実は私が帰省を決めたこのタイミング
理由がありました。


会社のまーくんの仲間たちが
墓参りに来てくれるというので

まーくんがいない寂しさが紛れるかと
急遽、日程被せました。


はるばる島根にやってきてくれる同僚達
(私からしたら先輩達)
ありがたい限りです。


去年も来てくれて
2年経った今も高い飛行機代払って
忙しい仕事の合間の時間作って
会いに来てくれます。


笑いが飛び交う日
人の繋がりを感じる日


まーくんの思い出話を語り
今もここにいるよ!とそんな話をする。




また別の日
まーくんは故郷にいる映画監督に
生前から懇意にしていただいていて

せっかく帰省したのだから
義父母様連れて挨拶に行こうと連絡を取りました。


こちらから打診したのに
素敵なお店を予約してくださって
お昼をご一緒しました。


監督、プロデューサー 、社長に子供達は絡みつき
ずっと遊んでもらいました。

社長(女性)のお兄さんも30代で幼い子供を2人残して亡くなられたことも知り
葬儀のことを今でもはっきり覚えているそうです。
残された子供達を両手に繋いで泣いたことを。 

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その二人は今は成人して
それでも、ここまでの間
ずっと「守られて来た」と感じていると。
 


監督はまーくんが死んだことは
本当にショックで仕方なかったそうです。

それでも
残したものがある。繋いだ縁がある。
今も生きているようだ。そう話しているうちに
「生きてる!今も生きていますよ!」とおっしゃっていました。

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その言葉を受けて
改めて

『生きる』

ということを考えました。




『生きる』って、きっと『息づく』ことなんだと思う。




生命体としていなくなったとしても
その人の想いや考え方、残したもの、繋いだ縁
変わらずに皆の中にある想い

まーくんの存在が、何かに影響を与え、
誰かを動かし、いなくなった今も根底にある存在。


それが『生きた』ということで
今も『生きている』ということなんだと思いました。

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人はみんな死にます。
だから生きているうちに
みんなの中に息づくことが、生きるというミッションなんでしょうね。

それを受け継いで
次へ渡して
脈々と淡々と世界が進むことが
当たり前で、尊い世界の在り方なんでしょうね。


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まーくんは今も生きている。



まーくんが残した世界がそれを語っています。

どこでも彼を思い出し
残したものを見て
繋がった縁を感じ

それは今もこの世界でまーくんが生きているということ。

 

『心の中に生きている』

は、ちょっぴり強がりも入っていました。



けど

『この世界に息づいている』

は、心の深いところへ落ちました。
それが、まーくんが『生きた』ということなんだと。 




今も



ここで生きているのだと。




人と繋がり
何を残せるか


それは作品とか子供とかではなくて(もちろん、それもあります)
産まれ、生きたことで
少なからず誰かに影響を与えています。 

優しい言葉をかけた
募金をした
ゴミを拾った。

些細なことでも
誰かには大きな影響を与えているかもしれない。
世の中がよくなっているかもしれない。


自分がいたこと、やったことで
何かが動く。何かが残る。
発した言葉、人への想いが
誰かの心に残る。

それがこの世に息づくということになる。


自分が死ぬ時
残せたものが一つでも多くなるように
繋いだものが一つでも多くなるように


それが
更に残される者の心の糧になるでしょう。

自分がいなくなった世界でも『生きる』ということになるでしょう。 


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まーくんが多くを残したように
私も多くを残す人生にしたい。

子供たちの為に。自分のために。
たくさんの気づきを与えてくれた、まーくんのために。

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↓あの頃の自分に教えてあげたい。
少しは楽に生きられる様になったよ。
楽になる考え方が出来る様になったよと。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→
こちら

※のりさん
メッセージありがとうございます。
生気を養ってきます!

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