い息子と結婚してくれると言っている。

諸手を挙げて大喜び。
ものすごい歓迎されました。

私は嫁というより、孫の年齢に近い。
本当に可愛がってもらっています。




まだ最初の頃は
義実家へ行って、まーくんが寝ているとどうしたらいいか分からずに
「キミが寝ると困るんだ!!」とアタフタしていましたが

もはや世の中にキミがいなくても
堂々と義実家でくつろいでいます。



生前、きっと希薄な付き合いをしていたら
そのまま希薄になくなっていく縁だったのだろうなと。
大事にしていて、甘えられる関係になれていて本当に良かった。

義実家で何があっても
私にはそれを報告できる、愚痴れる旦那がいません。
旦那を介しただけの関係にしていなくて良かった。




以前一人で滞在していた時に
お昼ご飯だよーと呼ばれて席についた食卓の中心にあったのは


『明太フランスパン』一本。


を囲む様に人数分の白米。(義父母と私)



!!!!?


てなりましたよね。


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だけ!!?

え??
おかずなの!?
メインなの???


用意してくれた手前文句は言いませんが
謎の組み合わせに始終???が頭を巡りました。
即座にまーくんに報告しましたよね。

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今やツッコミを入れることもなく
誰に報告するでもなく
ふっつーに何の違和感もなく食べるでしょう。


ちなみに、その時は義父様がふりかけをかけたので便乗しました。





まーくんの母校を見たり
友人に会いに行ったり
若者の聖地『イオン』に行ったり
映画を見たり
バーベキューに海水浴
お祭りに冬の神輿
お正月にお盆
長寿のお祝い
公園にお店探索
城巡り

ありとあらゆることをしました。



もう
そこにはまーくんはいない。
まーくんと過ごすことはできない。

楽しさであふれていた場所から
まーくんだけがいなくなった。



だから来るのはキッツかったけど
来て良かったです。



新たな1ページを踏み出した気がします。


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まーくんありきでない
私が『帰る場所』として、これからも大切にしていきたい。


これからも帰るから。
そこで眠っているまーくんに会いに
そこにいる皆んなにに会いに。


いつか葬式で帰ることになるのだと思うと
ゾッとしますよね。
あと30年くらいは生きていてくれないかしら。

本当、誰も死なないでほしい。




ちなみに
私の再婚時期の話になって
しぶり出すお義母様。

私が平野くんにどハマりしていることも知っていて
「平野くんだったらよくない!?平野くんつれて来たら、むしろまーくんより良くない!?」
と言っても、平野くんでもNG。


その場にいた親戚一同「全然いい!むしろいい!」になってました。笑




↓まーくんのことなんて「忘れていい」そう言ってたのに!!!!
「生きている内は嫌」に変わってました。平野くんとはこっそり付き合うよ!


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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   どんどん増えていくでしょう。

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