旦那様のまーくんが死んで2年が経ち
少し気持ちが変わったなと感じています。


今までは
あったものを失ってしまったと
あったはずの未来が私にはないのだと

嘆きまくっていました。

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いたことが当たり前で
いなくなったことが異常で

どうしたらいいか分からなくて
まーくんがいない生活というのが想像できなかった。
嫌で仕方なかった。



それでもどんなに嫌でもしなければいけない
まーくんがいない生活。


ずっと泣いていたくても
ずっと泣いていられなくて


いやが応にも
3人で生きていかないといけなくて


そうやってきた二年間。

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窓辺に並んでいる
3人になってからの家族写真と
まーくんと撮った結婚写真とを見た時

変わってしまった家族の形を
嘆く心境ではないことに気づきました。


私の日常は3人の生活がベースになってきている。


今まではまーくんがいた生活が主軸だったけども
今の主軸は3人だけの生活。




メインストリームが変わったなと。

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そう感じました。


今はまだ完全にそう割り切れないけども
その兆しを感じました。



いつか、そう遠くない未来
3人ということが当たり前で
まーくんがいた時間というのが
特別な話になる。


そんな事もあ〜ったねと(中島みゆき『時代』)。


それはとても切なくて悲しいことだけど
確かにそう感じました。

きっと3年が一つの区切りになる。


今2年経って
主軸が変わり始めた。


だから、あと一年で
3年経ってやっと
3年経ったらきっと

本当の意味で落ち着いてくるのだと感じました。


生活のために仕事をし
家族を失った生活にも慣れ
生きることを何事もなく進めていく


落ち着き始めるんですからね。
落ち着き終わるんじゃないですよ。


だから死別した誰かに「落ち着いた?」と聞くのは
3年経ってからにしましょう。
したら、死別した後のトゲトゲしさも多少丸くなって
素直に聞くことができるかもしれません。



悲しみは一生癒えることはないでしょう。
それに折り合いをつけて生きていけるようになるということ。

涙することもあるだろうし
悲しみに暮れることもあるでしょう


けど
3年経ったら
良い意味でも悪い意味でも
『慣れて』くるのでしょう。

そう2年経って感じました。
来年にはきっと
まーくんのことは少し過去になっているのだろうと。



それが
生きていくということで

そうしないと
健やかに生きていけないのだろうと


自分の意思とは関係なく進んでいく時間と
それによって変わっていく自分の心の変化。





それでもまだ
 


あの日々を思うと
幸せで涙が出る。


そこに
けーくんがいて
しーちゃんがいて
まーくんがいた生活。


あぁ、なんて幸せだったんだろう。と涙が出る。



メインストリームが変わってきたという兆し。


それを感じて
まーくんが死んでから初めて彼の故郷に帰ります。

 
まーくんの匂いを感じるのが怖くて
ずっと帰れなかったけど
きっと前へ進む後押しになると感じています。 


さあ、帰ろうじゃないか! 




↓仲違いで死に別れてしまった原因が発生したあの場所へ…


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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