まーくんが死んで2年が経って
悲しみは癒えることはなく
今でもいつでも声をあげて泣く事ができます。


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それでも自分の感情に蓋をすることができるようになって
「泣かない」という選択をすることもできるようになりました。

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何だか今日はとても悲しくて
涙が今にも出そうだけど

本当はこのままベッドに潜って
まーくんに想いを馳せて泣いていたい。
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それでも

『泣く事』って物凄いエネルギーを消費します。



目が重くなって
頭が痛くなって
疲れ果てて
何もやる気が起きなくなる。


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それでもやらなきゃいけないことは 
誰も代わりにやってくれません。


体力を消耗している場合じゃない。
どれだけ泣きたくても
夜まで、眠るまで
動き続けなくてはいけない。



ぐっと堪えて
涙を一筋流すくらいで
グイッと拭いて

やらなきゃいけないことに取り掛かります。



気持ちが重くてやれなくても

これ以上疲れないために
涙を流さずボーッとします。


泣いていても誰も助けてはくれない。



私が疲れ果てても
元気有り余る子猿達の世話をしないといけない。

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本当は泣きたいのに
何もかもかなぐり捨てて
まーくんのことだけを考えて
大泣きして
泣き疲れて眠りたいのに。


心に押し込めて
時には笑って過ごしています。
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それを人は強くなったと言うのだろうか。


弱い部分を見えないように
隠しているだけな気がしています。


でも隠しきれなくて
どこでもかしこでも嗚咽して大泣きしていたあの時からしたら
やっぱり強くなったということなのかな。



泣ける場所が無くなった。

それも自分を苦しめる一つなのだろうな。



いつでも気を張って
1人の時も気を張って

そうして人は強くなっていくのだろうか。

それとも
どんどん壊れていくのだろうか。


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↓思い切りワンワン泣くしかない時もあったな…


●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
 
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