<質問 25>
人間は死んだらこうなる
そんな死生観を皆さんは持ってますか?
わたしが信じているのは
「イスラム教は死後鶏肉食べ放題」(本気でイスラム教になりたいと思った)
「天国では自分がいちばん輝いていた頃の年齢の姿になる」
「向こうの世界に行くと自分の魂が2つに分かれて1つは生まれ変わり
残った1つは現世にいる人が亡くなった時に再会できる」という
なんともトンチンカンな考えばかり。
でも、自分が信じるものを自分で自由に選べばいいとも思っています。
その他色々な映画や本、音楽や周りの人の考えなどひとつひとつ吸収していって、
私の死生観は良いとこ取りをしながら絶賛成長中です。
最近心に残ったのは「DESTINY鎌倉ものがたり」という映画です。
ネタバレになってしまうのですが
その映画の中には死んだ後、「黄泉の国」という世界が存在していて
見ている人の思い浮かべた素敵な世界になるというものでした。
そして前世で深い関係にあった人は来世でも必ず会えるというような世界でした。
こういった内容も私の死生観の仲間入りをしたのです。
前述した映画で「自殺した魂は人を殺した殺人罪と同じ扱いになって天国に行ったり
ましてや生まれ変わりなんて二度とできなくなる」というセリフを見て
思うとこもありました。
長々と語ってしまってすみません。
改めて質問ですが、
せせらぎさんや読者の皆さんの自分なりの死生観や
この本や映画の内容は共感できたと思えるようなものを教えて頂けないでしょうか??
ちなみに私も『DESTINY鎌倉ものがたり』見ました。
“黄泉の国”は同じく(だったらいいな)と思いましたし
「自殺云々」は正直悲しかったです。
どうして死んだこともない人が
誰かを苦しめる言葉を
当然の如く使うのだろうと。
それこそ戦争中に集団自決した人達は
その場に縛られてるの?
苦しくて苦しくて死んだ人に救いはないの?
そんなわけあるかい!と思っています。
ま、私も死んだことないので
実際のところは分からないですけどね。
死生観。
私はまだ持っていません。
『生きることとは』はなんとなく持っている気はしますが
『死ぬこととは』はまだ分からない。
絶対信じているもの がありません。
何となくそばにいる気はするし
いて欲しいけど
絶対にそうかと言われると
分からない。
死んだら会えると思ってるけど
絶対にそうかと言われると
分からない。
まだその域じゃないのかも。
彼が死んだ後に行く世界より
彼がいなくなった世界を生きることに必死で…
一つだけ。
本で読んだ中に
「悲しみが来る時は
故人がそばにいる時」
とありました。
悲しいだけの現状が
そう言う時はそばにいるんだと思ったら
少し軽くなった言葉です。
みなさんは信じてることってあります?
もしくは
こうだったらいいな。って夢物語語りません?
私は
自分が死ぬ直前に
生きてる段階で(死にかけてる)
ぼんやり迎えに来て欲しい!
まーくんの迎えで一生を終えたい!
そしたら寂しくないじゃない。
むしろ嬉しいじゃない。
喜び勇んであの世に逝っちゃうわ!
