今日は父の日です。

昨年の父の日
旦那のまーくん、子供達の父親のまーくんが死んでから
初めての父の日。

華麗にスルーです。


もう我が家に父の日が来ることはないのだと思っていました。
だっていないんだもん。
その事実に胸を痛めました。

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しかし今年
ちょっとだけ考えが変わりました。




保育園で先生との面談があった時、
普段の様子や園での様子。様々なことを話して
その中で不安や心配はあるかと聞かれ

けーくんには

「『お父さんは死んだ』と分かっているものの
『お父さん』というものを欲しいと思い始めているかもしれないけーくんが
どういった道を辿ってどう考えていくのかが気になる。」


しーちゃんには

「『お父さん』という存在がそもそもしーちゃんの世界には存在していなく
触れるお父さん、話すお父さんは写真の中だけのもの。
自分にはお母さんだけと認識していて
今はまだ、他の家庭にお父さんがいることも知らないし
それを知った時に、どう対峙していくかが未知数すぎる。」


そんな話をしました。

現実は変わらないし、どう対処出来る話でもないのだけども
『父親のいない人生』を私は歩んでこなかったから
それにどう向き合って折り合いをつけていくのかが
心配。というか気になる。
どう捉えていくのだろうと。


お父さんの死を話すべきなのだろうか。
それはいつどのタイミングなのだろうか。
悩ましいと話すと


先生の友人で同じく幼い頃に父親を亡くした子が
ある時母親からキチンと伝えられたらしく
その時に「あぁ、私にはお父さんはいないんだ」と割り切ったそうです。
年中くらいの時に。

それを話した母親も、話された子の想いもどちらを考えても泣ける。

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ちゃんと話すことは大事かもしれない。
「死んだ」とは日常会話の中では出ているけども
そもそも『お父さん』が分からないのだから
いつか出来るものなのかもと思っているかもしれない。


何があったのか
どうして今いないのか
それをどう考えたらいいのか


ちゃんと話をしようと思います。


来年。(逃げた。笑)
しーちゃんが年中さんの時に。父の日に。


幸いにもウチには子供達を愛したまーくんの姿(動画)が残っています。
それを見ながら。

どんな人だったのか。
なぜ君たちが産まれたのか。
どれだけ愛されていたか。

今年はまだ無理だな。
泣きじゃくっちゃうな。私が。
しーちゃんの理解も怪しいし。

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まーくんはもういないけど
まーくんがいたから今があるわけで
何よりも大切な子供達を残してくれたまーくんに

感謝を込める父の日にしようと思いました。


いないからこそ。

まーくんは父親で
それは今も変わらなくて
普段言葉を交わせないからこそ
改めて想いを寄せる日にしようと思いました。

『ありがとう』って。

『愛してくれてありがとう』って。


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あなた達にお父さんはいないけど
あなた達がいるということがお父さんがいたということなんだよと。

三人で思いっきりお父さんの話をしようと思います。


「いつもありがとう」は言えないけれど
どれだけ愛されていたかということを伝えよう。
それが子供達の力になりますように。


今年はひとまず
遊びついでに皆んなでまーくんの似顔絵描くことにします。


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まーくん。

私をお母さんにしてくれてありがとう。
この子達を残してくれてありがとう。
父の功績は偉大だよ。

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↓本当はずっと一緒にいたかった。
子供達から直接「ありがとう」を伝えられたらどれだけ良かったか…
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