両親が話していて

あの人は独り身で寂しいだろう。
でも自由で気楽だろう。


自分の物差しで
きっとこうだろう。
こうに違いないと決め込む。



人はその人の幸福を測れない。



現に私は
話しだけ聞くと
とっても可哀想だと思う。


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でも
確かに幸せに生きている私もいます。


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旦那が突然早死にして
幼子2人残されて

悠々のうのうと暮らしていた生活が一変した。



全部が自分の肩に乗っかって
好きだった人が、もうこの世にいない苦しみも乗っかって
いきなりの世帯主。

それも突然に
何の心の準備もなく。



今も泣いているし
悲しみは癒えないし
いつだって『死』のことを考える。



それでも
それと同時に『生』のことも考えるようになりました。


誰もが死ぬこの世の中で
なぜ生きなくてはいけないのか。


大切な人がいなくなって
埋められない喪失感があるのなら
この世に楽しみがないのなら
死んでしまったっていいのではないか。



それでも
生き続ける理由。



それをずっと探しています。

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そんな事を考えて生きるようになってからか
人生に熱を帯び出して

今、不幸を抱えつつも
幸せに生きている自分がいます。



周りからは不幸でも
私は私の人生を「幸せだ」と言える。
豊かで恵まれていると言える。


泣いてるよ?
悲しいよ?
寂しくて寂しくて震えているよ?


でも
そんな人に出会えた。
そんな人の子供を授かれた。

人の温かさを知った。
人生捨てたもんじゃないと思う。

捨てたらきっと出会えなかったものがいっぱいある。




人の幸や不幸は外からは見えない。




不幸なはずなのに幸せな顔をしてると
ヒソヒソ言う人もいる。

幸せそうにしている人に隠された不幸は分からない。




周りからは本当のことは見えない。 




だから誰がどう思うかなんて気にしてても仕方ないし
訂正を入れる必要もないと思う。

そう思うならそう思っていればいい。



肝心なのは
自分がどう思うか。

自分が自分の人生を愛していればそれでいいさ。
自分が幸せだと感じていればそれでいいさ。



幸せの条件は
『状況』じゃない。

『心持ち』だと思う。


小さな幸せを感じる心が
大きな幸せへと導いてくれるのでしょう。




今日、
オムツを洗濯しました。

ポリマー大爆発。


ではなく、何故か小爆発。

被害は最小限。


あ〜良かった。
(良かった?)
…良かったのか?笑


小さなことに幸せを感じて
人からしたら不幸だと思うことにも幸せを見出して

そうやって生きていけるようになった。


それが
幸せに生きるということだと思う。


自分の中に物差しがあればいい。
人に計られてたまるかってんだぁ!


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↓幸せとはどこにあるものなのでしょう。


↓一瞬人の不幸を決めつけた、浅はかな自分。


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら

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