↓死後の世界の捉え方も
世界、宗教様々で結局なんなんだろうと思っています。
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コメント
コメント一覧 (22)
歌詞の一部ですが…
『時がアナタを見捨て去ろうとしても
絶対生きてやろうって思えるようになるのに必要なものがある
それは心で、それは涙で、それは愛で、それは夢で、
それは僕から「君」への思いです
そうだと信じるしか僕にはもう生きる意味はないのです。』
遺された人が、亡くなった人からの心を忘れない限り生き続けている。そう信じたいです。
死生観…忘れられない限りは生き続けることができる。
自死についてですが、あくまで私の考え方ですが、遺された人の思いを考えると悲しませるようなことは絶対ダメだと否定的に言われることかと思います。
でも、どこかの本かブログかで見たのですが、余りにも心がキレイな人は、この世の色んな物が見えすぎて、この世でみるキツイもののない、キレイな世界に召されている。とありました。
この世では頑張って頑張って精一杯頑張って生きてこられ、キレイな穏やかな世界にいると思っています。
どういう亡くなり方でも辛いです。思いが残るほど辛いです。
でも、精一杯生きて、生きて、生き抜いたんだ。たとえ突然の別れでも。
寂しいけれど。悲しいけれど。ずっと忘れないから、生き続けていられるからね❤️と思っています。
せせらぎ
がしました
せせらぎ
がしました
せせらぎ
がしました
そして、当時は「見守ってくれてる」とか「そばにいる」とか必死に思い込もうとしていたけど、3年経った今は死んじゃったら
「無」
だと思うようになりました。
魂はそこにある、って言うけど目に見えないし気配も感じないし実感がありません。
現実的すぎて身もふたもなくてごめんなさい。
だけど、私と娘が困らないようにしてくれたこと、旦那が生きていた頃と変わらない生活ができていること、それらを実感するときに「守られてるなー」とは思います。
遺族年金が支払われることも、旦那が死んでもなお私達を養ってくれてるとつくづく思います。
娘の海外研修の費用を支払う時、3年前の入学時に既に旦那が支払い済みだったことを学校から知らされた時は「死ぬなんて夢にも思ってなかったくせにそんなことまでやってくれてたんだ」と涙が出ました。
そんな、日々の「ダンナのやつ、やるなー!!」って時に見守られてる気がします。
せせらぎ
がしました
私は昔からスピリチュアル関係の本を読んだり、番組を観たりすることが大好きです。
今考えていることは、
「人は肉体は滅んでも魂は死なない。」
「死後の世界は存在する。」
「人は生まれ変わりを経ながら魂の成長を続ける。」
こんなところでしょうか。
私に大きく影響を与えた本は次の2冊です。
「眠れる予言者 エドガーケイシー」 光田秀 著
「前世療法」 ブライアン・L・ワイス 著
今までスピリチュアルのことを話す機会がなかったため、りんちゃんさんの投稿を有り難く思っています。
今後共宜しくお願いします。
せせらぎさんへ
先程りんちゃんさんにお話しましたが、せせらぎさんがアップして下さったお陰で、初めてスピリチュアル関係について話すことが出来ました。
ありがとうございました。
せせらぎ
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「悲しみが来る時は
故人がそばにいる時」
そう思うと昨日近くに来てくれてたのかな。
まさに昨日の夜、突然ぶわーっときて1人大声で泣き叫びました。
主人が亡くなってもうすぐ3ヶ月。少しずつ少しずつ1人に慣れてきたつもりでした。確かに毎日悲しいし胸が苦しいし思い出さない日はない。でも昨夜は本当に突然ぶわーっときました。誰もいないのをいいことに本当に大声で泣き叫びました。
私の実父と主人は同じ年齢で亡くなりました。
「死ぬ」ということ、「死後の世界」、こればっかりは経験談を聞く事が出来ないですもんね。でもなんとなく、運命とか輪廻みたいなのは感じます。ちなみに実母が主人(私の父)を亡くした年齢も、私が主人を亡くした年齢と同じです。
今月、「ミディアムさん」と呼ばれる方と会う予定になっています。あの世に行ってしまった主人から色々聞く事が出来ればと思っています。
せせらぎ
がしました
私は、小学低学年頃、「死」について考えて夜眠れないような子でした。特に「母の死」が怖くて仕方なかったです。(父も母も元気でしたよ)結局、「生ある者は死あり」「形あるものは、いずれ壊れる」という結論に達し、悩みは終息しました。ませた子供だったんですね。
時がたち、そして、母が亡くなりました。やはり身近な大切な人を亡くすと、「無になる」というのは受け入れられなくて、宗教本からスピリチュアル系、不思議体験の本から読みあさりました。しかし、まあ、あの世の仕組みも霊魂の居る場所も現れるのもそれぞれ。何が本当なのか余計わからなくなってきました。
結局、あの世はある、大切な人とはまた会える、いつも見守ってくれている、、、自分に都合の良い部分を信じようと思いました。特に、自分が寿命を迎えた時には必ず再会出来るといことは、信じています。そうじゃなくちゃ、あまりにも酷ですよ。
せせらぎ
がしました